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その時の私は残念ながら「山口耀久(あきひさ)氏」を知らなかったのだが、その本の文庫版を買って読んでみた。
『八ヶ岳挽歌』は2001年に発行されたのだが、その内容の大半は過去に雑誌「アルプ」に発表されたエッセイの再掲だ。
リストによると、例えば「権現岳」の項は1972年3月号初出とある。
山口氏は私と同じように八ヶ岳の民俗的な歴史にも興味があるようで、その内容はとても参考になった。
その中に権現岳の登山道として「材木尾根」についての記述があった。
そこには地元の人に聞いた話としてこんなことが書かれている。(著作権があるので、引用ではなく要約とする)
「甲斐小泉駅のある小荒間の集落ではお盆になると一戸から一人が出て権現岳に登り、その帰りには権現様の許しを得て各人が軽くて丈夫な白い木を持ち帰り、それで梯子を作った。」
「登山道の尾根が材木尾根と呼ばれていたのは、これと関係があるだろう。・・・『日本山岳案内』ではこの尾根が「御題目尾根」となっているが、落語の「鰍沢」のオチではあるまいし、権現岳は日蓮宗とは特別の関係はない。」
私は以前の日記「御題目尾根がいつしか材木尾根に」で、もともと「題目尾根」だった尾根名がいつしか「材木尾根」になってしまったんだろうと書いたのだが、山口氏は逆に「材木尾根」こそがもともとの尾根名だと考えているようだ。
確かに私も、「題目」という言葉にはちょっと引っかかった。甲斐国志の「修験の寺」を見ると、八ヶ岳を対象とした山岳信仰や、そういう山中で修行した修験者はたいてい「真言宗」らしい。
真言宗とは「空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派」だそうで、かの高野山の金剛峯寺を総本山とする山岳密教に近い宗派だ。
しかし日蓮宗は鎌倉時代に日蓮が興したもので、確かにそういう山岳信仰にはあまり関係がなさそうなのだった。
だが、山梨における日蓮宗は他県とはちょっと事情が違う。
身延山という日蓮宗の総本山を抱え、庶民の日常生活の中に深く浸透している。身延山自体がちょっとした山だし、その隣の七面山は身延山以上に日蓮宗の山岳信仰の山とされている。
そういう中で八ヶ岳信仰にも日蓮宗の色合いが含まれるようになったとしてもそう不自然ではないだろう。
山口氏が書かれているように、山中から木材を切り出して持ち帰ったとしても、それを「材木」と呼ぶだろうか?
私の感覚では「材木」とか「木材」とは燃料になる薪か、せいぜい建築資材に使うもの。つまり「神聖なもの」に対して呼ぶような単語ではなく、もっと実用的なものとしての呼び名。そもそも「材木」という単語自体が古さを感じさせない言葉だ。
この尾根の隣にある「御神楽(おかぐら)尾根」という尾根名も同時に考えれば、片やが「材木尾根」ではいかにも不釣り合いに感じてしまう。
左)『八ヶ岳挽歌』文庫本。AMAZONの古本で500円程度で買った。
右)『日本山岳案内12 八ヶ岳火山群』(1943)の中にある八ヶ岳南麓概念図。ここには「題目尾根」とある。
おはようございます
ほぉ〜日蓮宗の「だんだん良くなる(鳴る)法華の太鼓」って言葉は、うちわ太鼓のことですね。
歩きながら、トントンたたいている・・あれです
日蓮宗もうちわ太鼓を叩きながら江戸から富士まで行ったようです。
大石寺、身延山ともに300〜400mほどでしょうか
比叡山の850m足らずからみるとちょいと低山ですが・・
本来、基本的に仏の名号を唱えることを題目と解釈していいと思います。
(ネットでは題目=日蓮宗のように記述されてますが、いかがなものかと思いますね)
南無とは「帰命」なりです。
南無阿弥陀仏しかり南無妙法連華教ですね
阿弥陀に命を帰す・・妙法蓮華に命を帰す・・ですね
神仏混合の日本的仏教のありようで尾根筋がお題目で頂上に神社があって地蔵菩薩が鎮座まします
ふふふ・・日本の宗教の縮図だとおもいます
おもしろい本ですね
でわでわ
uedaさんは仏教、わけても日蓮宗にはかなりお詳しいようで、こういう話の解釈には大いに頼りにしています。今回もありがとうございました。
なるほど「お題目=日蓮宗」と固定しなくてもいいのですね。たしかに現在ではどの宗派でも念仏のことを御題目とも言う気がします。「南無阿弥陀仏」もお題目ですね。
私は「南無」は「気合いだ〜」と思っていました。(^^)
身延山の久遠寺は標高400mほどですね。しかし「奥ノ院」のある山頂は標高1153mもあります。麓のいわゆる「門前町」のところは標高300mほどですから標高差は800m以上ありますね。観音平から編笠山くらいです。
日蓮宗もやはり山は仏の居所として崇拝してきたのでしょうね。だとすれば権現岳に日蓮宗徒が登拝しても不思議は無し。まして真言宗の「御題目」も不自然ではないでしょう。
権現岳で「白い木」というと三ツ頭手前の「ダケカンバ林」でしょうね。
あそこから梯子を作る分もの木材を持ち帰るのは現実的に難しいように思えます。しかも「各人が」とは。
またそんな木を「材木」と称すのは不自然な感じですね。
余談ですが、『八ヶ岳挽歌』にはこんな話は少ないくらいです。著者の山口氏は相当な登山家だったらしく八ツの岩壁登りの話、遭難の話、山小屋のことなど盛りだくさんです。
ただ、八ヶ岳が大好きで、開発によってその八ヶ岳の自然が失われて行くのを目の当たりにして悲しんでいます。だから「挽歌」なのですね。
1926年生まれとのこと、八ツに入り浸っていたのは戦後から1960年代らしい。その頃の情景の描写からも現在と全く違う八ツを感じます。登山にはいい時代だったんでしょうね。
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