![]() |
村上春樹、宮崎駿、それに忌野清志郎は少年期〜青年期に出あってからずっと同時代を生きて新作品をそのたび読む・視る・聴くしてきた、付き合いの長い(30年くらい)作家です。清志郎は死んでしまったけれど。
オリンピックみたいに数年に一度発表する作品は、前作からの間に起きた社会の事件や世相風俗の変化も作家と同時代人として共有して、僕自身も住む街を変え、家族も増えという変化を思い起こしながら「どれどれ今回は」、と読む楽しみがありました。「羊」は札幌の学生寮で読んだし、「ねじまき」は東京で苦しかった時に読んだ。「カフカ」は名古屋で松田さんに借りて読んだし、1Q84は青森で林君に借りて読んだなあ、とちょうどその頃の事を思い出します。どれも読み返す、視直す、聴き直すたび、気付かなかった異相を発見する深みがあります。簡単じゃないのに面白いです。
山登りもそうだけど、長く続けるって楽しいことです。
ようやく手に入りましたか。yoneyamaさんがそんなに時代と共に村上春樹を読まれていたことにちょっと驚きました。私も新作は大体読んできました。ほんの少し年上ですが、同世代の作家として、とてもとても気になります。リアリズムの対極にいる作家ですから毀誉褒貶はあるにしても。
春樹の小説は箴言に満ちていますね。意味を考えるという前にその響きに打たれます。そして物語の力強さ、まるで小さな聖書のようです。
「月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。」
「完璧な文章などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね。」
心地よいですね。
きよしさん
まるで小さな聖書、良い言葉ですね。今回の本では「孤独」を、航行する船の甲板から暗い夜の海に落ちた者の身に例えていましたね。そんな話を漱石の夢十夜で読んだ事があります。
古典の凄いところは一ページめくる度ごとに必ず殺し文句がある、とどなたかが言っていましたが、既に古典並みの密度と思います。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する