1960年代、三浦雄一郎がスキーで滑ってる写真
1960年代、吉田大沢の結構傾斜のある上部で数十人が雪上訓練している様子(今はヤバいのでやらない)
1960年代、七合目花小屋の冬季小屋(があったんだ)で小休止する青年
1960年代、今は閉鎖されている御中道のお助け小屋のご主人夫婦と小屋の様子
1960年代、井上小屋(吉田ルート五合目下の今は閉鎖している小屋)のご主人夫婦
1960年代、吉田ルートの、いまは廃墟になっている五合目以下の小屋や休息所の建物など
1970年代、佐藤小屋の先代や現主人の青年時代の写真
1960年代、一時放鳥されたライチョウの姿
1970年代、剣ケ峰大沢(大沢崩れ)の底から見上げた壮絶な冬景色
1960年代、屏風尾根(吉田大沢の左岸ルート)の吹きだまりで穴を掘っている様子
1960年代、お鉢の2時方向付近(山頂新巻)にあった地熱で雪が溶けているポイント
1960年代、剣ケ峰測候所の職員とのやりとり、中央火口の中
1960年代、大沢崩れの滝下の、水を湛えた窪地で憩う人
・・・・・・・
今の富士山は脚光を浴び、人が押し掛けています。警備&整備されたルートだけを多くの人は富士山だと信じています。たぶんあまり登っていない人たちによって、もっと規制したほうがいいんじゃないかなどと会議がもたれたりしています。
富士山には近い過去にも歴史があり四季を通じて、自由に歩き回って撮影した佐々木さんの目線が、今見ると本当におもしろいです。
あの形状なんだから、冬の登行ルートは、夏道にとらわれる必要、全くないのだよなあ。入れなくても小屋がならんでいると、つい心細くて夏ルート沿いになってしまうけど。何度も通うと、そんな新しいルートも見えてきます。まんなかの富士山図を見れば、今は使わなくなった屏風岩尾根ルート、七太郎尾根ルート、剣ヶ峰大沢右岸ルート、左岸ルート、主杖流しルートがあります。
富士行
佐々木留雄
1993年
BeeBooks
定価3000圓
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