今の人ならとても住まないような傾斜地だけど、日当たりだけはあるようなところに、廃村、廃屋がある。昭和20年代に満洲から引き揚げてきた人たちが、再び故郷の未開の山腹に拓いた我が家だ。少し前、88歳の老婆とそこを訪ねた。集団自決、身ぐるみ剥がれての逃避行、幼子の遺棄などの末、生還した故郷でも耕す土地もなく。
今は樹林に埋もれている。斜面を切り崩して平らなテラスを作り、母屋、納屋、馬小屋を少しずつ建て増した。幅1mほどの細長い田が幾重にも段を成している。渓流にはわさび。池も作って鯉も飼った。満洲で亡くした家族を弔うお墓もある。老婆はこの家から麓の中学校へ通った。下り1時間半、上り2時間。わらじは数日で擦り切れてしまうからお母さんが毎晩のように藁をなって編んでくれた。
昭和30年代になって自動3輪車の通れる道ができ、麓まで行くのも便利にはなった。でも昭和36年のサンロク災害で、近隣の10数件は全戸集団移住になって、豊丘村に降りた。
伊那山地、鬼面山北東山腹の話。
老婆と、お墓にお参りに行った。岬状の尾根の上の墓標に、逃避行の途上で死んだ小さな弟の名もある。
ここは、いつか、樹林の中にうずもれてしまうのか。どれも朽ちて何もなかったことになるのか。
山を歩いていると、400年前の戦で作った山城の、土塁や堀切はなくならず残っています。この家の建つ、お父さんが切り開いた平地は数百年先まで残ります。墓に刻んだ文字も、まず1000年は消えることは無いよ、と老婆に伝えた。
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