![]() |
|
私の父母の世代は90代、その一段前となるので、もう小説や映画にしかない時代の最後の一人だった。戦争中に結婚、夫を応召で送り出し、戦後は何もかも失ってドサクサ無政府経済時代を底辺で生き延びて、昭和末、平成にようやく豊かな時代に老齢化。朝ドラで一番出る世代かも。
今年60歳の私の時代なんか、彼らから見れば別の日本であり、外国人みたいなものだったろう。でも、あの世代の人達は青春期や幼年期に大正デモクラシーの自由な空気や新しい思潮に触れていて、私が学生の頃にハチャメチャをやっていても共感的に見ていてくれたし、先進的な話題や世界情勢の話なんかを好んで、いつも新しい話を聞かせてくれ、と言われたのを思いだす。こちらが逆に昔のことを聞こうとしてもあんまり興味もなさそうだったのも面白い。墓まで黙って持っていきたかった話も多いのだろう。もう本当に、話をすることができなくなってしまったな。
松本に帰ってきたので、江戸時代以前からの先祖がこの広い地域(安曇、筑摩郡)の各地に続いていて、会ったことはなかったけれど、じいちゃんの妹の息子、娘さんとも今回の葬儀で初めて交流があった。祖父世代の兄妹同士の子孫だから同世代ならいとこじゃなくてはとことの出会いになる。故人を知って式に来るような関係者はほとんど亡くなっていて、10人足らずのお葬式、かえって話ができて親交が始まった。いままで付き合いなかったけど松川村に知り合いもできた。こんど遊びに行くことになった。聞いていると接点が浮かび上がったり聞いたこともない話が出たりする。遠い親戚って面白い。
戸籍を元に、分かる範囲の家系図も描いてみた。たった一組の夫婦から、柿の木の枝のように広がる人々の図。全然追いきれない人たちもいる。配偶者にもそれぞれ両親がいて、すべての人に両親がいて、とても書ききれない。それぞれの人が事情を抱え生きて死んだのだ。
※写真 昭和38(1963)年撮影。曽祖父夫婦が前列右、後列がその7人兄弟姉妹。私のじいちゃんは右から三番目のイケメンさん。この曽祖父が紺屋(こうや・染物屋)の丁稚から始めて店を持った。私の祖父も生涯染め物職人だった。
もうみんないない。
※図 一組の夫婦から50人近くの人々が登場。配偶者などまだ書いてない人もたくさん
松川村のお越しの際は我が家にも寄ってくださいな。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する