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「ホテイラン・ツクモグサで開幕 / 花の八ヶ岳」(2015/5/20)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-642508.html
この時、赤岳から横岳に向かう縦走路脇に「白天宮」と大書きされた石碑(石板)を見つけた。確か地蔵ノ頭から少し北(日ノ岳方向)に進んだあたり。
「白天宮」?? 聞いたことのない名前だ。そこで帰宅後ネットなどであれこれと調べて見たのだが、どこにも「白天宮」というものが出てこない。いや一つ、大阪にある神社がヒットしたのだが、これも正体不明。どうも「太成宮」みたいな新興宗教な感じだ。(^^)
石碑には合わせて「有賀村博純講」と彫られていた。(「博純」の部分はちょっと怪しいかも・・・。「博純講」はネットで見つからない。)
「有賀(あるが)村」は現在の諏訪市の諏訪湖南岸付近にあった村で明治7年に合併して消滅しているから、この石碑が奉納されたのはそれ以前のことになる。おそらく江戸時代のことだろう。
「諏訪市博物館 Web Page」の中の「有賀村」の説明には、
「諏訪市豊田にある旧村で、有賀氏の居城有賀城がありました。古くは有賀峠の登り口でした。諏訪神社と関係が深く、御頭祭の親郷をつとめたことが多く・・・」とある。
「御頭祭(おんとうさい)」は諏訪大社上社で行われる例大祭なのだそうで、鹿の頭をお供えするという狩猟の祭らしい。
諏訪神社(諏訪大社)といえば山から大木を切り出して斜面を滑り下ろす「御柱(おんばしら)祭」が有名だが、あれこれ調べて見ると諏訪神社というのは山に関する祭りが多く、かなり「山神様」のようだ。
諏訪神社というのは全国に多くあるが、祭りで天狗が登場するものがいくつも見つかった。「天狗」は山岳信仰の代名詞みたいな存在だから、このことも諏訪神社と山の関係の深さを感じさせる。
「有賀村」からは、ここまで分かったのだが、肝心の「白天宮」がまったく手がかりなく行き詰まってしまった。
いつも頼りにしている、北村宏氏の「八ヶ岳 もう一つの魅力」は、赤岳から南の部分ばかりで、横岳以北の記述がない。
で、あてなくページをぺらぺらとめくっていたら、「赤嶽山座王大権現と不動明王」の項にこんなことが書いてあった。
「(茅野市泉野の)下槻木の冨田家に伝わる「口伝書留め」で、書き留めた神仏の名が次のようにたくさんあり・・・
・赤嶽山座王大権現 ・奥之院 ・金山彦命・・・・日之嶽・・・ ・白天狗 ・黒天狗・・・・」
と多くの神が列挙されている。
「奥之院」や「日之嶽」というのは神様の名なのか・・・?
そして「白天狗、黒天狗」とは! 天狗に白黒があるのか・・・
それまで「白天宮」は「はくてんぐう」と思っていたが、これ「しろてんぐ」とも読めないだろうか。
「白天狗」とは天狗の中でも一番階級が上の天狗だという説もあり。
だとすれば、諏訪神社の祭りを司るような「山に深く関係する」有賀村の衆が八ヶ岳に山岳信仰の象徴である天狗を祀ったことになり、とても辻褄があうのだが。
上写真左)「白天宮」とある石板
上写真右)石碑の梵字部分詳細
pasocomさん、こんにちは。
調べてわかってきた「八ヶ岳」シリーズ、興味深く拝見しております。
さて、今回調べられた石碑ですが、写真を見ると、「白天宮」の上に梵字が彫ってあるのが見えます。
どうやら不動明王を表す"カーン"という梵字のようです。
これも「白天宮」解明に向けての1つの手がかりになるのではないでしょうか。
すでにご存じの上で「赤嶽山座王大権現と不動明王」の項をご覧になられたのであれば、済みません。
コメントありがとうございます。
私のこんな日記に興味をお持ち頂いていることにも感謝いたします。
さっそくですが、「梵字」という助言をありがとうございました。
「白天宮」の漢字の上にあるのが「梵字」だとは思いましたが、そこに意味を見いだすほどの知識がありませんでした。
私が見た「赤嶽山座王大権現と不動明王」という項は、赤岳には赤嶽神社の他に「荒澤不動尊」とか「成田山不動尊」という石碑が残っているという話でした。
調べて見ると、確かにここに書かれているのは梵字の「カーン」のようですね。で、「カーン」は不動明王を表わす字だそうで。
ただ、もともと「白天宮」というのが意味不明であり、あらためて調べても不動明王との関係はすぐには見つかりませんでした。
梵字の中の12文字はそれぞれ菩薩とか如来とかを表すとともに十二支をもあらわすとか。「カーン」は「酉年」の意味があるそうです。
もしかすると、この石碑が奉納されたのが酉年だったのかもしれません。
同じレコに「二十三夜」という石碑の写真もアップしていますが、これも漢字の上に梵字が書かれています。こちらはどうも「サク」という「勢至菩薩」を意味する文字にみえますね。
「二十三夜」という行事は勢至菩薩を祀るものなので、この梵字は十二支ではなく仏の記号のように思えます。すると「白天宮」の方も不動明王との関係から考えた方がいいのか・・・?
すぐに解決できるものではなさそうですが、かなり有力な手がかりのようです。
参考にさせて頂き、今後も追究して行きたいと思います。
どうもありがとうございました。
pasocomさん、こんばんは
実は、先日の二十三夜峰のコメントに、童子の事も書こうかなぁと思ったのですが、不動明王の石碑は無いようなので削除したのですよ。
昨年御嶽山に登った際に少しお鉢巡りをしたら、白装束の方たちが、「三十六童子巡り」をされていて、家に帰ってから気になって調べてみました。
『御嶽山で人気があるコースの一つにお鉢巡りコースがあります。これは別名、三十六童子巡りとも呼ばれ、一の池の外輪山に配置された36基の石碑を辿るものです。一つひとつの石碑には三十六童子の名前が刻まれており、時計回りに配されています。
三十六童子とは不動明王の眷属(家来)で衆生救済に活躍する童子たちにはそれぞれ一千万人の従者がいると言われている。』
八ヶ岳にももっと他の童子の石碑があるかもしれませんね。
ありがとうございます。
「童子」のことは、なにしろこの山行で「因陀羅童子」の石碑も見つけてしまったのでちょっとだけ調べていました。
「不動明王の眷属で全部で三十六童子」ですね。
山口耀久氏の「八ヶ岳挽歌」にも「不思議童子」という石碑を見つけて思わず微笑んてしまった、という話が書かれています。これも日ノ岳から赤岳の鞍部に向かっていた時とのことですので、同じような場所に童子の石碑があったようです。
童子の石碑がいくつもあるということは、どこかに親玉の不動明王の石碑があるということでしょうか。
不動明王というとギボシの山頂に三つあるのがどれも不動明王像なのが思い出されますが、こりゃちょっと遠い。竜頭峰の靴の遺構脇にあるのも不動の石碑だし、北村氏によると赤岳にも複数の不動尊の石碑があるんだそうです。
「白天宮」の石碑には確かに不動明王の印である梵字が彫ってありますが、不動明王を祀っているのでしょうか。ならば漢字の方も素直に「不動明王」と書いてあっても良さそうな気もします。
やはり「白天宮」そのものを追究しないといけませんね。
それにしても八ヶ岳にも「三十六童子巡り」が存在していたとするとかなり面白いですね。
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