山梨県内の甲府盆地と富士五湖地方を結ぶ「新御坂トンネル」(国道137号線)でも、来る5/26(月)AM0時〜6/30(月)PM24時まで全面通行止めの上、工事が行われる予定だ。
http://www.pref.yamanashi.jp/dourokanri/shinmisakatunneltennjyoubanteltukyo.html
この一ヶ月以上の間にトンネルを通ろうと思っていた方は迂回路を考えておいて欲しい。
上記県のHPでは精進湖トンネル、若彦トンネルなどを迂回するよう勧めているが、私的には(旧)御坂トンネル経由の道をお勧めしたい。
この「旧道」はさすがにちょっと山道で冬期は閉鎖になるが今年は4/30(水)には開通されている。
夏場は趣のある峠道だ。
旧御坂トンネルの南出口横には文豪太宰治が逗留した「天下茶屋」が健在。茶屋の反対側には太宰の短編「富嶽百景」に書かれた「富士には月見草が良く似合ふ」の石碑も立っている。
ここからの富士山の眺めはそりゃ最高だ。太宰は
「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑(けいべつ)さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲(うづくま)つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。」
と書いているほど。
また、太宰は、この「富嶽百景」の中で井伏鱒二と三つ峠に登った時のエピソードや「小島烏水といふ人の日本山水論にも、『山の拗(す)ね者は多く、此土に仙遊するが如し。』と在つた。」などとも書いている。
小島烏水まで出てくるからには、このひとなかなか山にもうるさかったんじゃないかな。
6月19日はおりしも太宰の忌日「桜桃忌」。
新御坂トンネルの工事にかこつけて、富士そして山に縁あるこの文豪を偲んで、旧御坂峠周辺を歩いたり「赤面するほどの」富士を眺めてみるのもいいんじゃないだろうか。
青空文庫「富嶽百景」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html
昨日、三ツ峠山へ行ってました。
まさしくそのトンネル直前を右折
富士山は朝うっすらお姿を拝見できました。
偶然とは思えない内容にビックリ!
帰路の工事規制中央道が核心部でした…。
三つ峠は富士山眺望の山として有名ですね。
mmgさんのレコへのコメントとして同じように「富嶽百景」の一部を書いたのを思い出します。
太宰の三つ峠登山の「ドテラに地下足袋、麦わら帽子」ってどんな格好?って。
てもっとも今ではmmgさんが三つ峠といったら岩登りの方なんでしょうね(^^)
昨日はちょっと曇りがちで富士山もうっすらでしたか。
富士山も今年はずいぶん積雪が多く、7月1日の山開きには山頂まで行けないんじゃないかと地元では気を揉んでいるようです。
世界遺産登録以来、登山者が増えているそうですが、私はやはり富士山は遠くにあって眺めるものという感じですね。
中央道の集中工事、もう「恒例行事」と化してますね。
今年は先週から今週金曜日までの平日に工事。私達のような「平日派」には迷惑な話ですが。とほほ。
わたしは学生時代の恩師から「太宰は読むな、自殺する」と戒められて目にすることもなかったのですが・・
面白い文章ですね・・
やはり文豪なんでしょう
当時の空気が伝わってきますね
太宰が軽蔑した景色を鑑賞しにいきたくなりました
でわでわ
むむむ、自殺しては困りますねえ・・・。
太宰は一生の間にテンション高い時期とずいぶん低い時期があるようで、低い時の小説はやはり良くないかもしれません。
彼が山梨に来ていた時期は「低い時期」を見かねた井伏鱒二が誘ったらしい。そして天下茶屋にいる間に気分転換して甲府で嫁さんもらったりして一転「高い時期」に向かうようでした。
ですので、「富嶽百景」はその転換期で案外楽な感じで軽妙に書いている感じがしますね。
軽蔑するような富士山でも、毎日眺めて結局すいぶん気分転換できたようです。さすが富士山ですねえ。
太宰の「富嶽百景」は確か中学か高校の教科書に載っていて私が最初に太宰を読んだ小説だと思います。その後若いころですが太宰の作品を色々と読み(たぶん全部)、数年前ですがやっと青森の太宰の生家にも行ってみました。金持ちのおぼっちゃんですね。
坂口安吾が太宰のことを不良少年と書きましたが、確かにスタイリストで月並み嫌いなのは人並み以上だったと思います。
「なんていやらしい、気持ち悪い、ぺっ!」というような表現だったように思います。風呂屋のペンキ絵だとした富嶽百景の表現もよく覚えていますが、月並みであることも生きていく上では大切なので、太宰は太宰と思うようになった頃に私も大人になったような気がします。
さくらんぼを食べるとき桜桃忌を思います。
私も確か中学校の教科書で富嶽百景を読んだような気がします。
ああ、その前に「走れメロス」でしたね。
太宰はどうもそこそこの色男だったらしく、いろんな女性関係もあったようですが、そんなところからも「外見にこだわる」感じが強い人ですね。よほど個性が強かったんだろうと感じも持ちます。だから「月並み」は大嫌いだったんじゃないでしょうか。
普通の感覚だと「富士に松」とか「富士に桜」というくらいが絵になるのでしょうが、あえて「月見草」という寂しげな花を持ちだしてみたのもそんな「ひねくれ気分」かもしれません。
私は東京では三鷹付近の玉川上水の近く、太宰が入水した付近に住んでいました。(^^)
散歩がてらですが、三鷹の禅林寺という寺にある太宰の墓にも参ったこともあり、なんともこの文豪には「親近感」を感じてしまうのでした。
前住居が青森でしたので、何かと太宰ゆかりの史跡を辿る縁があり、甲府に来てみたらまた太宰ゆかりの温泉地の近所に住む事になりました。
作品は、「人間失格」の女々しさに全く不愉快になり、中原中也に太宰が飲み屋でいじめられた話を読んでスッキリしたりしていましたが、もうそろそろ読んでみようかなと、富嶽百景を読んでみました。天下茶屋の二階の窓辺から富士山も見てきましたよ。今はお泊まりできないそうですね。あんなところに革のカバンに原稿用紙と万年筆を詰めて泊まりに行き、「書けない・・・。」とか言って寝転がり、女中さんと世間話なんかしてみたいです。
青森ですと「斜陽館」とかなにかと太宰ゆかりのものがありますね。
一方、甲府も負けないくらい太宰に縁がある。ゆかりの温泉は湯村、旅館は「明治」でしょうか。私も一度人を案内して上がったことがありますが、趣のある建物でした。
太宰はどうも男には好かれないようですね。逆に太宰好きなのは女性が多い気がします。あの定番の肖像画がイケメンだからでしょうか(^^)
天下茶屋での会話を読んでもどうも女中さんの方は太宰に興味があるようなそぶり。しかし本当にあそこでは太宰はたいして仕事もしてない(できない)ようで、寝転がってばかりですね。
天下茶屋あたりも今よりずっと「奥地」な感じだったでしょうから、今でいうと山小屋泊しているような気分でしょうか。毎日富士山眺めて案外楽しかったんじゃないかと想像します。
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