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これは1851年(嘉永4年)という江戸時代の末期に書かれた甲斐の国の地誌だ。いつも引用していた「甲斐国志」は1814年成立だそうだから、それよりも40年ほど後世の書ということになる。
全10巻あるのだが、いつものように「国会図書館デジタルライブラリー」をあたると前半の5巻しかないじゃないか。しかもその中には県北部が含まれていない。
で、あちらこちらを検索し、ついに「DIGITAL PUBLIC LIBRALY OF AMERICA」というサイトの中に見つけた。これ、アメリカの国立図書館か?えらい時代になったものだ。
めざす八ヶ岳については第7巻にあった。
いつものように現代風に書き直してみる。カッコ内はもともと付いている振り仮名だ。
八嶽(やつがたけ)
また谷鹿岳(やつがたけ)と書く。長澤、西井出、谷戸、小荒間、上笹尾、小淵澤などの諸村の北に峙立(そばだち)て、檜峰(ひみね=権現岳とも云う)、小岳、三頭(みつがしら)岳、赤岳、箕蒙(みかぶり)岳、毛無岳、風三郎(かぜのさぶろう)岳、編笠山など八稜に分るるゆえにこの名あり。
檜峰には石長姫(いわながひめ)、八雷神(やいかづちのかみ)を合せ祀り八嶽権現という。三代実録に載せたる檜峰神社なりといえり。
麓の諸村より三里あまり、秋分の頃までは参拝を禁む。岳の中腹に前宮あり。
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まだまだ続くのだが今回はここまでにしておく。
ここまででも私がずっと調べ、疑問に思っていたことがあれこれ書かれていて、いままで苦労はなんだったんだ?的な気分もしてくるね。
まず、この記述では「檜峰=権現岳とも云う」と明らかだ。また「風の三郎岳」が権現岳のことではないらしいこともかなりはっきりわかる。「三頭(みつがしら)岳」も興味深い。
また、驚いたのは「箕蒙(みかぶり)岳」。これは現在の箕冠山(みかぶりやま)のことではなく、硫黄岳のことだろう。
他の情報で八ヶ岳には二つの箕冠岳があり、諏訪地方では現在の箕冠山のこと、佐久地方では硫黄岳のことを指す、と読んだ記憶がある。いわれてみればなるほど硫黄岳の山容はいかにも箕(竹などで編んだ農具)を伏せたような形をしている。
そのとき箕冠山についても調べたが他に情報がなく、怪しんでいたのだが確かなことのようだ。
檜峰神社の由緒も私が調べたとおりに書かれている。「秋分の頃までは参拝を禁む(つつしむ?)。」は「春分の頃までは・・」の誤りか?「中腹の前宮」とは「富士見町乙事(おっこと)」の「権現講舎 」のことだろうか?
檜峰神社についてはさらに詳しく面白い話が書かれているが、それについては次回以降に・・・。
写真)佐久方向から眺める硫黄岳(右端)。爆裂火口がいかにも箕の口のようだ。
おはようございます
日本の古書が、アメリカにわたっていたのですか・・
浮世絵など美術品とともに渡米したのでしょうね
それにしてもネットで閲覧できるなんて、すごい時代になったものです
八ヶ岳物語も新たな展開が見えそうですね
期待してます
でわでわ
pasocomさんの八ヶ岳検索の軌跡を観ていると、本来の民俗学のありかたが検証できますね
おはやくからのお越しありがとうございます。
このアメリカのライブラリーでは「甲斐叢記」は画像データになっていて閲覧できます。
文字は一応、活字になっていますので、江戸時代の「原本」ではなく、後世に出版されたものと思われますね。
しかも、こうなると「本そのもの」がアメリカに渡ったのか、画像データが渡されたのか、それもわかりません。いまどきですからデータで収集されたんじゃないかという気がします。
しかし、日本の国会図書館にないものがアメリカの図書館で、しかも自宅に居ながらにして読めるなんて、ちょっと感動的でした。これぞ「未来!」って感じでしたね。
それにしても、最初にこの本に行きついていればあれこれ苦労して推理を巡らせる必要もなかったような、あっけないくらい明快に書かれていました。うれしいような、がっかりなような、です。
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