「中山峠からニュウへ続く道と稲子岳の間って、面白い地形ですよね!
秋に天狗から見た時、とても気になりました。」と。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-415149.html
そう、稲子岳って実に不思議な地形だということ、レコのルート地図からも見て取れる。(左図)
葉っぱのような形の巨大カルデラ?なのか中山峠あたりから見下ろしたところでは平らなテラスみたいに見えるのだが、実際は中央部がかなりくぼんでいるらしい。噴火口のようにも見える。噴火口だとしたら富士山級の大きさだが・・・。
そこでこれはちょっと調べて見ようと思い立った。そのことはコメレスとして書いたのだが、あらためて日記に書いておこうと思う。
ネットを調べて見たら下記のような論文が見つかった。肝心な所だけを抜粋すると
『カルデラ頭部には稲子岳が長軸1000m,短軸700m,高さ200m,推定体積1.4億m3の巨大な移動岩体として残っている。
この移動岩体は887年の山体崩壊時に形成されたのであろうか,それとも,887年以前から移動岩体は存在し,その一部を含めて大規模に山体崩壊を起こしたのであろうか。この移動岩体には風穴がみとめられ,基盤からほぼ完全に分離している(飯島・他,1998)。
稲子岳を載せた移動岩体は今後の地震や豪雨,後火山活動によって,大きく崩落し,新たな岩屑なだれを発生させ,千曲川を河道閉塞し,天然ダムを形成する可能性がある。このような観点から,稲子岳の岩体の変動状況をGPSなどによる移動量観測によって把握すべきであろう。』
<長野県中・北部で形成された巨大天然ダムの事例紹介−八ヶ岳大月川岩屑なだれと姫川・岩戸山の大規模地すべり−>
財団法人砂防フロンティア整備推進機構 井上公夫 氏の講演報告書より。
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_26/HE26_106_107.pdf
なんでも887年(平安時代)年8月22日に起きた南海−東海地震で,北八ヶ岳の火山体が強く揺すられ、大規模な山体崩壊が発生した。のだとか。
この地震はWIKIPEDIAによれば
「『日本三代実録』には、京都において諸司の舎屋や民家の多くが潰れ死者も出し、五畿七道諸国に亘り官舎の倒壊、津波による多数の溺死者を出したとする記録がある。」という大地震だったらしい。
で、その地震のために山が崩壊したのが現在の稲子岳の地形になったということだ。元はどんだけ大きな山だったのだろう。おそらく天狗岳より高かったんでは?
で稲子岳の山体は下の地盤とくっついておらず、今現在もまるでカーリングのストーンのように滑って移動している!
ちょっと信じがたいような驚くべきことなのだっだ。
左図)稲子岳周辺のYahoo地図
右図)中山峠付近から見た稲子岳
おはようございます
八ヶ岳周辺というのは、本当に面白いところですね。
先週から山行にあたりいろいろ調べてますが、関西では2000mまでが最高峰・・
2000mを越えて3000mに届こうかという標高と独特の天気の推移・・
さらに加えて・・巨岩の移動ですか??
真剣にホームと言えるまで、様々なルートを行きたくなってます(^^;
何気に地図に表示されている「中山」・・
関西にはその標高もないのですから・・(笑
八ヶ岳には、独特の寒気・冷気を感じるのはわたしだけでしょうか(^^;
ともあれ、ちかじかお邪魔させていただきます
でわでわ
八ヶ岳伝説というのがあって地元ではけっこう有名な話ですが・・・。
「昔、八ツの神様と富士の神様が背比べをしようと互いの頭の間に樋を渡して水を流してみたそうな。
すると水は富士の方に流れていった。気位高く気性の荒かった富士の神様(女神)は怒り狂って樋を掴むと八ツの頭を叩きつけたんだと。
八ツは頭が割れて、以後、富士山よりも背が低くなってしまったんじゃ。どんと晴れ。」
まあ、ことほどかように八ツというのは崩壊しつつあるようです。(これで理解できるんでしょうか??)
山梨の周りには3000m級の南アルプスもありますが、冬は林道が閉ざされアプローチできない。
それに比べると八ツは真冬でもいろんな所からアクセス可能です。
また、雪が積もるとは言え、半分は太平洋側の気候ですから真っ青な空が広がることも多いです。
その紺碧の空と白銀の山容のコントラストがuedaさんの感じる「独特の寒気・冷気」の雰囲気を作っているのかも知れませんね。
「ホームと言えるまで」どうぞ通ってみて下さい。
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