そして平野部では往々にして河が境界になっているところもあるが、山国では地域は川でつながっていて、それぞれの物資も、人も道も、水の流れに沿ってつながっている。
( 流域(水域)によって、それぞれの集落や郡がベースとなって、岐阜県の地域の形になっている。)
写真1: 農林水産省のHPから現在の岐阜県の市町村地図
" http://www.machimura.maff.go.jp/machi/map/21/index.html "
写真2: 合併以前の岐阜県地図 (2002年7月 岐阜新聞社「岐阜県万能地図」より)
( 南部の美濃地域はそれぞれ、西濃/岐阜/中濃/東農の4つにわかれるが、流域で言えば揖斐川/根尾川/長良川/木曽川であり、北部の飛騨地域は、木曽川の支流の飛騨川を中心にまとまる。)
写真3: 戦国時代の岐阜の地域図 (県史21「岐阜県の歴史」2000年10月より)
・ 最新の市町村とくらべてもほとんど違和感がない。
( 合併後の市は、戦国時代の郡にあたりそんなに違和感なく見て取れる。)
( 私の住む関市は武儀郡とほぼ一致していて、水域でいえば板取川と津保川のV字の形にほぼ一致している。)
・ 違和感を感じるひとつは、現在の岐阜市の部分で、ここは不勉強で歴史がよくわからない。
・ もう一つ、美山(山県郡)が今の美山(山県市)よりスリムなのが目につく、2つの美山を注目してみると。戦国時代には乾地区(柿野)は、武儀郡で、合併で初めて山県郡に併合されています。
( 水域としてみた柿野川は板取川の水域で、地形的にみれば板取や洞戸に近い地域なのか?、今回の納谷の峠が、神崎川と柿野川の北の分水嶺で、以前の日記に書いた大池は南の分水嶺に当たる。)
・ それで考えると、戦国時代の郡の境は、相戸の南北尾根から峰山納谷にかけての稜線になるのかもしれない?
( そういえば、相戸岳の説明にも、そんな歴史が書かれていたような気がします。)
< 過去の日記: 美山の民話と歴史から >
川と流域の資料から見た美山の歴史、大池…は扇状地? 2021年03月26日
" https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-234888 "
柿野の民話! 大蛇は夜叉ヶ池に? 大池に沈めた不吉な鐘は美濃市大矢田へ? 2021年03月24日
" https://www.yamareco.com/modules/diary/173565-detail-234707 "
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