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1973年に廃坑になった足尾銅山の産物を運ぶためにわたらせ渓谷鐵道は作られ、今も最奥近くからの路線が残っている。鉱山周辺には芦別や夕張で見た炭鉱住宅の景観がまだあり、深刻だった抗毒はげ山は今は緑の森に変わった。銅山の山奥の町はかつては栃木県第二の人口だったそう。
百名山の皇海山は名山だったが、長い長い無人ルートで山越えできたことのほうがうれしい。山行記録にたいせつなのは、計画でのストーリー性と、山中山麓でのストーリーだ。入山した泙川の美しい天然林は、かつて皆伐され銅山に搬出された土場の石垣廃墟や炭焼き窯の廃墟をうずめて美しかった。
ストーリー山行作家の友人の計画は今回も素晴らしかった。
遠くの国へジェット機に乗っていかなくても、一週間をかけて国内の無人境を山越えするほうが、今は楽しい。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8247609.html
自分が移り住んでいる街は
足尾銅山と切り離せない街
まして、田中正造が告訴の為に警官と小競り合いした、川俣事件の直ぐ側に住んでました。
よって、日光方面へ出かける際には、時間があれば寄る足尾です。
でも、足尾銅山がなければ、日本の発展はなかったかと思ってます。
栃木県といえば日光もだけど、足尾なんだと足で歩いて思いましたね。ここ、車で行って帰ってくるのはもったいないですね。
山屋のおいちゃんたちは、ロマンチストですね
今や、コスパとタイパを競うような日帰り山行が多いし、
山の音も匂いもしないような山行記録が増えたな〜と思う
前に、『わ鐡』に乗ってみたくて、足尾銅山を絡めて散策しました
往路は、東武線使って、相老駅→通洞駅
帰路は、足尾駅から路線バスに乗って、日光へ
知らない路線は、ちょっとドキドキするけどすごく楽しい
なんであんなに長い鉄道、存続しているんでしょうね、とも思いますが、存続は貴重です。今この時も何本も走っている。人々が走らせている。
巨大人口圏の上流の大河だもんね。私は栃木県の山はほぼ初かな。昔東京にいた頃行った那須が最後です。
うどんや死体かあ。日本もまだまだ面白いですね。自転車、いいですねえ。
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