八月はお盆。死者との交霊をする季節なのに、今年は引っ越しの忙しさにかまけて山に行けなかったこともあって、何も出来ていなかった。今週、戦地で撃たれ死んだ人に関わり、ようやく思い出した。
いつか必ず誰にも訪れる死について、山に登り山で過ごすと、とても身近に思索する。生を満喫しているとき程、死の事を思う。
僕はいつ死ぬか。どう死ぬか。死んだら親しい人はどう思うか。それまでに何が出来るか。きょう死んでも納得できるか。死んだ友達はいまどこに居るのか。生きていれば何を話そうか。
死者とつき合い続けることができるのは人間だけだ。死んだ友人の事はときどき思い出してやりたい。たわいない会話、一緒に食べたラーメン、怒ったり、羨んだりしたこと・・・。それを思う存分できるのは、山の焚き火の傍らにいるときなどだ。そろそろ山で焚き火がしたい。五月以来やってない。
>今週、戦地で撃たれ死んだ人に関わり、ようやく思い出した。
彼女のご実家は、山梨でしたね。やはりジャーナリストだった父上の悲しく誇らしげな言葉をテレビで聞きました。yoneyamaさんは、はりつめた一瞬に立ち会われたんですね。
彼女は、雲仙の火砕流で、多くの記者らが亡くなられた現場にいて、その後の取材の分野を選んできたということでした。
私も、80年代までは、噴火も陸と空から何度か現場で遭遇してきたので、家内には、「もし、雲仙のときまで同じ仕事をしていたら、きっと火砕流にやられていたね」と、言われました。
報道には社会性があり、個人の命をときには超えるような切実性があります。
自然災害では、それはあってはならないですが、戦争の場合には、身を守りきれないこともある。そんな社会に人びとが生きているというのも、現実です。
命がそのように扱われる現実を、ひたむきにを伝え続けた彼女に、敬意を表したいです。
山でも戦地でも、ひとそれぞれの懸命な生き方のなかで、亡くなられた方々がいる。
一人で生きているのではないということを考えます。
(プライベートかつまじめすぎる話なので、日記が表の表示から更新されてから、書き込みました。すみません。)
戦地取材はすごく危険、凄い忍耐と不屈の精神、と一般に思われているけれど、冬山はすごく危険!と思われているのと同じようなところがあると思います。
そんなにつらいことばかりではなく、すごく良いことがたくさんあったのだと思うので、ぼくは「かわいそうだ」というような感想ではありません。
そうそう死ぬような目にいつもはあわないけれど、死んでしまうこともあるというのが冬山と同じだと思いました。
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