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さらに、この道や他の八幡尾根経由の古道のことを調べようと図書館で文献をあさってみたが、なかなかいい物がない。
探っていくとだんだん古いものに遡っていき、結局「甲斐国志」という厚い本に辿り着いた。
これは江戸時代の文化11年(1814年)に書かれた当時の甲斐国の最初の総合的地誌である。今からちょうど200年ほど前だ。
この中に「金峯山」という項目があり、当時の登山(参拝)道のようすが詳しく書かれていた。驚いたのは下記の「御室小屋→片手廻しの岩」のあたりの記述。先日私が歩いたルートの様子とかなり似ている。
「御室川ヲ渉リテ御室神社ニ至ル
社前二番所アリ四架七梁ニシテソノ当中ヲ神門トス
左右ニ厨竈ノ儲ケアリテ道衆ノ休宿ニ供ス
西ニ浴室アリ東ニ○房アリ
御室神社ヨリ山宮ニ至ルオヨソ50丁坂下ニ第九華表ヲ建ツ
コレヨリ路、スコブル崎○タリ
断崖ニ鉄鎖ヲ下シテ登攀スル者二所
マタ大梯ヲ施ス処アリ八ッ子梯ト名付ク
コレヲ上ガレバ道傍ニ隻手回シトイウ数丈ノ巌アリ
側ニ勝手明神ノ祠ヲ置ケリ・・・・」
(文中の○は読めない漢字)
さすがに現在神社はないが、御室小屋の場所に当時すでに山小屋があったらしい。(しかもお風呂付き!)その先、片手廻しの岩(写真左)までの途中の鎖場、ハシゴもおそらく現在の場所と同じに違いない。
御岳道についてだけでもまだまだ記述があり、他のルートのことも書いてあるので非常に興味深いのだが、いかんせん全文漢字(時々第二水準にもないものも)とカタカナのみ(写真右)。句読点、段落一切なしなので読みにくいこと甚だしい。
で結局こりゃ現代表記に直さなけりゃダメだ、ということでメモを取り始め、金峰山の項だけだが完成した。
なお、もちろん富士山、八ヶ岳、鳳凰山などなどの項もあるのだが、金峰山だけで丸二日がかり。他はまたいずれ、というペースになりそうだ。
「甲斐国志」て200年前の文献を実際読むことできるんですね。すごいですね。ワクワクしちゃいます。
大変興味深く拝見させて頂きました。
八王子を祀る石祠をは今度裏まで観察してこようと思います。
祠北路傍の揺石もさがしてみようかなと。。。
H2.7m W2.4mですか。動くかな。。。
pasocomさま版、現代表記でも、漢字多くて読むのが大変です。
お疲れ様でした。
富士山、八ヶ岳、鳳凰山も楽しみにしております。
そのうち、川中島までの道をさぐるで
「甲陽軍艦」とかいかがでしょうか
そういえば、編笠山の上、ギボシの下の「ノロシバ」って信玄時代の狼煙場のようです。
いつもありがとうございます。
「200年前の文献」と言っても写真にあるように中は活字です(^^)。
いま奥付を見てみたら「昭和41年発行」だそうで「会員配布」と書いてあるので販売したものではないようです。借りてきた本にも蔵書印が押してあるので個人所有だったらしい。
>そのうち、「甲陽軍艦」とかいかが。
それはほとんど無理でしょう(^^)。国志の方だけでもご期待にそえるかどうか・・・。
>編笠山の上、ギボシの下の「ノロシバ」って信玄時代の狼煙場のようです。
そうですか。私も「ギボシ」は「擬宝珠」だから形からの命名、「ノロシバ」は「狼煙場」だろうとは思っていましたが、そこに信玄が出てくるとは!。
それにしても狼煙を上げるためにあそこまで出かけていったんでしょうか?。すごい手間ですね。
ひょっとすると青年小屋のあたりで煙らせたんでは(^^)。
昔、ノロシバの山頂で、ここに狼煙台があったんだと思いつつ若神子と長野側の景色を眺めた記憶があります。
両側からの視界のある好立地だったような。。。
>狼煙を上げるためにあそこまで出かけていったんでしょうか?。すごい手間ですね。
その時、おっしゃることと同じことを考え、調べ、確かノロシバに在駐する人がいたと思います。
大変な仕事だと思った記憶があるのですが、、、今や、あいまいです。
家にある思い当たる本見たのですがはっきりとは分かりません。
(当時は、兵士を農家から徴収して農閑期に戦をしたことから、冬に機能しないと話にならないですね。あんな寒そうな所に冬在駐は無理そうだし。。。)
権現は八ッの山岳信仰の中心だったようで、調べると色々出て来そうですね。
また、何か判りましたら教えてください。m(_ _)m
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