1960〜90年代の活躍で、1989年までのポーランドはソ連陣営下の東側社会主義国。
なんだか最近冷戦が滅びて30年、そのころの風俗に引力を感じて、いろんな分野での読書や音楽、映画をたぐっています。1968年のタトラ山脈でのクライミング、21歳だった。
Back in the U.S.S.R.はビートルズの1968年の曲で、中学生時代(僕のビートルズ時代は1978年頃です)から聴き込んではいましたが、今回改めて歌詞を見ると、面白い。タイトルはチャック・ベリー、コーラスはビーチボーイズのパロディなのは知っていたけれど、1968年のソ連はプラハの春を踏みにじる、おちょくれる相手じゃないのに、「ウクライナ娘はイカしてる、モスクワ娘には歌いたくなる、西側娘の比じゃあない、グルジア(ジョージア)は〜ココロのふるさと」と、あのかっこいいサウンドに乗せて。「膝の上にはペーパーバック(本)」かと思ったらペーパーバッグ(ゲロ用紙袋)だったのか・・・。ソ連に帰るヤケクソ感が盛り上がるビート。聞いただけではわからなかった英語の歌詞を40年も経ってからまた楽しめる。しかしなんだってあんな歌を作ったのか。忌野清志郎の、「あこがれの北朝鮮」みたいなものか。没交渉、断絶の関係から動く一歩目はこういう、笑いに包んだ、嫌味ではなく皮肉の作品からしかスタートできない。これぞ芸の世界。コミュニケーション能力の真髄。
少し前見た「白夜」という映画。ソ連から1974年にアメリカへ亡命したバレエダンサー、バリシニコフが主演で、亡命バレエダンサーがソ連上空での飛行機トラブルで再びシベリアに緊急着陸して捕まり、モスクワの米大使館に命がけの二度目の亡命をするというフィクション。まさにBack in the U.S.S.R.を映画化したのか?というテーマです。クルティカとバリシニコフ、ほぼ同い年。
1968年、1969年は好きな音楽が目白押しの、世界の変動の年。
それにしてもポーランド人の名前と地名は、カタカナなのに本当に読みにくく覚えにくい。やる気が出ます。もちろん16の地方自治体名はすでに覚えましたよ。一番苦労したのはシフィエンティクシシュ県。
クルティカの出身はタトラ山脈近くのマウォポルスカ県のクラクフ郊外。
https://www.yamareco.com/modules/diary/826-detail-187161
ポーランドからは、なぜあんなにヒマラヤの速攻登山分野、特に冬期の分野で突出した才能が続出したのか。この本を読む動機の主なところはそこらへんです。
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