長野県の中信と東信を隔てる山彙を筑摩山地と言います。あまり聞かない名前なのは、山が地味なせいでしょうか。しかしこうしたB級ピークと山麓集落をつなく山歩きを考えるととても魅力的な山域です。
ナントカ山地という名前、結構使われなかったり、範囲が不鮮明だったりで私は気になります。古い地図帳にはよく出てきたりします。関東山地とか、これは広範囲です。
筑摩山地、ウィキペディアには
聖山、冠着山、三才山、武石峰、美ヶ原、鉢伏山、高ボッチ山、 霧ヶ峰
が載っていました。こういう、旧郡名をかぶせた、B級の山地が好きです。ヤマレコでは山域分類で別れるような場所です。
サクサクさんのこのあたりのトンネル開通の話を読んで、そもそも車じゃなくて、足で越えるからこういう地域には人々が住んでいるわけだよな、と思い、戸倉上山田温泉から冠着山、四阿屋山、虚空蔵山経由で明科までの山越えルートなどを考えてみたらとても面白いです。山里に桃の花咲く、今の季節はこんな山登りが向いています。筑摩山地中部の武石峰あたりをつないで横断する案もやりたい。
http://www.yamareco.com/modules/yr_plan/detail-203401.html
昔から気になっていたのは、なぜ筑摩郡とは違うところを千曲川が流れているのか。筑摩というのは松本盆地周辺の旧郡名です。「ちくま」とも「つかま」ともいうのが不思議なところ。
郡名というのは山や川を基準に生活圏に立って作った概念で、もっと尊重してもいいと思うのですが、ヘンな合併市名にして、無理やり市にする事が多いようです。住人が足で歩かず景色を見ず、車で移動して経済関係重視で合併するせいでしょうか。
埴科郡はまだ坂城町が残っているけど、更級郡は、2005年の町村合併で消滅してしまったんだ。郡名が消えて悲しいです。おそばのブランドとして伝統ある名前なのに。
山梨県では巨摩山地に御坂山地(これは八代山地というべきか。やはり古代以来の八代郡の名は消えました)。甲府北山から金峰山にかけてはやっぱり本当なら山梨郡だから山梨山地なんでしょう。ここでは郡名を県名が横取りした格好です。山梨県東部の山はいま無名ですが都留山地と呼ぶのがふさわしいと思います。
東信から松本平へは山越えで、
私には車で行くには技術的に遠い場所です。
筑摩の山々があるのでこちらからは北アルプスが見えず、
三才山トンネルや四十八峠を越えてアルプスが目の前に現れると感激しますね。
この山々は個別にいくつか登っていますが、
低いながらもいくつも山が続いていて
東信ほど地理に詳しくないので、
ここはどこ?てなことになります。
県歌・信濃の国に歌われる「筑摩の湯」とは、
子供の頃つかまとちくまの違いが分からず、
「千曲?」と思っていましたが、
松本の浅間温泉辺りでしょうか。
古くからの名湯なのですね。
そういえば、更級郡は無くなってしまったんですね。
バレーの試合で、更科農業高校と対戦した事がありますが、高校は今もありますね(?)
やっぱり、ちくまとつかまは謎ですよね。
あさまは、子どもの頃、歩いて行ける温泉だったので、浅間山はその裏の山かと思っていたのですが、asmが、古代日本語に由来する古い単語で全国の火山に普遍的な言葉とは、深田百名山を読んで知りました。有珠、恵山、浅間、阿蘇、雲仙、阿曽原・・・。
筑摩の湯って、浅間温泉しかないよなあ。今度帰ったら、お年寄りに聞いてみよう。
更科農業高校、なんて素敵な名前なんだ。いつまでも残ってほしい学校名ですね。校歌歌いたい。いまどきの新設校の名前はどれもちゃらくてダメです。
そういえばサラシナ、ハニシナ、アカシナ、トヨシナ、のシナは、シナノのシナなんでしょうね。面白い。ニシナ、ホシナさんという戦国武将もいました。
追記:筑摩の湯は、浅間温泉の近くのいま、美ヶ原温泉といわれているところでした。その近くに引っ越しました。
そういえば、昔篠ノ井線を急行ちくまが走っていました。長野から夜行で大阪まで行けました。冠着トンネルとか昔の断面積の小さくて長いトンネルがいくつもありました。勾配が厳しくて非電化、冷房も無かったので、ジーゼルカーの排気ガスが凄かったです。
駅名も変ってしまいましたね。聖高原は以前は麻績駅だったと思います。
急行「ちくま」は千曲ではなく筑摩なのです。僕も名古屋から早朝乗り込んだことがありました。麻績(おみ)は今も村名で残っています。駅名は麻績から聖高原に変えちゃったのが残念です。
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