奥秩父、荒川水系滝川ブドウ沢の事故で防災ヘリが墜落する二重遭難があった。
防災ヘリに以前乗った事がある。遭難者(既に遺体)を沢遡行中発見したので、警察・消防とウインチ降下して現場の案内をした。そのときの機体は岐阜県警の「若鮎」。その後(昨年)穂高ジャンダルムで墜落した機体だ。そのときの記録↓。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21259.html
細い谷の底50mも無い高さでホバリングし、側壁の樹林にローターがぶつかるんじゃないかというほどの場所だった。岐阜の防災ヘリは普段から山岳救助経験が多いのだろう、彼らは手際よく、仕事をこなした。僕は仕事でヘリにのる事も多く、パイロットから聞く話では、山岳地帯の特に谷や岩壁近くなどはいつ風が変わるか分からず、本当に怖いと聞いている。防災ヘリでなければできない芸当だと思う。それにレスキューの消防隊員らは日々の訓練を重ね、その仕事のプロだ。鍛え抜かれた技芸は困っている人を助けるために磨き抜かれている。
救助を頼んだ山岳会は、少なくともリーダースタッフは、ある程度沢の経験を積んでいたと思う。今朝の新聞の時点(彼ら下山前)で遭難地点の標高1000m、トンネルの南4キロと位置が特定されている。現在位置を把握し、通報できるリーダーだったと思う(通常、警察や消防はそういう情報で発表する習慣がないからわかる)。9人と、沢では多すぎる人数。中には力量を把握していないメンバーが含まれていたのかもしれない。滝壺転落時刻午後四時にこの核心部にいたのは確かにまずい。この沢を行ける力量のパーティーでは無かったということだろう。事故はそういう弱点を襲う。
そういう事情とは別に、打つ手無しとなったとき救助ヘリを呼んだからといってそれを責めるのは筋が違うと思う。遊びだろうが仕事だろうが、助けてほしい人がいる限り、助ける仕事があるべきだし、そのための訓練を積んでいる。そんな危険な遊びは社会の迷惑と思う人もいるかもしれないが、誰しも迷惑を掛け合って生きている。助けを呼ぶ人だって、どこかで誰かの命を救っている。命がけの遊びをしている人間は誰より命の価値、ありようを知っている。命がけの遊びをできない時代の子供がどうなるか、薄々分かるのではないか?
沢を登った事の無い人に。滝壺に落ちただけでは死にませんが、流れの悪いところにはまると浮き上がる事ができず、溺れます。こういうのはリーダーが判断してザイルを張る方向にも注意しなくてはなりません。その必要がある(へつりで落ちそうな)メンバーがいるときはすごく時間がかかります。1分で済むところが10分。そのメンバーの人選と時間読みも、本来リーダーの役割です。
穂高の事故より、身近に感じ、今日はソワソワでした。
命がけの遊びをしている覚悟で遊びます。
リーダーだけに責任を負わせるのではなく、事故を起こさないように練習しなくては。
私見ですが、救助要請をしたことは判断として正解だと思います。結果として予想外の事故に至り六人もの人が目の前で亡くなったことの衝撃が登山者の、その後の人生に影を落とすトラウマにならなければいいのだがと、そちらを心配してしまいました。
私、一人の山屋として、防災ヘリの方々に心から申し訳なく思います。
今回の沢登りは、東京都勤労者山岳連盟の「2010年 沢教室」で起こっています。
http://twaf.jp/2010-03-05-02-25-46/14-sawakyousitu/127--2010-.html
また、元々の遭難した方は「滑落」となっていますが、一部報道では、水面わずか20センチメートルのヘツリに失敗(入水)、という内容でした。
oosawaさん
人は経験から学ぶものですが、自らあるいは仲間の遭難で学ぶのは重すぎます。過去の遭難報告書をあれこれ熟読するのが、しぶとい山ヤになる近道の一つです。真っ当な山岳会なら事故報告書を出しています。
oracionさん
結果の大きさは誰にも想像できなかった事でしょう。現場を離れ、電話の通じるところまで夜を徹して登ったリーダーの気持ちを察します。結果、事故者は亡くなりましたが、意識不明の仲間がいたら、死亡確認などする前に手分けして連絡に走るのは当たり前と思います。僕も、雪崩から掘り出した仲間を生き返るかもしれないと思い、一時間も心肺蘇生を続けた事があります。なかなか仲間が死んでいるとは決められないものです。家族のためにも、最善の行いをしてやるべきでしょう。どんな人にだって大切に思って、亡くなったら悲しんでくれる人がいますから。
milleYenさん
すみません
>>今回の沢登りは、東京都勤労者山岳連盟の「2010年 沢教室」で起こっています。
と、リンク先の意味が分かりませんでした・・・。
20センチで落ちて滑落といっても間違いではないと思います。
私も一度黄瀬川で滑落して骨折し、青森県の防災ヘリ「しらかみ」に救出してもらったことがありました。やはり現場は携帯が不通な場所で翌日残ったメンバーに上部へ遡行してもらい、通話可能場所から救助要請をしてもらいました。目印に赤いシュラフカバーをメンバーに広げさせヘリを待ちました。本当に狭い箇所でホバリングして隊員が下降してきます。救助隊員はまさに「神様」に見えます。本当に有難く頭が下がる思いでいっぱいでした。
こんちは。
確かに、救助を呼んだ人を責めるのは筋が違うとも言えますね。
墜落の直接的原因が、地上にいた救助要請者にあるとは思えないし。
けど、東京の団体さんが遊びに来て、神奈川の方が事故に遭われて、埼玉の公共財産や経験豊富な人材が失われたと捉えたら、腹が立つ人の気持ちも分かります。
もしかしたら、今日、秩父の山奥に住んでいる農夫が倒れてヘリ搬送なら救える命があったかも知れません。明日、大滝村で中越地震のような災害が起こるかも知れません。一番、歯がゆい思いをしているのは防災本部ではないでしょうか。
救助・救援というものは持ちつ持たれつお互い様ではあるけれど、命がけの遊びをするなら自分で始末をつける準備や心づもりは必要だと思います。
昔の明大とか信大の山岳部では、いざというときに仲間を担ぎ下ろすために60kgの歩荷訓練をしていたというし、社会人山岳会なら遭難対策や救助隊は自前で準備すべきではないでしょうか。
少なくともそういう心がけだけは大切にしたいものです。
yoneyamaさん、2年前にこの沢の本流筋に入ったときの写真です。
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-1478
小さめの滝つぼで溺れたというのが、解せません。
体調、疲労もあったのでしょうし、それに気づいていれば確保もできたのかもしれません。
私も、以前の仕事をしていたときは、噴火中の島にヘリで2度、セスナで1度、飛んだことがあります。
ふもとの町を埋めつくす広大な溶岩の堆積の真上でホバリングしたときは、窓から出した顔の頬が熱くなりました。
溶岩流に囲まれ、火山岩で打たれた乳牛たちが哀れでした。
日々、危険と隣り合わせの救助活動。V字谷や岩壁に沿っての低空ホバリングというのは、想像を超えます。それを考えての私たちの登山行動でなければいけないと、こういうときには痛感します。
iharaさんの見方も、一面でもっともです。心構えと用意の点では。
ohsasさん
以前報告書で拝読しました。どんな人でもどんなレベルでも救助を呼ぶ可能性はあるとおもいます。助けられた以上に、これまでたくさんの人を助けて来られたでしょう?
ihara1990さま
そういう地域限定の損得を考える人の声、必ず聞きますね。あまり細かい論議はしたくありませんが実際には他県の防災ヘリの応援も来るし、農夫か遊びかで救助の優先順位はつけられないでしょう。何県の人だからというのも。助け合いはお互い様だったと思います。
沢登りに限らず、ハイキングでも、河原の釣りでも命がけの遊びになってしまう可能性はあるでしょう?本人の覚悟を求める話とは離れ、救助を頼むのはその先の話です。
tanigawaさんこんにちは
ブドウ谷とありますが、現場は滝川の本流のようです。小さい滝壺なのですか。ならばますますザイルなど出す気にならなかったのですね。小さな滝壺でも、流れが悪く救助が遅れて溺死した事故をいくつか知っています。
ニュース記事を見ましたが、他のメンバは滑落したことに気ずかなく救出が遅れたとの事ですが、現場の「ブドウ沢出会」の写真を見る限り個人で沢登りするような場所ではないと思います。またこのパーティは沢登りの訓練だったはずなので、なおさら疑問が残ります。もう少し当時の状況を知りたい気がします。
さらに、この場所は4年前の同時期にも学芸大の山岳部の1年生が滑落死しています。その時も増水していての事故でした。なぜこの時期に入ったのか、しかも午後4時に...まだまだ裏がありそうです。
こんばんは。
なんか話がかみ合っていないようで、言葉が足りず申し訳ありません。
落ち着いて読んで欲しかったのですが、
救助を呼んだ人を責めるのは筋が違うことも否定していないし、救助の優先順位についても言及していません。救助がお互い様とも書いていたのですが・・・。
防災の任にあたる人にしてみれば、任務の達成や遂行ができなくなることは非常に悔しいことなのです。
ヘリで救助することを決定したのも、実際にヘリで救助を行ったのも防災本部であるし、本来、いつ何時でも救助要請に応じられる態勢を整えておく事が重要なのに、天災であれ人為的ミスであれ、それができなくなることで一番辛いのも防災本部です。
また、了見の狭い考え方をする人には、それなりの考え方があるわけで、それを単に否定するのは簡単だけど、どっちもあるのが世の中じゃないでしょうか。
ある意味、救急車呼ぶのは個人の勝手です、救急隊にしてみれば、優先順位なんてないのかもしれません。
また、現場に行く途中で交通事故を起こしたとしても、当然、通報者の責任ではありません。
まぁ、それはおっしゃるとおりの話ですが、世の中、人の話を受け入れず、自分だけの価値観で生きていくのも美しいことですが、そういう登山者や人間ばかりになってしまうとしたら何とも悲しいことです。
その後、報道されているものを読み返してみましたが、現場はブドウ沢ではなくて、滝川の本流であること、そして私の上のリンクに上げた、滝つぼをへつる場所であることで、ほぼまちがいないことがわかりました。
あそこは、滝つぼから、右岸の岩場沿いに早い流れがあるところです。滑落すると、一気に下流に流される。水量は私の写真ではふだんより多めですが、同等だったようです。
落ちて沈む場所ではない。
確保の仕方はどうだったのか? と思います。
一番の難所の一つですから、確保していたように想像します。
流れにまかせて、下流側へ流すと、下流側の確保者が救いようがあるように思います。
また、自力で亡くなられた方を搬送して、下ろすばあいは、かなり上流部で、下には数メートルの滝が連続しています。そこは、よりやさしいですが、搬送は手間がかかります。
2、3時間下がると、谷がやや広まる場所もあります。
かなり上部のこの場所が16時だったとのことですから、おそらくビバークを予定していたのでしょう。この先は、谷は狭い廊下状になり、そこを抜けるあたりで、傾斜のある河原も出始めます。
確保した上で流され、その上溺れたのなら、複雑な事ですね。そこからは報告書を見なければわかりませんね。
yoneyamaさん、おはようございます。
山岳事故へのコメントは難しいですね。当事者ではないですから、本当のことが分からない。あくまで推測でのコメント。
私も少しは山を歩いた経験がありますから、事故に関しては感じる事はありますが、しかし、それは自分の経験というフィルターを通しているので、大きなバイアスが掛かっています。
いずれにしても、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
山岳事故へのコメントは難しいというより、発生してすぐはろくな情報がありません。新聞テレビはたいした情報もない段階にたいして詳しくない人のコメントも載せますからよけい話がややこしや〜になります。
失敗から得られるのはそれを学ぶことからだけ。自分の失敗から普通は学びますが、ほかの人の過去の失敗記録を読んで自分のものとするのが一番です。そういう学びは沢や冬山で怠るべきではないでしょう。
失敗を恐れる人は失敗を認めなくなる。失敗を認めないと、問題が先送りになり被害が甚大になる。真の知性とは、自分がいかに無知であるかを、人に指摘される前に察知することであります。
肩に力が入り過ぎです。
あくまで登山はpersonal experienceであり、登山家なんてもんは所詮、お釈迦さんの手の中の孫悟空なんだと思いますよ。
十人十色、人それぞれ、人生いろいろです。
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