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『今回は「駒ケ嶽神社」入山の「駒ケ岳神社」下山をしたかった。』
uedaさんが言いたかったのは「横手駒ヶ岳神社」から入山、「竹宇駒ヶ岳神社」に下山したかったということらしい。
甲斐駒ヶ岳の二つの登山口、竹宇と横手のそれぞれに「駒ヶ岳神社」があるのは知っていたが、横手の方は「駒ヶ嶽神社」だとは知らなかった。
でも、そりゃ本当か?
で、まず山梨県神社庁のHPを調べて見ると、「駒ヶ嶽神社」が一つだけある。あれ?なぜ一つだけなんだ。
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6203
この説明の所在地「北巨摩郡白州町横手」からすると、これはいわゆる「横手の方の駒ヶ嶽神社」のことらしい。
さらに、この説明によれば「平成五年に頂上本社、平成七年に前宮の本社を建て替へている。」とあり、甲斐駒山頂の「本社」の写真が掲載されている。
画像検索すると江戸時代に奉納されたという額にも「甲斐 駒ヶ嶽神社」、また祭礼の時の幟り旗にも「駒嶽神社」とあるのだった。
どうも横手の方の神社は「駒ヶ嶽神社」で間違いないらしい。
しかも、山頂近くに奥宮を持っているのも竹宇ではなく横手の神社の方らしいのだ。
すると私を含め多くの人が黒戸尾根のメイン登山口だと思い込んでいた竹宇神社の方ではなく実は「横手」の方が古えからの由緒ある登山口なんじゃないだろうか。
一方、竹宇駒ヶ岳神社の方を調べて見ると鳥居に掛かっている額字ははっきりせず、拝殿にも神社名などの額が掛かっていないようだ。
しかし、境内に置かれたさまざまな石碑や不動明王などの石像から見てもさほど新しい神社という印象ではない。こちらだって「駒ヶ嶽神社」でよさそうなものなのだが・・・。
ついでに漢字そのものについて調べて見ると「嶽」は「岳」の古字なのだという。見たところかなり印象が違うが同一の字ということなのだろうか。
確かに、江戸時代中期に編纂された「甲斐国志」のような古文書では「八嶽」「茅嶽」「地蔵ヶ嶽」などと書かれており「岳」の字を見ることはない。
おそらく「岳」は明治以降に作られた字なのだろう。
してみると「竹宇駒ヶ岳神社」という文字が正しい表記ならこの神社は明治以降に造られた比較的新しい社ということになりそうだが・・・。
ちなみに「甲斐国志」の「山川の部」に書かれた「駒ヶ嶽」に項には「横手、台ヶ原、白須、諸村の西にあり・・・」と「横手村」が第一に挙げられているからやはり横手の方が古くから甲斐駒への玄関口だったのかもしれない。
しかし、なぜか「神社の部」には両神社とも記載されていないようだ。
なんとも不思議な話。
写真左)横手駒ヶ嶽神社
写真右)黒戸尾根「笹の平」分岐。ここで竹宇・横手両神社に分岐する。
おはようございます
こういうのは他国の利ですね(笑
わたしは完全に初めての神社だったので、駐車場に「駒ケ嶽神社」とあったのでそのままアップしただけです(#・・;
わたしの持参した地図は両方とも駒ケ岳神社とだけ書いてました。
横手という地名も、竹宇というのもわたしには、当然のこと、馴染みがないので、駒ケ岳と駒ケ嶽で区別がつくんであろうという非常に単純な話で恐縮です
富士などは富嶽(ふがく)などと表記されたりしますね。
漢字の扱いにも歴史が垣間見えて面白いものですね
でわでわ
大阪も古くは「大坂」もしくは「逢坂」でしたね
返信ありがとうございます。
さすがに当の神社では「駒ケ嶽神社」と表記されていたのですね。
やはり「駒ケ岳神社」じゃないぞ!という矜持がじんわりと感じられます。(^^)
私などは「嶽」も「岳」も同じ字の新旧とだけしか区別しなかったので、いまどき「駒ケ嶽神社」という表記をしているのに驚きましたし、竹宇の方が「駒ケ岳神社」なのもびっくりです。
「正露丸」と「征露丸」みたいなものでしょうか?(怒られそうですが・・・)
調べているうちに「おんたけさん」は「御嶽山」とも「御岳山」でもどっちでもよし。という文章がありました。
いや、おんたけさんは「御嶽山」だろ?と・・・。
山名は難しいですね。
p.s.「剱岳」の「剱」も常用漢字は「剣」ですので普通は「剣岳」の表記で問題ありません。国土地理院の地図も以前は「剣岳」と表記していました。しかし、地元からの申請により、2004年の地図から「剱岳」の表記に変わっています。(Wikipediaより)
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