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目的は古道の最も里側(甲府側)の、いわば「取り付き部分」の確認だ。
甲斐国志では「吉沢道は府北、平瀬の片山の陰にて橋(荒川に架す。昔はここより下、御霊渡場という処にて川を越し吉沢の御霊平より登る。今に大石華表毀廃して荊榛の中に存せり。)を渡り吉沢に至る。外道坂、八王子嶽(各後に記す)等の険峻を凌ぎ嶺路を巡るを正道とす。」とある。
この当時、すでに「昔は・・・にて川(荒川)を越し・・・登る。今に大石華表(鳥居のこと)毀廃して荊榛の中に存せり。)」
というルートだ。
問題の鳥居は昭和59年(1984年)に田圃の中に倒伏していたのを別場所に移築復元されている。
車を路肩に停めて、この辺かという当たりを付けた野良道をうろうろしていたら、地元のおばあちゃんらしき人が「なにしてるでぇ?犬の散歩?」と声を掛けてきた。確かに怪しく見えたのだろう。
「いや(犬連れてないし・・)、ちょっと歴史調べしてまして。この辺に御岳道の鳥居があったとか・・?」と言うと、「それなら、あそこに倒れてたんだよ。」と指をさすではないか。なんということ。これだから古老は敬うべきものだ。
そこには今こそ何の面影も残っていなかったが(写真左)、その脇に道があり、荒川に向かって歩いて行くと坂を下り、土手に突き当たって終わっている。
「なるほど怪しい・・・」。
ところでこの辺の地名を「鳥居坂」というのだ。もっと早く頭を巡らせるべきだった。
道の反対側(山側)を観察しても山に向かう道は見あたらなかった。しかし地図を見ると、少し上に林道が走っているので、そこに向かってみる。
その尾根筋にはKDDIの基地局が立っており、隣に真新しい農道が造られつつあった。
そこから尾根を進むと獣除けのゲートがあり、その先すぐに古道に向かうらしき踏み跡を発見(写真中)。脇の木には小さいながら赤テープも巻いてある。
この先は地形図に点線道が「太刀の抜き岩」、さらに昇仙峡(八王子嶺)に続いているのだ。おそらく、この道で間違いないだろう。
最後に、この道がどこで荒川を渡るのかを突き止めたかった。
鳥居側(吉沢側)の岸から見たとき、反対岸の崖上に観光漬物屋さんがあったので、そこに向かってみる。古道があるとすれば、あの崖の下だろう。
漬け物屋には予想に反してお客が誰もいなかった。入っていくと店員が来て速攻で「試食品」を持ってきて勧める。仕方ないので一口食べてみたり(^^)。でおいしいので買ってしまったが、こんなことをしている場合じゃない!。
漬け物屋から崖下は一切見えず収穫無し(てか、キムチ1パックの収穫のみ)。
道を戻り、県道がちょっと広くなっていた路肩に駐車して、周りを見回すと、川側ずっと連続のガードレールと見えていたのに一カ所、切れて下に下りる階段があるのを発見した。
ここを下りると案の定、川沿いの河川敷みたいなところに降り立つ。どういう訳かそこは田圃である。
しかし、奇妙に曲がった一筋の道が北に向かって付いており、それをたどると漬け物屋の崖下まで進める。
何か手がかりは?ときょろきょろしながら戻って来ると、この道から川岸に向かっている低い石積みがあった。これか!(写真右)。
位置的にはちょうど北岸の道に接続しそうな位置関係だ。ほぼ間違いなさそうだな、と満足して振り返った足下には灯籠の台のような石が転がっていた。う〜む、決定的証拠?。
パソコム様
甲斐国史はまだ未読ですが、この週末、借りたオートバイで僕も自宅の裏山、荒川を黒平まで見てきました。
漬物屋のあたりの話なのですね。昇仙峡の真ん中を沢登りして金峰山まで歩いて行ければ素晴らしいのですが、三日くらいかかるかな。
コメントありがとうございます。
古道のおおよそのルートが判明してきましたので、徐々に踏破して行きたいと企んでいます。
吉沢から山頂までとなるとやはり三日がかりかと(^^)。
吉沢(一の鳥居)〜金桜神社、金桜神社〜黒平、黒平〜山頂(これは先日歩いた)、という三分割くらいが適当かと・・。
さらに細かく、金桜神社〜猫坂、猫坂〜黒平、に分けないと難しいかもです。
こんな長大なルートですから、気長に徐々に攻めていこうと思っていますので、今後とも飽きずにお付き合い下さい。
なお、「甲斐国志」はネット上、国立国会図書館サイトで閲覧可能だとわかりました。
ぜひご一読下さい。
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?SID=kindai&searchWord=%E7%94%B2%E6%96%90%E5%9B%BD%E5%BF%97
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