|
![]() |
|
武田方、徳川・織田方の本陣のある丘に挟まれた、幅200mほどの狭く浅い河岸段丘の谷で、両軍5万の兵が激突して、戦国最強だった武田の騎馬軍団が織田の鉄砲隊に破れ壊滅した1575年旧暦5月21日の戦いです。この日この谷には、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、武田勝頼はじめ、前田利家、佐々成政、本多忠勝と、武将有名人がほとんど勢揃いしていました。ここに、イエヤスが立って居たのかあ!
武田の主な武将が戦死した場所には碑が建っていて、かんじのいい里山の牧歌的な田園をハイキングで巡ります。史跡巡りというのは、芸術鑑賞や景勝地訪問と違って、どれだけ史実を事前に読んで知っているかで現場で見えるものが全然違います。そして見学者にこれら事前学習を要求するため、軽薄な見物客で賑わうということもなく、案内板は必要最小限という作法があり、物売りや関連饅頭などを売る輩も居らず、地域住民もなべて優しく、心静かに見学できます。400年前と変わらないのは、地形のみ。丘の形、沢の二股の位置、残っていればかすかな土塁や堀切など。馬場信房、山縣昌景、内藤昌豊が、どんないきさつで生きてきて、ここで最後を迎えたか。知っていると400年前の絶景が蘇ります。碑は、それ自体を見よというのではなくそこに立って情景を想像せよという印なのです。
長距離砲もドローンもない時代、敵の大将の姿も向かいの高台の上に認め合いながら、5万の兵の血まみれの衝突を画面いっぱいに眺めながら。死んだらどこへ行くのかなどと考えながらの数日間でしょう。
野道を、地図を見ながら石碑を探しながら歩いて、碑を見つけたら、木陰に腰を下ろして案内本を読み直す。握り飯を食べる。車で行くのとは違う風景が見えます。何より、この戦場での身体レベルの距離感が体感できます。
古戦場史跡巡りは、地図で地形を見て、どこでも歩くのが苦にならない、山好きならではの楽しみだと思います。
初日は長篠城とそれを囲んだ医王寺山の武田本陣から、まんまと誘い出された連吾川左岸の武田台地に点在する史跡まで歩いてその距離を感じ、武田方武将の戦没碑を中心に歩きました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1142905.html
二日目は徳川方の本陣や馬防柵、それから少し離れた真田信綱、昌輝兄弟の碑を巡りました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1144706.html
唯一、大将の武田勝頼が敗走するのを助け、見届けて、しんがりとして追手を阻んで戦死した馬場美濃守信房の戦没地は、この日はちょっと遠くて諦めたけど、偶然きょう、車でその前を通ったのでお参りできました。
ちょうど一年前、甲府の古府中、武田24将居宅巡りをしていて、彼らの自宅から見える山河の風景も押さえてありましたので、感無量。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-875552.html
それにしても戦国の兵団はよく歩いた。汽車も車も無いから当たり前だけど。
四半世紀前の頃、仕事の関係でよく関ケ原に行ってました。当時は何もない所でしたが、今も変わらないのだろうなと思います。
関ヶ原、伊吹山の上から眺めおろしただけですが、古戦場というのは今も昔も郊外の、あまり人の住まない場所なのかも知れないですね。市街戦というのもありますが。
「何もないところ」というのは、まさに、当時の地形がそのまま残っていて想像しやすいところのことで、却って貴重なことですね。いまどき放っておけば工場や新興住宅街にでもされてしまいますし、京都の町中の新撰組池田屋事件跡地なんか、パチンコ屋か何かになっていたりしていました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する