![]() |
![]() |
1894年、日清戦役のとき、国内6カ所にあった陸軍の歩兵師団の中で、金沢の歩兵連隊には、まだ鉄道が繋がってませんでした。近代陸軍に鉄道の整備は欠かせないもので、日露戦争を終えるころまでに突貫で整備されたようですが、まだ追いついていなかったのです。大陸へ派兵するため国中の歩兵連隊は広島の大本営に集まり、呉軍港から船で朝鮮へ送られました。
金沢から一番近くの鉄道駅、敦賀まで徒歩で重装備を運ぶうち、半数近い1500名あまりが脱落したそうです。原因は、それまで日本人は靴を履いていなかった者が多く、支給された軍靴の靴擦れがひどく、歩けなくなったからなのだそうです。
近代陸軍が教育した身体運用法は、それまでの日本人の身のこなし方を根こそぎ変えたとは、 「身体の零度」 (講談社選書メチエ/三浦 雅士) や、古武術家の甲野善紀氏の本に述べられています。
靴を履かずに20年暮らしてきた足に、やはり靴というのは厳しいものだったろうなあ。先日、甚左衛門さんが靴で高尾山敗退していましたね。
浮世絵の人物の姿勢や手足のつき方がヘンに見える気がしますが、あれは絵がヘタなのではなく、本当にああいう足の運び方、たたずまいをしていたのかもしれません。泳ぎ方も、走り方も、山の中の歩き方も、今の西洋式が正しいとは限らないわけです。
胸をぐっと張り出した洋式軍人みたいなお侍の絵はあまりみかけません。皆少し前屈みで、いつ切り掛けられても応戦できそうな姿勢をしているものです。
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b128438.html
私も登山靴で長距離歩いて、ますます足の骨の変形がひどくなりました。
普通の生活でも親指がしびれてます。
裸足では仕事できないので、現在、骨を矯正するオーダーメイドシューズ作成中です。
まろくみさん
骨の変形、外反母趾のようなものでしょうか。靴というのは、案外わからないものですね。
人は、昔より歩かなくなったから、靴を履けるようになったのかもしれませんね。
そういえばヤブクマ氏はかつて、日本人の?足型をした面白い形のこげ茶色の靴をお持ちでしたね? アレの履き心地は如何でしたか?
ドイツのビルケンシュトック社という靴屋の靴ですね。あれは日本人というより、カエルの足みたいでしたね。革靴の範疇なら良い靴でした。昔(10年前)は大人なんだから革の靴が必要だなどと思っていましたが、もう10年はいていません。ずっとタビ靴かゴム長です。タビ靴のほうが指先が自由です。
こんばんは
先祖代々草鞋履きから、いきなり軍靴に慣れるのはチョンマゲ切るより大変だったと思います。
わずか二〜三年で靴を履けなくなったなんて甘いこと言って歩兵49連隊の方々と金沢の兵隊さんたちには申し訳ないです。
スカルパ社のアプローチシューズや、スニーカー、ジャングルブーツくらいは今でも履けますので、今週末に再チャレンジで登山靴特訓(リハビリ)するつもりです。
足指が使えない時の歩行は股関節にコツがありそうです。
ジンさん
和装から洋装へ、フンドシからパンツへと変わった時代の生の声を聞きたいです。洋装になってずいぶん経ったのに、1945年まではフンドシが主流だったのもなぜなのだろう?
さすがに雪や氷の季節は、藪山といえど靴を履かないわけにはいかないかなあ。でも昨年はスパイク地下足袋で一月、御坂の山に行けました。朝、日が当たらない時間は冷たかったです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する