窓の外に目をやると一面の雪…!!
長靴の小学生達がはしゃいでいる。
藤沢の雪かぁ…。
生粋の横浜っ子(仕事でお伺いしたおばあちゃん)は
「昔は雪かきすることもあったよぉ〜。 」
と。
昼過ぎ、
新潟の母からメールが届く。
『そちらは雪だそうですね。転んでいませんか?』
それと一緒に、
母の実家(私の祖母の家)の取り壊しが始まったとの知らせ。
2度の大きな震災により被害を受けた母の実家。
育った家が無くなることに
母は『とても寂しい…』と。
祖母の家は、田んぼに囲まれた農家。
大きな納屋と土蔵があって、真ん中に池があった。
幼少時代
私は、暗くなるまでタモ(網)を振り回し、
近くの小川でタナゴやフナを捕った。
大雨の後はいつも、
どこかの養鯉所から5センチばかりの
美しい錦鯉の子ども達が逃げ出してくる。
待ってましたとばかりに
いつもは狙えない上質の獲物を狙う。
(その頃、ありふれていたメダカやドジョウやザリガニは
私にとっては雑魚であり、捕まえる対象外だった )
そして
捕まえた魚達は池に放して飽きるまで眺めていた。
蛇の抜け殻を集めたり、
ホタルを捕まえたり、
非常に幸せな幼少時代を過ごすことができた祖母の家。
すでに、10年以上前に小川がコンクリートで整備された時点で、
タナゴは全滅。
囲まれていた田んぼも半数近くが住宅に変わり、
ホタルも消えた。
それからは
ほとんど足を運ぶことがなくなった祖母の家だが、
そんな楽しかった時代を思い起こすと
私にとっても
取り壊しは切なく、とても寂しい。
40年位前までは、人が手をいれることで成り立つ農業でしたが、今は人ができるだけ手を掛けない農業に変わってしまいました。
経済的には、機械や農薬により効率は上がりましたが、色とりどりの花が咲く田圃のあぜ草や蓮華の花は消えてしまいました。
どちらが良いかは簡単に結論を出せませんが、味気なくなっていることだけは確かです。
幼少の頃は、強く優しく……だったんですね。
関東地区に雪が積もると、歩行事故が多発しますが、
karamomoさんは、(柏崎ですね)こけた事がありますか?。
私の妹が伊勢原に、娘が十条にいますが、こけた話は聞いた事がありません、雪国育ちですからね。
女の子は、すべり下駄と言うのがあって、(下駄の下に竹を張ったもの)それで滑っていました。
多少重心が動いても、体がひとりでに対応するのでしょうね。 riki
shigeさん>
そうですよね。
昔はあぜでフキノトウを採ったり、
ツクシをとったり、セリを採ったりしていました。
花を摘むのも大好きだったのですが、
新潟はシロツメクサが、ほとんどで、
実は、科学の絵本で見た
『レンゲの花』を見たことがありませんでした。
シロツメクサに少し似たピンク色のレンゲの花って一体
どんななのかな〜 ??
ずーっと見たくてたまりませんでしたが、
願い叶って、5年ほど前に、扇沢からの帰り、
安曇野の田んぼで見ることができました。
レンゲ畑というにはまばらで少し寂しい感じでしたが、
感動しました。
私の周りの同世代の人たちでレンゲ畑を知らない人、
ほとんどなのではないでしょうか?
そして、実は
この秋にレンゲの種を少し庭にまきました。
連休くらいに咲いたらいいな
rikiさん>
そうですね。関東の雪ではコケませんね。
新潟でも滑る場所は、
除雪後の平らな道などで、
凍って氷のように固くなった雪の上に
新雪が降った場所くらいで、
氷が厚く張った場所では、わざとスケートごっこ
などして滑って遊んでいましたね。
たしかに雪国での転倒事故はニュースにならないですね
そういえば、
丹沢や奥多摩など関東の沢では春先にシカの死体をたくさん見かけますが、
東北の沢では、一切見かけたことがありません。
土地により、動物も鍛えられているのでしょうか?
東北の日本海側には、鹿は生息しておりません。
こちらでは、天然記念物に指定されている、
カモシカがおりますが、鹿のように群れを作らず、
単独で行動します。
鹿よりは絶対数が少ないのでしょう、
雪崩に巻き込まれたと、思われるもの、
老衰と思われるものなど、見ることがあります。
それを餌とする、月の輪熊、狐、狸、イタチ,テン、
猛禽類のイヌワシ、クマタカ、ノスリなどが、
多く生息しているため、ほとんど、
見ることがないのでしょう、
ハンターのマメ知識ですかね。
rikiさん>
コメントありがとうございます。
そういえば、
新潟の山でもタヌキとキジしか見たことがありませんでした。
丹沢にもカモシカがいますが、
会えるととても得した気分です。
人を見ても逃げない関東のシカは
ハンターの方にとっては
もしかしたら違和感があるかもしれませんね。
悲しいことです。
自分の成長を見守ってくれた家
自分の成長の記録が刻まれた家
その家がなくなったら 帰る所がないじゃないですか
お母さんは寂しいでしょうね
自分の実家も近い将来・・・・
安曇野の田圃の蓮華、今は見せるために蓮華畑にしていますが、40年前の安曇野の田圃のレンゲは、稲の窒素分の肥料とするために9月初めの稲刈り前の田圃に種を蒔き、春5月中旬の花が咲いたあと鋤き込んでいました。
今のように田起こしが4月中旬に始まり、秋の収穫も機械で行うようになってレンゲを田圃に蒔くことはなくなりました。
温暖化で田植えの時期が遅くなるとレンゲが復活するかも知れませんが。
庭に蒔かれたレンゲ、5月の花が楽しみですね。
はじける種で増やしてください。
koshibaさん>
そうですよね…。
家が建て変われば、
もう自分の家というかんじではなくなってしまうでしょうね…。
母親には今度は、我々子供達の新居や孫の家で
たくさんの思い出を作って欲しいな…って思っています。
shigeさん>
確かに、安曇野で見たのは『レンゲ祭り』でした。
あんなかわいらしい花で根粒が肥料になってくれ、
ミツバチも呼ぶ…。
そう考えるとレンゲってすごい花ですよね
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