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なるほど、ちょっと遠いのでなかなか足が向かないのだけど大きな図書館なら古文書みたいなものや古地図があるかも知れないね。
そんなことを思い出して、休日に県立図書館に出かけてみた。
国土地理院の地図を収納しているトレイのうちから「八ヶ岳」を覘いてみると無造作に何枚もの地図が入っている。
よく見ると同じ場所で発行年度があれこれのものが入っているようだ。
その中を捜して見ると「昭和46年(1971年)」という登録印の押してある地図が目に入った。
これを見るとなんと大門沢から県界尾根に登るルートが現在よりもずっと奥の方にあり、標高2300m付近で尾根に登るルートがあったらしい。
これか!と、その地図をコピーして帰宅。家で現在の地形図やGoogleMapと照らし合わせてみた。
上図左)昭和46年の古地図。矢印が古いルートらしい。
上図右)GoogleMapに重ねたもの。ピンク色が現ルート、赤線が古道か?
GoogleMapに重ねたものを見ると、怖れていたとおりなのだが、古道があったあたりの斜面は現在大いに崩壊してしまったらしい。
真教寺尾根の牛首山あたりから県界尾根を眺めると山腹にネコに引っかかれたような幾筋もの崩壊地が見える。
これはGoogleMapでも白い筋になって確認できるのだが、古道はまさにその上にあったようだ。
してみると、もうこの古道を辿ってみることは不可能なのかもしれない。せめて大門沢を遡上して沢筋に何か遺物が見つかるかだろうか。
しかし落ち着いて考えてみるとちょっと変だ。
古道がこんな位置にあったなら「小天狗」なんてのはまったくルート上ではなかったことになる。しかしそこには現在、江戸時代の石碑も残されているのだ。
そもそも尾根に上がるポイントとしては沢を登り詰めて急傾斜になったような場所よりも、現在のルートのようにずっと手前の緩斜面で登ってしまったほうが楽だろう。
ではなぜこんなところに道があったのか?
そもそもこの地図には小天狗どころか野辺山方面からの登山道さえまったく表記がない。
一瞬わかった気がした話が、さらに難しくこんがらかってしまったようだ。
う〜む。
この先はなだらかな尾根道が続き、「大なぎ頂」とかろうじて読める古い指導標を過ぎ、四合目に達すると大門沢側から上がってくる旧道を合わせる。かつては大門沢をかなり遡ってから尾根に取り付いていたようだ。(ヤマケイアルペンガイド:原文ママ)
pasocomさんにその存在を尋ねたのはこの一文がきっかけでした。
こりゃあ来年行ってみるしかないですね。
確かに、ふつうは尾根筋に道がつくのに、この辺りだとバリ直登みたいな感じになっちゃう。もう少し手前から取り付いてトラバってたのかなあ。
等高線が少しでも出っ張ってるところをつないだらヒントがあるのでしょうか。
雨天の火曜日、楽しくもロマンのある話題です。
コメントありがとうございます。
そういえば今日は雨の火曜日ですね。
図書館では古いアルペンガイドブックみたいなのがあればと思ったのですが、そういう古文書みたいなのは見当たりませんでした。
「四合目に達すると大門沢側から上がってくる旧道を合わせる。」というのはまさに「4/10の道標」の合流点のことでしょうか。
「大なぎ頂」のナギとはやはりザレ場なのでしょうね。であれば昔からこのあたりは崩壊地だったのか?ではなぜ崩壊地に登山道があったのか?
あったとしたら小天狗の位置はいったい?と。なぜ昭和の地図には小天狗に登るルートが清里側も野辺山側もないのだろうか?
野辺山というのは新しい開拓地ですから歴史的な道はなくても納得なのですが、県界尾根を山梨側の修験者が開いたなら清里側から小天狗に至るルートがあったはずでは?それとも小天狗の遺構は4/10あたりから移設されたようなものなのか?
いろんな疑問が何一つ見えてきません。なにか新しい史料が欲しいところですねえ。
何か面白そうな話題ですね・・
スイスやチベットなら興味だけですが・・
県界尾根ってところが(ワクワク
ふふふ・・ピーク捨てたらお遊びできそう
八ヶ岳がすごいのは、こういう関心を持つ方々がいるということでしょうね
わたしはお調子者ですからこんなの読むとどこまでいけるのかと遡行してみたくなります
面白い課題ですね
でわでわ
コメントありがとうございます。
本来、富士山とか御嶽山とかのほうが山岳信仰の対象であって古い歴史の積み重ねがあるのでしょうけど、意外と八ヶ岳にもそんな歴史が埋もれていたようでした。
他の山のように現在はほとんど信仰の対象ではなくなってしまったことで、返っていろいろなことが忘れられてしまったのかもしれません。
また山域(裾野)が広いために多くの登山道があったりなくなったりしたのでしょうか。
じつのところこういう歴史について体系的に研究されたこともないようで、これもまた謎が解けてこない理由のようです。
まあ、そこにこういう素人の推理遊びをする隙間があるってことでしょうか。
こんばんわ、pasocomさん
ぜひ、続編(続日記?)お待ちしています〜
いつも見て頂いているようでありがとうございます。
今回は「わかってきた」というよりも「わからない」という日記でガッカリされたでしょうか。
しかし自分の備忘録的にも書いておかないと考えが整理できない気がして中途半端ながら書いてしまいました。
冬の間はあまり進展しそうもありませんが、デスクワークなどで何か出てくればその時々で続編書きたいと思います。
期待せずにお待ち下さい。
pasocomさん、こんばんは。
またまた興味深い考察、ありがとうございます。
確かにこの旧道が古道だとすると、小天狗に古い遺物があるのが説明付かないですね。
自分が着目したのは天狗尾根です。
以前、日記にアップした昭和52年版では天狗尾根に道が付いているのですが、昭和46年版にはないのですね。
ということは、昭和40年代後半〜昭和50年頃とかに天狗尾根を登る人が増え、一旦、地図に道が付いたが、その後、廃れて今では地図からも消えてしまった、と考えられます。
とすると、この真教寺尾根の旧道も、実は単にそういう類の道だったという可能性もあるのではと。
様々な発行年度の地図で道の変遷を調べていくと何か手掛かりが得られないでしょうか。
あとはやはり現地調査ですかね。あの急斜面、しかもガレ場だと、入るのは危険そうですが・・・
参考になるご意見ありがとうございました。
確かに登山道は、その時々の地図に表記されたり消されてしまったりするようですね。
天狗尾根、ツルネ東稜、阿弥陀南稜、中央稜、御題目尾根などなど、かなり立派な道なのに今の地図には表記されていない道も多いですね。中には本当に廃道になってしまっている道もあることでしょう。
見つけた地図には小天狗経由の道も表記ないですが、その先の野辺山側にも清里側にも道がない。これは信じられないですね。道が無かったわけではなく、このころの登山道表記はそんな程度の「充実度」だったのかもしれません。
地形図だけでなく、登山ガイドなどの古本を探す必要があるでしょうか。
東京に住んでいればすぐに神田に出かけるところなんですが、田舎のためになかなか手がありません。とほほ・・・。
pasocomさん、おはようございます。
私は、去年の秋県界尾根を歩きましたが、この道があるということは、記憶にあります。県界尾根を下って行ったら、たしか途中で右手の沢へ下るような表示があり興味をもち、小天狗から大門沢へ下ったところで合流路をすこし探したところ大門沢を登ってゆく踏み跡はありました。”わー、こんなところ行くんだ、でもこっちのほうが近いのかな?”と感じた記憶があります。
コメントありがとうございます。
「途中で右手の沢へ下るような表示があり」は確かに私が確認した道標でしょうね。
一方、尾根から大門沢に下りきったところにも道標が立っていますが、ここを沢沿いに直進する道もあるようですね。これが「大門沢を登ってゆく踏み跡はありました。」のことでしょうか。
ただ、地形図やGoogleMapによると、この分岐点から上流側には10基以上の砂防ダムが造られており、ダム工事の際には当然ダンプカーや重機が出入りしたのだから、その名残の道が残っているのかもしれません。
ピークハントなど考えず、純粋に探索目的で行ってみる必要がありそうです。
ところで私が入手した昭和の地形図では西岳のトラバース路が標記なく、普通に山頂を通過しています。
その後、源治新道を辿りながら、乙女の水の北で尾根を直登してノロシ場に達しているのです!
これも探索課題になりそうですが、手を広げすぎ!っていう感じも・・・(^^)
高校生の頃、県立図書館に勉強に行ってた頃、「ヤマケイ」のバックナンバーがずらっと揃っていました。。。当時は登山など知る由もなく驚いて覚えていたのです。関連図書もありそうな気がしていたのですが、さすがpasocomさん行動力があります。
地形図でも収穫あってよかったですね、「地形図」と言えばpasocomさん良く日記にされているように違っていたりするようですが、今回の廃道は明確な感じですね。
小天狗の方は道はあったが記載されてなかったなどでしょうか???
いずれにせよ謎が多い方が楽しい
入口探るのにGPSが欲しい感じですね
崖から転げ落ちないようにお気をつけて探索に行ってください!!
昔の県立図書館は数年前にも行ったことがありましたが、史料を検索するのが難しい(閉架式?)システムだった様に覚えています。現在はもう少しマシなんでしょうかね。
以前の所蔵物はまさか捨ててはいないでしょうから、そういう古書もさがせばあるのかもしれませんね。
地形図の表記についてはnori3さんが推察されるように実際の道の有無とは別に表記もれなどの可能性もあると思います。たかだか30年で県界尾根の道がまったく付け変わったなどとは到底信じられませんから。
冬の間はフィールドワークは難しいので、せいぜい史料あさりに励んで見たいです。
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