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犀龍は、ぼうや〜良い子だねんねしな〜の映像でしっぽがどこまでも見えない長大な龍のイメージだったのだけど、犀とは印度のライノサラスのことだったのか。古代漢人は、天竺の四つ足動物を地続きなだけに見聞していて、あれを龍の一種と考えたのだろうか。麒麟(じらふ・きりん)、猩々(しょうじょう・おらんうーたん)はさすがに神話上の怪物の名を当てたのだろうけど。
安曇筑摩松本盆地はむかし湖で、犀川の生坂村山清寺に詰まっていた巨岩を泉小太郎と母の犀龍が突き崩して水を放ち肥沃な盆地にしたのだという伝説があります。小太郎の生まれは鉢伏山なのだとも。出典は信府統記だそうです。犀川の名の由来です。
同じような伝説は甲府の鰍沢にもあり、会津若松や奈良盆地にもあるそうです。ただし伝説ではあるけれど、湖底だった痕跡を示す地質学的なリポートはまだ見たことがありません。
サイという川の名は佐井など字が違って全国に多くあり、そもそも水を指すことばだそうです。
千曲川は、筑摩郡ではなく、なぜ佐久、小県郡を流れていくのにチクマ川なのか?という長年の私的な謎解きは続いています。一説では、千曲川はもとは筑摩川であり、その西股、東股から、西はサイの音だけが残り、東股は筑摩郡ではないから字を千曲と変えて残ったというのが今のところ説得力あると思うのですが。
川の名は下流側から上流地の地名をつけて命名されることが多いので。それに「クマ」のつく川は、まさに犀川下流部のようにくねくねと山間を蛇行する川(球磨、阿武隈、熊野・・・)に共通する古い言葉らしいので、チクマ川は本来今の犀川部分に(下流側の水内郡から)付けられた名ではないかという気がします。これまで読んだ本をまとめると。
私は日本海で鱶に追われて千曲川を互いの巨体で堰を作りながら遡上して小海を作り上げた夫婦のクジラの話が好きです。
こんなのみつけましたよ
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=802
小海は、いま鉄道路線で名がありますね。確かにこのあたり、海の地名がありました。シャチはそんなに怖いのか。
yoneyamaさん、こんにちは。
たまたま今日、内田樹編「転換期を生きるきみたちへ」という本を読みました。晶文社の犀の教室という教養書のシリーズです。犀は潤沢な水や知識を表してるいるのかもしれませんね。
晶文社に犀のマーク、ありますね。犀って動物園で見ると改めて格好いいものです。豊橋の動物園で見ました。
内田樹氏の本は、ここ15年ほどずっと大きく影響を受けていますよ。これからの時代、これまで常識だった確かな道ではなく、自分の心の中の羅針盤を持てという話ではないかな。
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