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その峰々の繋がりを眺めていて、ふと、なんか意味ありげな名前だがいままで調べたこともなかった「石尊峰(せきそんほう)」が目についたのだった。
調べて見ると「石尊」とは神奈川県丹沢にある大山阿夫利(あふり)神社のことだそうな。
うむ、ここ息子を連れてケーブルカーに乗ったなあ・・・。
神社の祭神は「石尊大権現」と呼ばれ、その由来は山頂にある大岩に神が降り立つということからだと。
大山は別名「雨降(あふり)山」とも呼ばれ、その神とは雨乞いの神様なんだそうな。
江戸時代には庶民の信仰の対象になり、「大山詣り」として大いに賑わったのだという。
麓は「豆腐料理」で有名なんだよね(^^)
なるほど、石尊峰の山頂には「大権現」と大書きされた石板が置かれていて、その後ろには「大岩」を思わせる石があるのだった。
赤岳の支峰である「竜頭峰(りゅうとうほう)」は、その頂きに「竜頭山〜」の石板が置かれているからだそうだが、この「竜頭山」とは埼玉の「両神山」のことなのだという。「りゅうがみさん」が「りょうがみさん」に変化しただけなんだとか。
石尊峰の名もこれと同じ理屈なのだった。
ところで、山梨の私が「石尊」で思い出すのは北杜市にある「石尊神社」だ。日向山の北、サントリー白州工場の裏手に坐るこの神社も雨乞いの神社だという。
この神社の脇から登山道を登れば山梨百名山の「雨乞岳(2037m)」。
なるほどだ。
写真)「大権現」の石板が置かれた石尊峰の頂き。バックの右は三叉峰、左は奥ノ院。
おはようございます
この石盤、覚えてます
大権現の文字に興味があって。
本来、「権現」というのは仮の姿の意味。
狐の姿に化けた仏や神のお使いなどですね
信仰のお山とはいえ、あの石盤を担ぎ上げた努力は凄まじいですね
写真は、5月中旬ぐらいでしょうか?
でわでわ
さっそくのお運びありがとうございます。
さすがですね。この写真はGWの混雑を避け静かな杣添尾根から登った昨年5/8日のものです。
山肌に少し残雪ありますが半分夏山になりつつある時期ですね。
積雪期だと雪に埋もれてこんな石板は見えないと思いますが、uedaさんはしっかり確認されてレコに写真がありましたね。あれは5/10日。ほとんど同日でした。
「権現」はuedaさんから「仮の姿の意味」とお教え頂きましたね。その後あちらこちらで「○○権現」を見かけては思い出します。
昔の人の信仰の力、恐るべしですね。
余談ですが、パキスタンでテロが起こったニュースを聞いて息子は「行動力あるなあ。」と感心。
いや、そういう問題じゃないだろ!と思いましたが、まあ、宗教心というのはものすごい力を発揮させる物であることは確かなようです。
できればその力は人の迷惑にならないように発揮してもらいたいものですが・・・。
前回日記に続き、分かりやすい日記ありがとうございます。
杣添の登山口みたいで、横岳周辺は何回行ってもどこがどこだか、ごちゃごちゃしていたのでした。お地蔵さんから二十六の次は。。。。あれ、という感じ。
あの「大権現」の石碑は「石尊峰」だったんですね。頭の中が少し整理できてきました。「竜頭峰(りゅうとうほう)」のことも知りませんでした。「両神山」と関係があるんですか。
コメントありがとうございます。
横岳は一つのピークの山ではないのでとてもわかりにくいですね。
私も何度も歩いてようやく全体像がわかってきたというところです。それでもまだ景色の記憶と位置が一致しない箇所もあり、歩きながら動画でも撮らないとすっきりしないというほどです。
各ピークの名前は知っていても、現場で自分が歩いているのがどのピークあたりなのか?それも何度も忘れたり思い出したりの繰り返し。
横岳こそ「八ヶ岳のラビリンス」なのかもしれません。
竜頭峰は北村宏氏の本を読むまで「りゅうずほう」だとばかり思っていました。
例の足だけの神像台座の後ろに3つの石碑が建っており、(私の台座写真でもわかります)、そのうち一つに「竜頭山金毘羅大神王」とあるそうです。
「竜頭山」というのは「両神山」のことで、この山には「竜頭神社」が祀られているので江戸時代には「竜頭山(りゅうとうさん)」とか「りゅうかみさん」と呼ばれていたんだそうです。それがいまは「りょうかみさん」になったとか。
従って、その石碑が納められているが故にこのピークも「りゅうとうほう」となったということです。その命名の根拠がわかって初めて読むことができた次第。これも「源治梯子」と同じですね。
pasocomさん、こんにちは。ご無沙汰しております。
八ヶ岳は若いころ毎年、年越しの冬山合宿の場所でした。連続して何年続けたか記憶が飛んでいます。
逆に夏の八は2回くらいしか登ったことがないので縦走路にある小ピークの名前は当時でもよく分からなかったです。標識などが雪に埋まっていますので。
石尊峰は石尊稜ということで冬の横岳西壁では有名なルートですね。今年超久しぶりに登ろうかなと思っていたり…。
pasocomさんの説明はとてもよく分かります。八のことなら今やpasocomさんの右に出るものはいないかんじですね。
お久しぶりです。お仕事の方は一段落されたのでしょうか・・・
八ヶ岳は冬山の道場みたいな位置付けをされている面があるようで、「夏の様子は全く知らない。」という方もいらっしゃるようです。murrenもその中のお一人でしょうか。
石尊稜は横岳西面。赤岳鉱泉から直登するルートですね。
この辺は冬になると大同心、裏同心などのルート、凍った沢のアイスクライミングなどで賑わうようです。
人が変わり小屋が変わっても山は変わらないもの。
機会があるならぜひまた八ヶ岳をお楽しみ下さい。
今年、大山阿夫利神社に「無駄に!」2回行ってて、Casumin51さんトコの日記のカラーブロック並べでpasocomさんに負けたC-54でございます
前回の日記も興味深く拝見させて頂きました。「りゅうかみさん」が両神山だったり、石尊が大山阿夫利神社だったりと面白いですね〜そういえば権現岳?の神様は富士山の神様(コノハナサクヤヒメ)と姉妹であるとか?
赤岳の眺望のいい岩場は日の出ルンゼって言うんですね〜(赤岳)〜地蔵の頭〜(夏沢峠)は3回ほど歩きましたが「大権現」と「二十三夜峰」は写真撮りましたよ!少し目立ちませんけど名前がイイですね二十三夜峰
コメントありがとうございます。
Casuminさんのブロック並べは我々は「ドングリの背比べ」ってとこだったでしょう(^^)
大山も両神山もC-54さんには馴染みの山ですからご興味を持っていただけるものと思っていました。
それにしても丹沢の「あの大山」(書いたように私も行ったことあり。参道は今もなかなかいい味残していますよね。)にちなんだ名前が八ヶ岳の峰に付いているとは驚きでした。
その他の「日ノ岳」「鉾岳」はどうにも手がかりなさそうですが「二十三夜峰」は私もいい名前だと思っていました。
(ルンゼは「日ノ岳ルンゼ」ですね。)
ちょっと調べると「二十三夜」とは
「月待ち信仰の一つ。十三、十五、十七、十九、二十三、二十六などの月齢の夜に人々が集い、月の出を待って供物を供え、観音経を唱え、安心立名、無事息災を祈り勤行や飲食を共にする古い風習。
特に関東地方や長野県に多く見られ、所によっては二十三夜塔と呼ばれる石碑が建てられている。」
とのこと。
あの岩峰は「二十三夜塔」に見立てられて、そういう名前になっているようです。味がありますねえ。
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