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私にはまったく縁のない話(^^)
ただ、その仕組みについては興味津々だったので、ちょっと調べて見た。
にわか知識でしかないが、うっすらとわかったことは・・・
「こりゃ、ヤップ島の石貨と同じじゃないかい??」というトンでもない結論だ。
太平洋はミクロネシアに浮かぶヤップ島には「石貨(せっか)」と呼ばれる石のお金が流通しているんだそうな。
「石貨」は大きいものは直径2mくらいもあって重量は「トン級」のものもあるらしい。
そんなに大きいから実のところ、取引に使われたとしても動かすことは稀なんだそうだ。
AさんがBさんから何かを買って、その代金を石貨で払ったとすると、どこかに転がっている大石が、いままでは「これはAさんのもの」だったのが「これはいまはBさんのもの」と認識が変わるだけなんだとか。
そして、その「認識」は取引した両人だけが知っているという訳だ。
(周りの誰かが知っていてもいいけど。)
ネットであれこれ調べて見ると結局「bitcoin」もほとんど同じ理屈なのに驚いた。
商品の代金をbitcoinで支払うと、Aさんの所有するコインがBさんの方に移動する。
しかし、それは単に「デジタル信号」にすぎない。「移動した」と両人が認識するだけのこと。
現代の貨幣は国家がその価値を保証しているけど、ヤップ島では石貨の価値など誰も保証していない。それは島民みんなが「これには一定の価値がある」という「共通認識」だけだ。
そしてその所有者を決めているのも「認識」だけ。
bitcoinに価値があると思っているのは「bitcoin島の住人達」だけだ。
しかもbitcoinの取引はその当事者以外わからない(銀行がないのだから通帳とか記帳とかがない)ので、記録が残らず外部から検証することが出来ない。
「直(じか)取引」で手数料など取られないからクレジットカードや銀行振込より有利なんだそうな。
ただ、石貨と同じで、その所有者は当人同士しかわからない・・・・。
まったく同じ!!
まあ、違法取引きにはうってつけな仕組みのようだ。昔は「スイス銀行に振り込んで。」なんて言ったものだけど(^^)
デジタル社会が発展して、「現金」というものの役目は少なくなり、誰でもクレジットとかネット銀行で決済が出来るようになってきた。「夢見た未来」のようだ。
で、もしも現金(現物の貨幣)というものが完全に駆逐される時代になれば、「資産」とか「貯金」とかいうものは全て単なる「デジタル信号」に過ぎなくなる。
貯金通帳をながめて「自分は金持ちだ」とニヤニヤするのと同様にパソコンモニタで自分の資産がある(ような気がする)のを確認する・・・・。
そんな時代に「お金」ってどういうことになるのか。
そう考えると、やっぱり「ヤップ島の石貨」じゃないか。
回り回ってそこにたどり着くのか!と思ったのだった。
こんにちは。
私も「bitcoin」は全く分かりませんが、ヤップ島の石のお金はよくわかります。
そもそも、お金と言うのは物々交換の代わりになるものだと思っています。いってみれば穀物の貯蔵のようなもので腐らないし持ち運びが便利なものだと思います。
しかしながら、紙でつくられたお金を見てニヤニヤするのは人間だけで、紙のお金そのものに価値を感じるのは動物では紙を食べるヤギぐらいしかいません。
食べられないし着ることもできない紙のお金よりも、そういう意味では重くて運べないヤップ島の石のお金の方が価値があるように思います。ましてやパソコンに表示される数字なんて。
私はそういう感覚はやっぱりおかしいと思うので、そういう意識を排除するというか本来の物々交換的な意識を自分に課してトレーニングをしています。どういうことかというと、食べものに対してありがたいものだという意識の強化です。便利な電気製品や道具をみてその価値を尊重することです。難しいですが清貧という精神にも通じます。シンプルライフというような考えにも通じます。
いろいろと長く書きましたが、今日の日記はとてもいいですね。お金というものの価値に対する日頃の私の意識の再確認ができた感じです。
コメントありがとうございます。
「お金とは・・・腐らないし持ち運びが便利なものだ。」と。
金(きん)が基本価値と呼ばれる所以ですね。金は錆びないし、小さくて運びやすい。
しかし、金(きん)は、運びやすいがために、取引に使われた場合、現物が必ず所有者のところに移動しますよね。結局、それは一種の「物々交換」に過ぎません。
また普通に流通している貨幣・紙幣も現物が移動する、という観点からすると「物々交換」の発展形みたいな気がします。
しかし、ヤップ島の石貨はまったく移動しない。
(小さい石貨は所有者の家に移動させることもあるそうですが)
私が着目したいのはそこです。その石貨が誰の所有物か? それは「共通認識」(デジタルじゃないけど一種の信号または記号といっていい)だけだということです。
bitcoinは、コンピュータ時代の「仮想通貨」だそうですが、さすがに「仮想」というだけあって、そこには実態というものは一切なく、「認識」だけが頼りになっている。なにしろ実物は何一つ移動していないのですから。
それがわかって、逆に「ヤップ島の石貨」というのは実は、こういう「仮想通貨」の先駆けじゃないのか?と思ったので、それを逆のアプローチから書いた日記なのでした。
(ヤップ島の石貨は、実用上の価値はまったくない、のだそうです。そりゃそうだ(^^)・・)
あっ、そうですね。
移動しないヤップ島のお金とビットコインに対するpasocomさんのポイントと私のお金自体の価値のコメントとは少しポイントが異なっていましたね。
ただ、どっちにしてみても、紙のお金にしても共通認識ということで価値付ける訳ですから共通の社会生活がそこにある訳ですね。一人で無人島に暮らすにはお金はいりませんし、猿の国に行ったら、宇宙人の星に行ったら、共通認識というものが変化しますから、そういうところではお金に代わる価値は何なんでしょうね?
するどい切り返しが来ましたね(^^)
まさに私が思っていたところです。
紙幣も結局のところ、そのもの自体はヤギの食料になる以上の価値がない。そこに価値がある、と認識する(思い込む)のは社会の「共通認識」だけですね。
そういう意味では福沢諭吉も石貨も大差ないとも言えます。
お金とは「物の価値を計る物差しだ」と聞いたことがあります。
では、「猿の国に行ったら、宇宙人の星に行ったら・・・」
普遍的な「物の価値」とはいったいなんなのでしょう?
私は、やはりマルクスが「資本論」で書いたように「物の価値の根源は労働である。」が正しいんじゃないかと思います。
労働が込められていない物にはまったく価値がない。川の畔で水を汲んで売ろうとしても買う人はいません。しかし、同じものを砂漠に運べば価値が上がる。
金(きん)がごろごろ転がっている星があれば、金に価値はないでしょう。
結局、誰かがどれだけ労働を込めているか、が物の価値を左右しているんでは、と思うのでした。
そして、その価値を計る尺度が、古くは動かぬ石貨であり、その後貨幣として現物化し、ついにデジタルで再び「認識化」するのかと。
まあ、「お金」というのは「物差し」にすぎないってことですかね・・・。
ふふふ・・価値論まで行きましたか
「名体具有」(みょうたいくゆう)って言葉があります。
名は体を表わす的な、姓名判断の大元の原理です
PC演算の最小単位ビットを金に見立てた行為なんでしょうね・・
その1ビットが、1ギガあたりに化けたのでしょ(笑
システムエラーの暴走でしかないですね
さてさて、逆もまた真なり・・ギガがビット以下にもなりえるのでしょうね・・
で、最小単位を宇宙にすれば、クォークですかね。
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まぁ、大々的な新手のポイント詐欺って言ったら怒られるのかしら??
混沌としたカオスの時代・・何に信を置くのかを問われる時代ですね・・
でわでわ
コメントありがとうございます。
お金というのはこれだけ生活に密着しているのに、よく考えてみると、これほど不思議なものはないですね。
「現代の貨幣は国家がその価値を保証している。」と書きましたが、「ユーロ」の価値は一国家が保証出来る範囲ではないですね。
「外国為替市場で円ドル相場が・・・」などといいますが、「ユーロ」を拡張して世界中が単一通貨になれば、こんな難しい問題もないのにと思います。
言語に「エスペラント語」という概念があったように(成功しませんでしたが)、通貨にも世界共通の物があったら、さぞかし楽チンでしょう。
「bitcoin」はある意味、世界共通通貨の走りみたいなものかもしれません。今現在はかなり怪しい代物ですけど。
ただ、その時には「外為相場で儲ける」などということは出来なくなり、何が物の価値を左右するのか、その概念をはっきりさせないと「お金」の根拠さえあやふやになりそうです。
「世界共通の価値観!」。
なんだか壮大で楽しくなりませんか?
pasocomさん、こんにちは
bitcoin、私も縁遠いものですが、以前ラジオで「月謝の滞納金3万円をbitcoinで支払われ、後日、見てみたら1000万円になっていて驚いた」と聞きました。
その人、そのbitcoinをどうしたかが、気になります。
コメントありがとうございます。
bitcoinが世界で初めて使われるようになった時代(といっても数年前ですが)、一枚のピザの値段(bit)が現在の1000万円にも相当するのだという記事を読みました。
また、「3万円のbitcoinが後日1000万円になった。」ということは、結局「bitcoin」に価値があるのではなく「日本円」という通貨に価値があるから、「価値が上がった」といえるのでしょう。
このように「bitcoin」の価値などと言うのは心許ない。
というか、「ルピア」とか「バーツ」とかも、いっときもてはやされてもすぐに価値がなくなったり。
いや、ドルや円でさえもこの荒波に揉まれっぱなしで、いったい何が確かな価値なのか??
世の中にいろんな通貨があり、本当はそれぞれの通貨にさほどの価値の上がり下がりはない。
でも、それらを適宜両替していくような目先の利く人達がこういう相場を動かしているそうです。
bitcoinが話題になったのも大半は投機目的だったとか。
世界が単一通貨になれば、少なくともこういう「投機」での儲けはなくなるんだろうと思うのですがねえ・・・・。
こんにちわ〜。私もbitcoinとは全く無縁・無知な暮らしをしていますが、
地域通貨ってのもありますね。
上田市には「ま〜ゆ」というのがあります。
http://mayu.lolipop.jp/santo/
会員制の様ですが、労働の対価だけでなく、知恵・技術・時間・人柄をも財産と考えて
交換・交流によって人びとの絆を深め、楽しく心地よく暮らせる持続可能な自立した地域を目指すんだそうです。
私も一度イベントのお手伝いをしたときに、ま〜ゆでの支払いOKってのがありました。
お金の利益を目指すだけでなく、こういう財産の使い方・得方はいいものですね。
コメントありがとうございます。
そして、「ま〜ゆ」のご紹介もありがとうございました。
ご紹介の「ま〜ゆ」ページに、
『各自が提供できる「モノ・コト」と希望する「モノ・コト」を地域通貨「ま〜ゆ」で交換します。私たちはこれを「お助け」と呼んでいます。「ま〜ゆ」は、「円」と違い、“ありがとう”の心を表現できます。』
とありました。
実は、本文で書いた「ヤップ島の石貨」も、私たちが考えるような「商品」の買い物に使うのではなく、集落が敵に襲われた時に助太刀してくれた、というような大きな事件のときにこそ使われるのだそうです。まさに「"ありがとう”の心を表現」しているのでしょう。
こう考えるとヤップ島の石貨も「地域通貨」の一種ですね。
「市場では成り立ちにくい価値も認め合い・・・・」とのこと。
何に価値を認めるのか? という難しい問題を提起していると感じました。
pasocomさん、皆さんコンバンワです。
昔の人は良い事を言いました。
『価値ある仕事』本当の意味はちょっと違いますが、色んな人のコメントを読んでいたら、この言葉につながりました。
『価値ある仕事をして対価をもらう、これが本当の価値である』が誰かの口癖でした。
kintakunteさん、コメントありがとうございました。
『価値ある仕事をして対価をもらう、これが本当の価値である』
『価値』とは「社会に役立つ』というような意味なのでしょうね。
今の社会では人間がお金を稼ぐ方法には二通りあるように思います。
一つは、そのように働いて対価を得るというまっとうな方法。
しかし世の中に蔓延しているもっと巨大な方法は「投機」ですね。株や為替、先物商品など世の中は投機で満ちています。
bitcoinを買った人達もネット上で決済するのが簡単だというような「実用」で買ったのではなく、単に値上がりを期待して、という「投機目的」、それも「ハイリスク」を承知の上で、というのが多かったようですね。
ニュースでMt.Gox社前に押しかけていた「利用者」が一様に案外落ち着いていたのが印象的でした。
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