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すると、甲斐国志にはこんなことが書いてあったのだ。
「権現ヶ岳、小岳、赤岳、麻姑岳、風の三郎ヶ岳、編笠山、三ツ頭、その他種々の呼称ありと云う。」
なになに!「風の三郎ヶ岳??」なんだそれ?
調べて見ると「風の三郎ヶ岳」は、もちろん「風の又三郎」と大いに関係があるのだった。
『どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ』
という出だしで有名な、宮沢賢治の童話「風の又三郎」には、下敷きとなった前作「風野又三郎」という話があった。
その中には、又三郎が「かまいたち」にあった嘉助に「サイクルホール」の話をする場面がある。
『ふん、そうだろう。痛いはずはないんだ。切れたんじゃないからね。そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。・・・・
甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八ヶ岳の麓(ふもと)の野原でやすんでたろう。曇った日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから
『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞えたんだ。
『やろう』僕はたち上って叫んだねえ、
『やろう』『やろう』声があっちこっちから聞えたね。
『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、もっともそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。
僕はもうまるで、汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。』
この場面は「風の又三郎」の方では描かれていないが、舞台が八ヶ岳なのは明らかだ。
賢治は八ヶ岳の「風の三郎ヶ岳」を知っていたからこそ、この話が書けたに違いない。
この「風の三郎ヶ岳」とは現在の権現岳のことだという説が有力らしい。すると甲斐国志の「権現ヶ岳」はまた別の山か?謎は謎を呼ぶばかりだ。
空を駆け巡ってつむじ風を巻き起こして遊ぶ「又三郎」。
「風」と言えばすぐに連想するのは宮崎駿氏だが、そのイメージが宮崎駿氏に受け継がれて「トトロ」や「猫バス」になったと考えるのも痛快だ。
青空文庫「風野又三郎」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1943_30595.html
こんにちわ!
三つ頭から望む池の多い田園の景色・・
まさしく、トトロのいそうな風景でしたね
夜間の尾根筋で、岩に腰掛けて星空を眺めながら聞いた風の音・・
いままでも経験あるはずなのに、ここの風を感じたときに・・思わずネコバスを思い出しました。
また、夜中に飛びまわるメイちゃんとトトロもこんな情景の中だったのでしょうね
宮沢賢治と宮崎駿の接点・・
ふふふ・・おもしろいお話でした
でわでわ
コメントありがとうござます。
甲斐国志を眺めて、あれっと驚いたのがこの日記の発端です。
「風の三郎岳」とは、いかにも情緒的です。宮沢賢治が目に付けそう・・・。
「風の三郎」伝説は他の地域にもあるようですが、賢治と八ヶ岳を結びつけた人物が韮崎にいたこともあって、山と童話が一気に結びついたのでした。
詳しく書き出すとキリがないのですが、少なくとも昔、八ツにそんな風に呼ばれていた山があるらしい。それは権現だ。という話はロマンが尽きません。
八ツと言えば「風」。冬の風は「八ヶ岳下ろし」と呼ばれているほどです。
風の伝説がいつしか猫バスになった。こりゃ面白いとしか言いようがありません。
こんにちは。
面白いですね。
確かに地形的には権現は八ヶ岳の峰々の影響を受けて風が渦巻く地形であるかも知れませんね。大分前にどなたかがここらをグライダーで飛行されていた記録があって、専門用語ですがウェーブ(山岳波)なのかリッジ(斜面上昇風)なのか分からない上昇がコメントさてていましたが、風の三郎ヶ岳が今の権現なら甲斐国志は権現はどの山なんでしょうね?分かったらまた教えてください。
ちなみに私は宮沢賢治が大好きです。賢治を探る花巻の旅をレンタカーでしたことがあります。驚いたことは、手書きの文字が私の書く字と同じだったです。綺麗な字じゃないですがビックリした記憶がありました。
コメントありがとうございました。
風の三郎ヶ岳がいまの権現だとすると・・・
・風の三郎ヶ岳→権現岳
・小岳→中岳(小さいから)
・赤岳→赤岳
・麻姑岳→まこだけ?→横岳(音が似ている)
・編笠山→編笠山
・三ツ頭→三ツ頭(ギボシ?)
・権現ヶ岳→阿弥陀岳(消去法で残った)
でしょうか?
権現の名が今の山でなく別の山だったというのはちょっと無理があるような気がします。
本当はむしろ「風の三郎ヶ岳=阿弥陀岳」の方がしっくりするのですが、阿弥陀は山梨側から見るとちょっと奥まっていてそれをわざわざ名付けるのもおかしいような。。。。
いまのギボシと考えるのもありな気がします。
編笠だけが「岳」でなく「山」なのはなぜ?と思っていましたが、昔から「編笠山」だったのですね。
これはこれで納得です。
こんばんわ。
風の三郎ヶ岳とはすごい名前ですね。
宮崎監督の著書に、”風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡”という本がありますが、風という言葉は重要キイワードです。宮崎監督の奥さんの別荘が八ヶ岳麓にあり歩いて稗の底村(ここ私も好きな場所です)にいったという話があります。また、引退作の”風立ちぬ”で恋人が入院していたのは富士見療養所で映画でも背景にあきらかに編笠山がでてました。それから、”もののけ姫”では、乙事、小六、烏帽子と、麓の地名のオンパレードでした。八ヶ岳麓から得られたインスピレーションが、宮崎監督の作品の随所に現れています。トトロもそうだといいな。
totoroさんは、その名からして「となりのトトロ」にゃちょっとうるさいんでしょうね。
「風立ちぬ」は堀辰雄の小説がもとで、舞台は富士見療養所だということは有名ですね。
考えてみると「トトロ」のお母さんも「七国山病院」に入院してましたが、あれは同じように結核でしょうね。
「七国山病院」の原点も富士見療養所かもしれません。
こんな推測も↓
http://genbou.blogspot.jp/2012/09/8-3.html
トトロの舞台は埼玉の狭山丘陵周辺だと言われていて景色などは確かにそうなのですが、いつも「風」をテーマにしてきた宮崎氏が「風の又三郎」を読んでいないはずはなく、これが発想の原点だとしても少しもおかしくありません。
まして「おっこと」まで出すほど八ヶ岳を知っているなら、きっと「風の三郎ヶ岳」も知っていたでしょう。
ネタばらしはあまりしない方ですが、本人が何か語ってくれるといいですね。
清里には「風切りの里」と呼ばれる集落があり、そこには「風の三郎社」という神社もあるそうです。
なにか因縁ありそうですね。
http://yamanashishizensaigai.web.fc2.com/CCP016.html
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