このまえ参加した岳都松本山岳フォーラム主催の企画で梓川渓谷右岸古道の探勝をした際、参加者と山歩きしながら話をすると、地元の松本、筑摩、安曇在住なんだけど圧倒的に移住してきた人が多かった。山が好きで巨大都市からこの周辺に仕事を変えてまでして、わざわざやってきたのだから感心も高いしやる気も満々なのだ。つきあって楽しい人ばかり。やっぱり山に限らず松本の町並みの活気は移住者たちが注入してくれているとしみじみ思うのだ。
それに比べて松本に先代から住んでいる人は概ね山登りに関心がない。私は1964年生まれだが中学、高校の同級生を見回しても生涯通じて山登りしている人なんてほぼいない。1930〜40年代生まれ世代(両親や先生)くらいは、青年期に山登りがブームだったし他に娯楽もなかったため、若い頃には登っていた人がいたけれど、生涯続ける人は殆どいなかった。その後2000年代以降は昔は県民の洗礼儀式だった中学の学校登山さえもなくなり、「一度だけ学校登山で登った、しんどかった」という人さえもなくなる。
最近自分の人生ムービーのシナリオを書いているのですが、私の人生は山登り一直線で、かなりシンプルだ。子供の頃から常念岳に見守られ、青年期に山に遊んで松本から世界へ出ていった。他所の人から見れば、「松本生まれらしい山好きの動機だね〜」と言われそうだが、よく考えるとそんな人は周りに一人もいない。常念岳の名は言えても、毎日見える他の山は何一つ言えない。
最近読んだ明治13年塩尻生まれの仏文学者吉江孤雁の随筆で少年時代に穂高岳を見て、「あの美しい山は何といふ山か」と先生に尋ねたら、「名なんかねえずら」とそれきり何も教えてくれなかった寂しさについて書いている。今もたいして変わらないと思う。
毎日美しい山をみていたからって、登ってみようとまではいかないのである。
人はなぜ、数ある関心事の中から山登りにロック・オンしてしまうのだろうか。本人の努力でも環境でもないとすれば、まさにこれは天の贈り物、才能以外にないのだろう。
才能のある人、迷わず松本へ移住してください。近所の先住民は山に興味ないかもしれないけど、断然行きやすくなった山には同類がたくさん。そこからは環境の効果で、ますます才に磨きがかかる。
フォロワーのベルクハイルです。
人が山に惹かれる動機って、ほんとになんでしょうね?
興味のない人は徹底的に興味がない一方で、私や他の多くのヤマレコユーザーさんのように山にのめり込む人もいるし、、
いつのころからか私は、
「人が山に興味を持つのではなく、山が、山好きになる素質のある人を選んでいて、山に誘ってくれているのでは?」
などと、ちょっと変な考えを持つようになりました。
まさに才能と同じ、giftedなんですね。オレタチ天才ですよ。
甥っ子が、コロナ禍にリモートワークの移住先を松本にしました
そして、市内の山岳会に入って、登山を始めました
どちらかと言うと都会の子だったのに、親(義妹夫婦)もびっくりしたようです
甥っ子は、住み心地が良いらしく、しばらく都内に戻ってくる気はないようです
甥っ子も天才ですね。どこにうまれていようと居心地の良い場所に動くことに、フタをしてはいけない。
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