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日本の美しいはずの景観を壊す、風景の中の送電線鉄塔、電信柱、看板、巨大建築、山の中で必ず見る堰堤、護岸工事の工業的なコンクリート構造物を写真豊かに並べて論じます。著者は日本の風景と伝統を愛して40年も関わっている外国人です。
「看板をたくさん並べて、あれを禁止、これに注意と連発し、訪問者をこども扱いすればするほど、訪問者はこどもらしく振る舞うようになる」
「注意看板を失くし、厳かな雰囲気を保てば、訪問者は自ずから節度ある態度になるはず」ということばに納得しました。
日本では、風景を撮るとき、名所の建物を撮るとき、凄く邪魔な看板と送電線に、毎日舌打ちしています。一生ぼやき続けそうです。
甲府駅前の武田信玄像の写真を撮ろうとすると、その前に電線がプラ〜ンですし、甲府城天守台から甲府の町を見下ろし富士山がどーんと見えるのに、その富士山の真ん前に電電公社のデカいアンテナ鉄塔があるのです。ここに来る人、みながっかりしています。
山の中の無意味看板と無意味土木工事には、山歩く人なら見覚えがあるでしょうね。特に、営林署や環境庁や建設省が建てるタタミ大のデカい看板は、「自然を大切に」「水源涵養林」など、デカさのわりに意味の無いものが多いです。早く朽ちてしまえ、と思います。
と、思わず共鳴の怒りが盛り上がるのですが、この本のよいところは口汚く罵らず、すべて華麗な皮肉で批判しているのです。そのお手並みは読んでみてください。
うちのこども(小四)が「皮肉」ということの意味を知りませんでしたが、この本を見てゲラゲラ笑って、皮肉を知りました。怒るばかりじゃなくて、人を笑わせてこうやって批判するんだな。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/v-036/
yoneyamaさん、もう読まれたんですね。同じ批評でもユーモアに富んだ表現は、受け入れやすいですね。日本の政治家も、顔をこわばらせるばかりでなく、もっと懐広く語ってほしいものです。
「景観」、個人のものともいえず、公共のものと言い切ることもできず、さらに経済的利害もあって、なかなか規制が難しいことだと思いますが、誰かが調整しなければならないこと。上から、そして下から、「文化」「文明」という大きな視点で動き出す必要がありますね。杉の問題にしても、原発汚染にしても、自分たちの世代が、国土を損壊したこと、次の世代の人たちに対して痛切に責任を感じています。
先日の「半農半X」のお話、共感を覚えました。藻谷さんの「里山資本主義」のことをちょっと思い出しました。有効かどうかは不明ですが、日本の(明るくない)未来に対して、「マネー視点」ではない見方も個人として取りうるのだと、改めて考えた次第です。豊かさとは何か、大きいお話ですね
いやまったく、こんな選挙のあとだけにですね。100年後のことを考えてはいないような経済経済政権ではなあ、今に始まったことではありませんが、いつか始めなくてはいけないのになあ。
国会の論戦聞いていると、人の事をこきおろすような物言いばかりで聞いているのが辛いです。大人のくせに。
人を頼らず自分の人生として考えようと思います。あたりまえのことですけどね。
近所の公園にも、アレ禁止の看板あります。こないだいった多摩川の河川敷にもコレ禁止の看板あり。1年生の息子がもらってくるプリントにもソレ禁止。
ゆとり教育のせいにしなくても、こんな環境じゃヤル気ない人間が出来上がるわけですよ。
禁止看板ってのは、自分らの保身のためだけに悪者を創造するという巧妙な罠ですな
ケーサツにあれ撮るなここ入るなと言われるたび、こどもみたいにむかつきます。大人になれません。
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