馬にひかせた犂(すき)を使って田畑を耕すのが馬耕、馬を使って山から木材を運び出すのが馬搬です。
1960年台にトラクターや大型重機が山里に導入されるまで、馬は何千年も人と一緒に働いてきましたが、この仕事が無くなると急速に数を減らしました。
最近、馬搬や馬耕を見直す人たちのイベントやあつまりによく出かけたので、ずいぶんその魅力を知りました。
もともと昔は誰でもやっていたのですが、絶えて60年近くなり、技術も道具も、ほとんど途絶えかけています。結構奥が深くて、馬の扱いが8割です。以前南米で馬に乗って何十キロも旅したことがありますが、馬の調教さえできていればそれでほぼOKでした。ムチなど要らず、ことばで動きます。
いま、手入れが行き届かない里山、奥山の植林林は、道がなければ重機が入れず、重機がなければ木も出せない。銀行にお金は預けたが暗証番号がわからず引き出すのに高くつくというような例のお話をききました。もともと山奥の急斜面に植林したときは、馬で出すことを前提に木を植えたのに、馬が居なくなってしまった。
馬耕を実践してお米を作り、かまどで炊いて家族で食べている一家が伊那の山麓集落にいて、この一家が僕には本当に幸福そうにみえました。馬と仕事すると人が集まり、農作業が楽しくなる。機械だと効率は良いけど作業が孤独でつまらない。馬は事情があれば働かないときもあるけど、それを解決する。そのやり取りが大切。豊かさとはこういうことではないかな、と思います。
あの大きな馬が、人と働くことが好きだなんて。機械ばかりと付き合っていては知ることができませんでした。儒家のいう教養「六芸」とは礼・楽・射・御・書・数だったといいます。読み書きそろばんはその最後。「御」が馬術です。「人間以外の存在と意思疎通をする教養」というのは現代にあってかなり忘却されているかもしれません。ちなみに「礼」は葬祭で、「そこに居ない人(亡くなった先祖やまだ見ない子孫)と意思疎通する教養」で、家族の存在意義であると内田樹は書いていました。
http://blog.tatsuru.com/2007/10/31_1231.html
こんにちわ、sari-paAと申します。
同感です。だけど現実に馬がいなくなったということは、馬を飼い続けることが厳しいからではないでしょうか。手のかからない木曽馬が絶滅しかけたことなんか、その証拠でしょう。
何か寂しいですが、日本に馬文化というのはあまりない、ような気がします。西洋だったら5,6頭の馬でさえ、扱うのは御者一人です。
日本では一頭の馬を引いて、人間も歩いてます。断然、機動力が劣ってます。
東北の方で、植林の伐採に馬を使っている所、あるということですね。テレビで見ましたが、大変そうです。でも頑張ってもらいたいです。
感想ありがとうございます。日本に馬文化がないというわけではないとおもいます。読んだ史料の限りでは。古代から馬産地があり、戦いに、農業に、馬をよく使いこなしてきました。古いものをたやすく捨て去る文化のほうは欧米以上だと思いますけれども。
東北の岩手県遠野で馬搬をやっている岩間敬さんですね。経験実績とも唯一の人です。大変ではなく、楽しくやっていましたよ。岩手県〜青森県堺の一戸〜九戸のナンバーシティーはそもそも馬の産地のグループだったそうです。遠野の語源は十戸(とおのへ)という説も聞きました。南部藩は、山梨県の南部町から移住した軍馬調教集団だという話です。源平合戦で勲功を得た甲斐源氏の一派です。
馬耕のリポート見ていました。
家でも57年前までは馬耕をしていました。
原動機の無い暮らしは静かで温かく時間的にもゆったりですが
家族で稲作農業をすることで成り立っていました。
現在の経済環境では、馬耕で生計を立てて行くのは困難ですが
原動機が使えないような状況になれば復活できるかも知れません。
ただ、そんな状況になった時には人も馬も元気に動けるかが疑問ですが。
馬との作業は家族や人が集まって楽しい仕事になってくる、と話していました。人々は効率のため機械で孤独に作業するようになり、家族が解散していったということでしょうか。どうせざるを得ないかという話と、どんな生き方をしていきたいかという話は同時並行共存共栄で論じて構わないと思います。
うちの近所には茶色い痩せた農耕牛を連れて
ニコニコと田畑へ歩いて行くおじさんがいました。
親戚ではないけどマキのつながりがあるお宅で、
おばさんと一緒に国道を牛を引いて歩いて行くので、
時々牛の落とし物が落ちていました💦
今思うと牛糞は肥料になりますね。
当時のおじさんは40代くらいかな?
私が高校生くらいになっても見かけたので
随分牛も長生きなのだなぁと思います。
この落とし物、ボロと呼んでいました。耕しながらおこぼれをすき込んで行きます。3年もやっていたら、格段に米がおいしくなったっていってましたよ。
家畜を連れてのんびり野良道を歩くのって、昔は田舎臭いな、っていう典型シーンでしたが、あの心地よさ、満喫しました。横目でチラチラ馬に見られながら、わかっているのかいないのか話しかけながら。さくさくさんの村みたいな山間地は、傾斜もあるし、道作って機械入れるより、牛馬で仕事するのが一番手軽ですよね。
yoneyamaさん、こんばんわ。
馬搬、馬耕というのですね。
実はほぼほぼ冗談なんですが、昔、
うちの畑で馬とか羊とか飼えないか。
なんて話をしていたことがあって、
馬は無理でもポニーとか土佐馬みたいな
小さいのでも無理かななんて話をしてました。
人と共に暮らす馬。。。いいと思います。
豊かさの本質を考えさせられる話ですね。
大型動物と暮らすなら山際の里がお互いにいちばんいいでしょうね。山里でないと家畜が活躍する場面がありません。それになんと行っても舗装道路が厳しい。一般的な勤め人は、会社の都合で時間を大幅に拘束されるから生き物相手は厳しいですね。大多数の人は勤め人ですけど、これが一般的な社会って変かもしれません。
北海道の過疎に行くと、結構いまだに好きで馬を飼っている人が案外多くて驚きます。輓馬(ばんば)大会といって、重い丸太を引っ張るレースが、案外頻繁に小規模で行われていました。
一般勤め人にギリギリのサイズ(大型の犬くらい)はヤギまでかな。ヤギは草を食べてくれるし最近都会の空き地や河川敷で活躍しています。伊那には格安レンタルヤギもありますよ。お乳も出続けるように世話すれば、チーズなんか作れるかも。でも仕事覚えて力仕事手伝ってもらうなら馬か牛ですねえ。畑があるんですね。うらやましい。
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