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○旧東海道は、いま温泉街が繋がって駅伝もあって栄えている右股の早川流域(国道一号線)ではなく、左股の須雲川沿いだった。
○旧東海道の箱根関所は芦ノ湖の南端で地形的にも関所。2007年に復元された関所がとてもわかり易かったです。確かな絵図資料を元に復元するこの動きは賛成です。
○近代になって通じた登山電車の急斜面路線が凄い。スイッチバック3回。急カーブ連発で車両も短い。そのすぐ下にまたまた狭い自動車道路が通じていてこれまた凄い。1919年開通。
○温泉だけで20カ所。よくもまあこんなに宿があって、しかもお客でいっぱいなんだなと驚くほど。噴火警戒の影響で減っているとはいえ、中国からの旅行者も多い。ホテルで働く人たちも多いのだろう。急傾斜地なのにそのための集合住宅も多い。
○箱根馬子唄の全国大会をきょうやっていました。
箱根八里は(ハイハイ)馬でも越すが(ハイハイ)越すに越されぬ大井川(ハイハイ)
江差追分と同じ、若手も含め300人も参加する奥の深い民謡です。曲も似ています。こどもの頃の日曜午どきはのど自慢でこんな歌を結構やっていました。懐かしいです。
○旧東海道のラインを描いた図を、小田原市郷土文化館で買い求めました。2001年編200圓。いつか馬子唄歌いながら八里32キロ馬引いて歩いてみたいなあ。
○郷土文化館のある小田原城の南よりを通りましたが、松や楠の巨木があり掘には蓮が美しく、門や箱型の復元も進んでいました。同じ時期築城の甲府城が、殺風景だなと思いました。山梨県庁がいまだに建っているので遺構の復元もなりません。
○箱根湯本の早雲寺には、滅亡後17世紀に建てた北条家五代の墓がありました。早雲寺のある小高い崖山が、湯本の真ん中にあり、いかにも聖地という場所でした。立て看板を読めば、1590年豊臣秀吉の小田原攻めの際、この寺を陣地にして小田原城との間に一夜城を造り、完成後移動の際に寺を焼いたと書いてありました。ムタイですねえ。
○滝廉太郎の「箱根八里」は始終脳内ハナウタだったのですが、若い人は一切知らず。全編歌って聴かせても知りませんでした。うっとりするような歌詞なのですが。「羊腸(ようちょう)の小徑(しょうけい)は苔(こけ)滑らか」でした。
ヤマレコの地図検索すると、このハコネ山にも無数の足跡が。トレランの人は一日で外輪山一周している人も。
「箱根八里」は中学校で教わったかもしれないです。
出だしのフレーズが頭に残っていますが、
地名(漢字)になじみのある地元の人でないと、
「かんこくかん」とか、難しい表現が多いですね。
「ようちょうのしょうけい」は意味を教わった事を
覚えています。へぇ〜っと、ものすごくびっくりしました。
箱根周辺の情景が頭に浮かぶいい歌詞だと思います。
「箱根八里の半次郎」なら誰でも知ってますね
函谷関は、さくさくさん、地元の人でも馴染みはないはずですよ。中国河南省の関所なんですから。漢籍古典の教養がわかるようになった大人になって初めて意味を知るという仕組みの童謡なんですよ。
「かくこそありしか往時のもののふ」というあたりは情景が浮かび、いいところですね。
なるほど!
今まで「早雲山」という地名について考えたこともありませんでしたが、あれは北条早雲からきているのですね。
北条家五代の名、今回始めて知りましたよ。早雲は初代、伊豆の韮山から小田原にやってきて相模を治め、五代百年で関東全域まで勢力を広げたそうですね。郷土館の図で知りました。同時期の武田家もそうですが、滅亡のときは泣けたでしょうねえ。
ロープウエイの乗り場が早雲山駅で、その上に早雲山と早雲地獄という噴火谷がありますね。梅雨の濃霧と噴火警戒で近づけず遠望も出来ませんでしたが。
追記:「日本山岳ルーツ大辞典」によれば、北條早雲が、その前にこの地域を治めていた大森氏の出城を攻めたことが由来だそうです。出城がこの山のあたりにあったようですね。
箱根の温泉街って変わってますよね、山道を登って行くと〇〇温泉郷がいくつもでてきます。
それを繋ぐ登山鉄道、紫陽花や紅葉を愛でつつ登る京都の叡山鉄道をさらに山に特化させた感じで大好きです。いつか、外輪一気周りをやってみたいものです。
温泉郷が20もあるんだって。車でプイ〜ンと乗り付けたら、どれがどれだかわからないですよ。歩ける足があって、本当に良かったと思います。
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