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その山を降りて、1991年に一緒にヒマラヤに行ってから懇意にしていた仲間の七回忌集会に行きました。飛騨白川の山奥に、僕たちが作った彼の墓標があり、夜通し焚き火をして飲酒する会にやはり50人近く。高校、大学の山仲間、日本山岳会、海外遡行同人、サンナビキ同人の面々。
彼のムスコが凄く立派になっていて、オヤジに負けず劣らずの存在感を放射していて、凄く驚きました。若者カルチャー界では、結構な人気者になっているとのこと。
「何故人は山に登るのか?山には死があり、したがって生があるからだ。下界には多くの場合、それが無い」とは原真のことば。
「事故の再発防止策を検討」、とか「絶対安全登山のために」とか「命の大切さを教える」とかいう側面をシステムの中で考えなければならない役割の人も世の中にはいます。いますが、「人生にはどんなひどい不条理も起こりうる。それでも生き残りは、死者とともに生き延びなければならない。」ということを覚悟する事の方が本当に大切だと思います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-489228.html
Yoneyamaさん、こんにちは。
「山には死があり、したがって生がある」とは深い言葉ですね。現在の都会生活では、死はおろか、暑さ寒さも痛みも老いも、できるだけ平均にならされて、人工保育器に入ったような生活になりがちです。自分が山に行くのも結局は、そうした保育器を打ち破って生の充実を感じたいからなのかもしれない、と日記を拝読して思いました。もうすぐ月遅れのお盆がやってきます。草葉の陰で見守ってくれている人達に思いを馳せつつ、敢えて低山の尾根歩きでもやって、暑い夏を実感したいと思っています。
タンノさん
自然が好きで山に行くというけれど、本当の身近な自然は自分の身体であり、山に行くとそれが分かるからおもしろいと思います。
低山尾根歩きでも、町の中のあつさとは全然違うと思うな。
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