シベリア出兵が日本人の記憶に薄いのは、それが醜い歴史だから戦前伏せられたためでした。遊撃兵(パルチザン=非正規兵】掃討のため民間人ごと殺し(イワノフカ村)、ますます現地での支持を失いました。シベリア出兵は、戦後日本人が被った災禍、シベリア抑留に比べると、日本ではほとんど語られませんが、ロシアでは全く逆に語られているそうです。ソ連が1945年に満洲や樺太で民間人にあそこまで無慈悲に攻めてきた理由がようやくわかりました。わずか20年ちょっとしか経っていません。日本がソ連のボリシェビキ政権誕生をここまでしつこく邪魔していたとは、日本では今や知られていないでしょう。
はじめは出兵を渋ったロシア革命干渉戦争が何故7年も撤兵できず、4000人も失い国家予算のほぼ半分を無駄に使い続けたのか。「人が死ねば死ぬほど、兵は引けなくなります。リーダーは決して死者を見捨てることが許されないからです。」ジョン・ダワーの言葉p247。一度出兵したら、手ブラでは帰れない。撤兵は本当に難しい。出兵など、しないのが一番です。他の国まで出かけて人を殺したら、その後100年恨まれたって、何度でも謝り続けなければなりません。もう何度も謝ったじゃないか、と凄んでみたって収まらないでしょう。
西から順にウファ、オムスク、トムスク、ノヴォシビルスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、チタ、ヴラゴベシチェンスク、ハバロフスク、ヴラジヴァストーク。これを機会にシベリアの町の名を憶えました。
シベリア出兵 近代日本の忘れられた7年戦争
麻田雅文 中公新書2016
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