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上高地線も登山バスも、釜トンネルも無く、多分上高地へは、みな自宅から歩いたでしょう。写真を見れば地下足袋ワラジ履き、膝までのズボンと脚絆。ムシロ巻きは雨対策か。リュックザックはなく、片方の肩掛けカバンに、中学校の制服です。この一行は白馬岳登山とありますが、前年に松本〜信濃大町までの現在の大糸線が開通したばかり。大町からは仁科三湖の湖畔を徒歩で北上したでしょう。
1918年(大正7年)は、第一次世界大戦が終わった年で明治維新からちょうど50年。日本は戦禍も無く「一等国」の仲間入りを果たし、松本には鉄道網、歩兵連隊、旧制高校が新設されて町作りが整い、関東大震災1923や治安維持法1925や大恐慌1929の始まる前のデモクラティックな数年間でした。
おとなになって、社会背景、歴史背景、町の変遷、山岳全域の踏査など総合的に時間をかけて知るほどに、山の変わらなさと、人の手が貶めたその価値と、やはり変わらない山の引力と。いろんなことを思い浮かべます。
蛇足ですが、ローリング・ストーンズの1973年のアルバムのA面2曲目が100 Years Agoという曲で、森の中をワイン飲んだくれて歩く話があり、筑摩神社の森の前を通りかかるといつもこの曲が頭に浮かびます。昔ここの鎮守の森でワイン呑んだくれたことがあったので。
yoneyamaさん、母校の山岳部の記念行事に、講演すると聞いて、「生」でなくとも、何らかの方法で視聴したいと思っているところです。
実は、高校を卒業して、大学受験のとき、私は2つ、受験先に願書を出しました。
1つは、北大で、いま一つは、信州大学でした。
学生時代こそ、信州に行きたかったなという思いは、長く心に残りました。
でも、あちこちの山を登ってくると、自分の心のなかに、新しい気持ちが生まれてくるのに、気づかされることがあります。
私の場合は、福島の山がそれです。松本を起点に、国内外、どっちも深く堪能してきたyoneyamaさんは、だけども、自分の山心を育ててくれた本当の原点は、「松本だあ!」と思っているのではないかと、想像しています。
3割くらいは、当ってるんじゃないかなあ。
初めての山、故郷の山は、他とくらべられない。
そして、北海道から見れば、苦境にあった80年代初頭の北大山岳部を立て直しへ進める取り組みをすすめたのも、yoneyamaさんの世代かなとも思います。
盛会はまちがいないでしょうが、今回の母校での講演を機会に、ヤマレコの私たちにとっても、また一つ、山の楽しみを深くする機会になるのではと、予感しています。
たにがわさんにも故郷の山がありますからね。国立を二つ受けられた世代の多くの人はそろそろ隠居のタイミングですね。ここで帰還できなくても故郷は故郷。
故郷と異郷と、少年期と青春期と、それぞれの山域があって。転勤族のヨネヤマには30代の山、40代の山、50代の山がありました。それぞれ最高でした。こっちの都合ですが、もう転勤はしなくていいやと思います。
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