中腹部分には御嶽講の行者が修行する滝や、死後永住するために立てた何千という霊神碑があります。御嶽山に何度も通ううち、こういう面が面白いと思うようになりました。富士山もそうでした。七合目より下には却って無垢の山が残っています。
この御嶽山図を描いた画伯は、黒沢口の強力(ごうりき)の山下さんという人で、以前、1783年の御嶽山開山者の、覚明上人のマンガを読んだことがあります。最近、「御嶽信仰のおはなし」という20pほどの誰にでも読めるストーリーの覚明、普寛両上人の話のマンガ小冊子ができました。300圓で木曽福島駅前の木曽おんたけ観光局に置いてあります。
この画伯の鳥瞰図は、立体的な木曽福島町の散策パンフや、その裏山の福島城(戦国時代の木曽義昌の山城)周辺のハイキングガイドのパンフにもふんだんにあり、ちょっととっておきたい捨てられない観光パンフです。
御嶽古道を、噴火で山頂に行けなかった5年間を機に、地元ではいま見直しをしています。御嶽講の白装束の人々の姿も、以前に比べて激減しました。平成時代の日本人は、ますます宗教性から世相は離れ、高齢化し、いまは20人を超える講は稀だと、小屋の主も話していました。
この画伯の漫画を見て、山登りとは山に祈ることなのだと思い出しました。
精密で綺麗な絵ですね!
最近できた道標でしょうか。
古い知り合いが20数年前に御嶽山の滝の写真集を出したのですが、
噴火によって滝もだいぶ消えてしまったかな。
三年ほど前だそうです。噴火の火砕流で滅亡した地獄谷は、王滝村の奥の方。信仰ルートではありません。行者ルートの滝は往年のまま。むしろ人が減って幽玄の趣きと思います。
yoneyamaさん、こんにちは。
左の吉田初三郎の鳥瞰図、私も素敵だーと写真を撮りましたよ。
御嶽山は濁河からなども変化してゆきそうです。スキー場チャオ御岳と旅館御岳は裕福屋という企業に売却されたまま休業が続いています。濁河温泉は他にも旅館もありますが一番大きな旅館がなくなれば、経営者の高齢化などで旅館が閉まれば温泉地として道路の保全もされなくなるかもしれないですね。
山は逃げないとは言いますが環境は刻刻と変化してゆくのだなぁとこの数年で感じています。
永遠と思っていたことが後継者なく高齢化で廃れる、ホント最近多いですね。一度一度大切に付き合いたいと毎度思います。濁河温泉の雰囲気も大好きだったのですが。御嶽山は全く奥深さが底知れず、何度でも登ります。濁河川完全遡行もまだ未遂でして、近く行って見たいのです。
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