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「 駒ヶ嶽
横手、台ヶ原、白須、諸村の西にあり樵蘇(きこり)する者、山租若干を貢す。山上を甲信の界とす。
大武川に沿て南方山中に入ること若干里にして石室二所あり、下を勘五郎の石小屋と呼び、上を一条の石小屋と呼ぶ。
これより上は絶壁数拾丈にして攀登すべからず。樵夫、猟丁の者といえども至らざる所なり。
遠く望めば、山頂の巌窟の中に駒形権現を安置せる所あり。
尾白川山上より発し、瀑布となり級を拾いて懸巌を下り潭(ふち)となる。これを千箇淵(せんがふち)と名づく。奇勝ことに甚だしという。
また釜無川、大武川もみなこの山に発源す。」
金峰山や鳳凰山に匹敵する山であるはずなのになんだか素っ気ない、と思ったらそもそも甲斐駒が開山されたのは1816年(文化13年)弘幡行者(後の延命行者)によってなのだそうだ。その時は登路を求めて3年、300日を費やしたとか。(山梨百名山;山梨日日新聞社)
甲斐国志が書かれたのはこの甲斐駒開山以前。「攀登すべからず・・・至らざる所なり。」なわけだった。
しかし、いくらなんでも麓から「山頂の巌窟の中に駒形権現を安置せる所」など見えるとは思えない。他の山の例から想像すれば以前から誰かが登頂していたんじゃないだろうか。
多くの修行者が登拝するようになったのは、その後江戸時代後期から明治にかけてだそうだが。
甲斐駒を絶賛しているのは、日本百名山の深田久弥氏だ。
「日本アルプスで一番代表的なピラミッドは、と問われたら、私は真っ先にこの駒ヶ岳をあげよう。
その金字塔の本領は、八ヶ岳や霧が峰や北アルプスから望んだ時、いよいよ発揮される。
南アルプスの巨峰群が重畳している中に、この端正な三角錐はその仲間から少し離れて、はなはだ個性的な姿勢で立っている。まさしく毅然という形容に値する威と品をそなえた山容である。
日本アルプスで一番奇麗な頂上は、と訊かれても、やはり私は甲斐駒をあげよう。
眺望の豊かなことは言うまでもないとして、花崗岩の白砂を敷きつめた頂上の美しさを推したいのである。」と、べた褒めだ。
黒戸尾根に関しても
「日本アルプスで一番つらい登りは、この甲斐駒ヶ岳の表参道かもしれない。何しろ六百米くらいの山麓から、三千米近い頂上まで、殆んど登りずくめである。わが国の山で、その足許からてっぺんまで二千四百米の高度差を持っているのは、富士山以外にはあるまい。木曽駒ヶ岳は、木曽からも伊那側からも、それに近い高度差を持っているが、登山道は長く緩くつけられている。甲斐駒ほど一途に頂上を目がけてはいない。」と解説している。
なるほど黒戸尾根はやっぱり「表参道」だったのか。「日本アルプスで一番つらい。」ということは富士山を除けば日本一つらいルートってことだろう。なるほど!つらかったはずだ。
山頂周辺の白砂の景色も深田氏が描写したとおり。これも日本一?
深田氏はまた「甲斐駒ケ岳は名峰である。もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう」とまで書いたそうだ。
いやあ、いい山登ったなあ・・・あらためてうれしくなった。
レコ「標高差2200mを駆け上がれ!甲斐駒ヶ岳黒戸尾根」は下記
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-481825.html
写真)甲斐市内から眺める甲斐駒ヶ岳
こんちわ
お盆に行こうと決めると・・いろいろ気になるものです
例によってガイドとか動画とか見ながらペースを考えてます。
考えてみれば・・南アルプスはわたしにとっては、唯一手付かずの未踏峰の山脈です。
何か、権現岳に縁してから、なにかが広がりつつあります。
>黒戸尾根はやっぱり「表参道」だったのか・・
ふふふ・・正面玄関からご挨拶させていただくとしますか
でわでわ
uedaさんにして南アルプスは未踏でしたか。北アルプスばかりだったのですね(^^)
南アルプスも北の方、甲斐駒あたりはまだまだ「さわり」の部分で、南の方、塩見、聖、赤石なんてほうは実に深くて楽しそうですが、これは一週間ほどないと縦走できそうもありません。
時間制約がある中でどうまわったら堪能できるか。むろん一回で全てとは行きませが・・・。
甲斐駒、仙丈、北岳あたりをまわれるといいですね。
私も少し勉強しながらルートを考えてみたいと思います。
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