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しかし、今回は本物のお能愛好家集団と交流して、心を入れ替えようと思いました。
地方の松本ではありがたいことに、私の先生は東京の能楽堂で公演をするプロの能楽師で、毎度あずさに乗って松本に来てくれています。発表会のときは、そのお仲間のプロやセミプロがどどっと松本にやってきて、こんな素人教室のお囃子(笛、小鼓、大鼓、太鼓の伴奏)や地謡(合唱団)として発表者のお仕舞(踊り)を支え、加えて本物の芸を見せていただけます。
師匠は京大で能楽部のあと芸大の音楽部邦楽科でも学んで居られたので、両方のお付き合いの後輩たちです。長年、同じ道を目指してきた年齢層広い集団に特有の和があり、私の属する同じような共同体、北大山岳部にも似た心地よさがありました。いや、心地よさは同じながら比較にならぬほど洗練された気遣いある共同体でした。
そして交流会では、プロの皆さんがどう能楽堂で住み込みの下積み修行をしていたかや、セミプロさん方が勤めをしながらどれだけ稽古し、あれだけの技芸を身につけてきたかを問い聞き、現役学生部員にはどうやってあんなに長い曲を何十も暗誦することができるようになるのかや何故この世界にハマったのかなど聞きました。
能楽部も山岳部も同じですが、人生を左右するこうした世界への入口は単純で、まさに人との出会い、たまたま誘われ入り込んだ集団の居心地良さです。入る以前の熱意とか才能とかの人もいるけど、想像もしていなかったという人が結構多い。
おもしろいもので、入る前に、ここをクリアしたらこんなモノが手に入るというようなことが全くわからないのが、あるいはわかったつもりでいたけど全然違ったというのが学びというもののようです。手にしたものの尊さは事後にならなければわからない。山岳部はそうだったし、おそらく能もそうでしょう。今は何も知らない。今のところ、何が面白いのか、何故私は稽古をやめないのかもわからず、わからない事がおもしろくてやめられないのです。
古典芸能の能は室町時代初期に完成された、世界で現存最古と言われる演劇ですが、古語なので歌詞は少なくとも私にはヒアリング不明、歌詞カード(謡本)も古書体で難読。動きは緩慢地味で何をしているかよくわからない、その上、演目の上演は長時間で必ず眠くなる。ビートもリズムも旋律も現代音楽とはノリが全く違い、予測不能。歌詞の息継ぎ、何故そこで切る?250あると言われる演目のアラスジはほぼ旅人が夕暮れ時に幽霊に出会って泣き言を聞かされる話で陰気です。これが700年も途絶えず、誰かが生涯を捧げ伝承してきたのですから実に不思議ですよねえ。全くわかりません。
ただし、発声も含めた身体の駆動原理は古武術と同じで凄く理にかなっていて、私はそこに惹かれて始めたのでした。思い出した、きっかけは合気道でした。
合気道もそうでしたが、口で説明されたり、本で読んだりしても、何一つわかりません。どうしろこうしろと、先生は理路を尽くして語りません。ただ先達のマネをして3年も稽古するとわかってくるという仕組みです。あらかじめカリキュラムを知りたい。という種類のものでは無いのです。
私がおさらいもせず稽古に出ていたのに、先生は優しく「順調です」といってくれていた意味はそういうことだったのか。
お能って敷居が高いと思ってましたが、40代の頃(20年前)、漫画の影響で、お能の講座『のうのう講座?』を見に行ってました。
前半で、衣装の説明と演目のあらすじ、謡の練習、そして、実演とわかりやすい講座でした。
上司(女性)に紹介したら、はまってしまって謡を習い始めました。
忘れられない演目は、『葵上』・・お能ってこんなに激しいんだと思いました。
参考漫画:「花よりも花の如く」若手能楽師の成長物語。すでに20年ほど続いてます。
もちろんプロになるには敷居は高いでしょうが、見たり、真似事したりする人が沢山いなければ文化として死滅しますから、敷居は低いです。むしろ細やかな気遣いをしてくれる人ばかりですね。漫画は何事も、よく教えてくれますね。
お能で思い出しましたが、能に「紅葉狩り」というのがありますね。
ぜひ鬼女紅葉の岩屋へお越しください。
山の中ですが、観世流の方等もお参りにいらしている様でした。
砂鉢山の途上で寄れる計画ができそうですね。戸隠までバスで、鬼無里まで山越えで歩くみたいな感じで。
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