塩尻峠のトンネルを抜けると白くなった穂高連峰が見え始めて、盆地を囲む山の姿を見回して列車の窓は右も左もきょろきょろします。一番好きな場所、丘の上の校舎の屋上に登ると、紅葉で赤や黄になった美ヶ原や高ボッチの山肌が、やけに近く見えました。見下ろすお城本丸のケヤキもまっ黄色でした。空気の澄んだ日でした。
昔から伝わる、先輩による様々な通過儀礼のある、先生方は生徒を管理しないよう努めてくれる学校でした。3年間、こどもが大人になるために学ぶことが多すぎて、受験準備は卒業後に各自でするような学校でした。150人集まりました。一日中凄くたくさんの友人と話して当時知らなかったことや、もう忘れていた自分のことや、今のこと、本当におもしろかった。自分の親も当時ちょうど同じぐらいの齢だった。30年は、世代交代の周期。その巧妙なしかけにまた驚いた。こんな会を準備して運営してくれた10人くらいの仲間に心から感謝です、とここで書いてもしょうがないですけど。
学校がいつまでも変わらないでいてくれるのがすごくありがたいです。時代のニーズやビジネスの波や消防法に対応して変わってもらっては、卒業生の霊魂が行き場を失います。
yoneyamaさま
おはようございます
今年の春亡くなられた、国際教養大学の中島学長と同じ高校なのでしょうか。
私の身近に、縁の方が何人かいらっしゃいますので、いろいろなお話を伺う機会は多くあります。
yoneyamaさんの時代は、フランス語、ドイツ語の授業は、まだ残っていたのでしょうか。
おはようございます
さすが松本、学校から北アルプス、いいですね
私もいつも山への同行は高校時代の友人です
その他のクラスメイトも10人位とよく会って楽しく「おい」「おまえ」の会話を楽しんでいます
東京ですが、高校は残念ながら再編、統合で名前がなくなりました
寂しい!
カリオペさん
中嶋嶺雄先生初めて知りました。経歴で文革中国に渡航した下りなど冒険家なんだな!と思いました。校舎を見てきたあとだけに素敵な先輩のはなしをきくとありがたいです。
僕の入学する数年前までドイツ語とフランス語クラスがあったのですが、80年代は希望人数が少なくて開かれませんでした。実はぼくは中学生のころからなぜかドイツ語がとても好きで好きで、NHKラジオで独習していました。残念でした。
ヤスさん
高校時代の友人とはだれとも30年離れているので、ずっと続いて山に登っているというのもうらやましいです。大学時代の友人とはときどき登っていますけど。
学校が無くなるなんてさびしい!学校は、社会の都合でなくしたり名前を変えたりしてはいけないところだと思います。それに時代のニーズのグローバルとかなんとかいってホイホイ新設しないでほしいものです!
高校卒業30周年ですか!
皆さん風体もだいぶ変わったでしょうが、
会って話すと一気に高校時代に戻りますね、きっと。
私の甥っ子君もyoneyamaさんと同じ高校ですが、
どんな高校生活を送っているかな?
私の高校もおんぼろ(風格のある?)木造2階建ての
校舎でしたが、十数年前に一部を残して近代化されました。傍を通る機会があった時ちらっと見ましたが
自分の母校とは思えませんでした
さくさくさん
本当に長くて短い一日でした。とうぶんぼんやりしています。
卒業30周年で同期の10人くらいが自分の仕事の話を生徒にする特別講義という企画がありました。ぼくも仕事の話とイグルーの作り方(一応仕事)で、65分授業やりましたよ。甥っ子、誰の講義に出たかな?東京駅を復元工事設計した担当者とか、原子核の中の物質の研究者とか、弁護士の模擬裁判とかいろんな仕事の同級生がやって、どれも聞きに行きたくて迷いましたよ。でもいまの高校生、どこも反応が寂しかったみたい。とても静かでおとなしい。質問もしてくれなくて、昔とかなり違ってます。イグルーでウンコする方法ってところでかろうじてざわざわ聞こえただけでした!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する