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なるほど「Thermos」はテルモスじゃなくてサーモスなのか・・・。じゃあ、なんでみなさん(私も)これを「テルモス」と?
サーモス社の沿革のページを見るとこんなことが書いてあった。
「このパテントを1903年にドイツで取得し、翌1904年にブルガーは、アルベルト・アッシェンブレンナー、グスタフ・フォン・パーレンとともにTHERMOS G.m.b.H.(テルモス有限会社)をベルリンに設立しました。
ちなみにブランド名のThermos(テルモス)はギリシャ語の「暑熱・夏の意」から来たもので英語読みではサーモス(Thermos)です。」
http://www.thermos.jp/Aboutus/moretermos_003.html
小難しく屁理屈を言えば、会社名は「サーモス」だけどブランド名は「テルモス」だということか?
とは言うもののサーモス社のHPではどこにも「テルモス」という表記など見当たらないぞ。
登山の用語ではなぜかドイツ語が多い。
以前mmgさんが「リュックサックというのはドイツ語だ。」と書かれていた。
調べて見ると「RuckSack」とはドイツ語の「Rucken(リュッケン)=背中」+「Sack(ザック)=袋」という意味のようだ。(uのところは「ウムラウト」になるのが正しい。)
mmgさんや私の持っている「Karimmor」(英企業)のサイトでは「リュックサック(rucsac)」と表記している。
ザイル、カラビナ、ハーケンなど岩登り用語やアイゼン、コッヘル、シュラフなんてのもみんなドイツ語だ。
ところが、「サーモス」だけではなく、どうも最近はこういうドイツ語が駆逐されてだんだん英語化しているらしい。
一番の「走り」だったのは「BMW」だろうか。これ以前は「ベー・エム・ヴェー」だったはず。いつしか「ビー・エム・ダブリュー」になってしまった。
登山用語の世界も同じだ。
いまどき「リュックサック」なんていうと子供の遠足か?と言われそう。英語というよりもアメリカ語である「バックパック」の方が幅を利かせている。大手の「グレゴリー」(米企業)のサイトを見れば「backpacking」だ。
http://jp.gregorypacks.com/ja-JP/shop-men-backpacking
もっとも、ただ「ザック」という方も多いようで、これだとドイツ語の「袋」だね。
他にも
・ザイル→ロープ
・アイゼン→クランポン
・ピッケル→アックス
・ゲートル→ゲーター
なんて言われるようになっている。
この分で行くと「モルゲンロート」もいずれ「モーニングレッド」なんて呼ばれるようになってしまうのだろうか。
確かに英語は世界中に通じて便利。これが世界標準語になってもいいと個人的には思っている。
だが「標準語」以外に「地域語」が残ってもいいじゃないか。
関東では買い物をすると店員に「ありがとうございました」と言われるのが普通だ。これ京都に行くと「ありがとさん」、大阪では「おおきに」と言われる。この違いこそが面白い。
だから私は、いまだに「リュックサック」と呼びたいのだ。カリマーだからなおのこと!
おはようございます
なんてたってドイツは、昔からの同盟国だからね
技術立国でもあり、国民気質も似ているらしいですね。
わたしが、小学校のおりの吹奏楽の指揮者などはCDEFGAH・・音楽でも音階は(ツェ―、デー、エ―、エフ、ゲー、アー、ハー)のドイツ読みをしていたのですが・・(どれみふぁそらし、ですね)
Hは→英語のBに変わってますね
時代は世界標準の英語読みが主流なようです。
いまでも指揮者は「ツェーの音、頂戴!」なんて言ってますがね(笑
山は、やっぱ「モルゲン」「アーベント」が似合うと思いますが・・
でわでわ
ふふふ、uedaさん、同盟なら「日英同盟」の方がずっと古いかと・・・(^^)。
日独が同盟を結んだのは1940年(昭和14年)だそうで、かなり新しい話のようです。
真面目な話、明治期にでも登山技術が主にドイツから輸入されたんじゃないでしょうか。医学も同じですから以前は患者のことを「クランケ」なんて呼んでいましたね。「オペ」「カルテ」は今も健在。
私、大学時代の第二外国語ではドイツ語を選択。なにしろ英語にそっくりだから覚えるのが簡単でした。「イッヒ リーベ ディッヒ!」なんて。
しかしきれいなフランス語にあこがれて「ラジオ講座」なんか独学してみましたが、これが全然ダメ。言語の基本が違うんですね。「ジュテーム!」だもの。
こうしてみるとドイツ語と英語は同じ根っこの言語。読み方を英語読みに変えるなんてのに抵抗ないのかもしれませんね。私は未だに「ビーエムダブリュー」には抵抗ありますが・・・。
中学生の頃からドイツ語が好きで、ラジオで独習していました。今でもぺらぺらというわけでは全然ありませんが、山の言葉がドイツ語でうれしかったです。
thをあのヘンな音で読むのは英語の人だけで、その他言語では全部hは無視してますよね。
戦前から継続していた山岳部の学生文化では、勝手に和製独語をつくったりしていましたがこれは結構おもしろかったですよ。
Wieder kommen ビーコン ザックを置いてラッセルしまた取りにくる事
Latelne ラテルネ 灯り ヘッドランプのこと
Neben 傍らに 行動食の、とりわけ副食のことをさす。
やはり山の言葉はドイツ語!なのですね。
ちょっと調べて見ましたが、日本の登山史の中で特にドイツに起源があるという話もないようで、不思議に感じます。
この辺はmurrenさんならおわかりかも・・・。
しかし、これらの言葉がどんどん英語化されていてしまうのはなんかさみしいですね。
おはようございます。2003年頃に山登りを再開、雑誌を見ると知らない言葉がゾクゾクでした。クランポン、ゲーターなんじゃいこれはという感じです。仰るとおり、医学の分野でも英語が主流のようです。甥っ子が医者なんで聞いてみると、クレブスではなくてキャンサー、マーゲンはまだ使われているようですが、マーゲンキャンサー?
私も第二外国語はドイツ語でした。1988年頃にドイツに仕事で数回行きましたが、田舎では英語が通じません。よって、ドイツ語で、can you speak English? は覚えました。スペルが分からないので、言い方は、確か、ケネン (can) ジー(you) イングリッシェ シュプラッヘン です。この表現をフランス語でも覚えておくと便利です。パレ ブ オングレ
コメントありがとうございます。
医学の分野でもすでに英語化の波が押し寄せているのですね。そうすると若い医師とベテラン医師で言葉が通じないとか(^^)、困りそうですね。
「メス!」「ナイフのことでしょうか?先生?」なんて。
フランス人は英語のことを「カラスの言葉」と言ってバカにすると聞いたことがあります。確かにフランス人はフランス語に誇りを持っていますね。
「パレ ブ オングレ」なんて聞いたらアホ!っていわれないでしょうか(^^)
こんばんは。
楽しい話題なのでお邪魔します。
サーモスは社名なので邪険にできませんので、
「サーモスのテルモス」って私は呼んでいます。
ちなみに、現在使っているのは象印のテルモスです
高校生の頃に習った山の歌に、
メッチェ〜ン通れば、頭〜右♪
ってありましたが、ドイツ語なんでしょうね。
コメントありがとうございました。
>現在使っているのは象印のテルモス
ってのは笑えます。この場合、「テルモス」とは断熱性の水筒、という意味でしょうか。もはや一企業のブランドではなく一般名詞ですね。
昔、友人にキャラメルのことを「グリコ」と呼ぶ人がいて、「森永のグリコ食べる?」なんて意味不明だったのを思い出しました(^^)
>メッチェン
は調べるのにちょっと難儀しましたよ。
「Mädchen」はドイツ語で「女の子」だそうです。「旧制高校生の間で使われた言葉」という解説もありました。
旧制高校といえば、おそらく「アルバイトする」も「アルバイト=労働」というドイツ語をしゃれて使ったんじゃないでしょうか。いまとなってはほとんど日本語として定着してしまいましたね。
こういうのが生き残っていたとすれば、やはり「山の歌」(登山部とか?)として歌われたからでしょうか。
ここにも山とドイツ語の深い関係が見て取れるようです。
[追記]
象印のテルモス、が気になって調べ直して見たら、下記の辞書(大辞林)が見つかりました。いわく
【テルモス】 魔法瓶。
http://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%82%B9
だと!うそおお。じゃあ「象印のテルモス」は「象印の魔法瓶」で正しいんでしょうか??
「魔法瓶」と「水筒」はちょっと違う気もしますが・・・。
山の世界でドイツ語がなぜ巾をきかせていたのかを私なりに考えてみました。以下は独善的登山論です。
日本の山でアルピニズム的な登山が行われだしたのは槇有恒のアルプスでの登山が契機になったと思います。槇の登山に大きく影響されたのは慶応の後輩の大島亮吉でした。大島は日本にアルピニズムを根付かせ実戦するために海外の文献をあさります。涸れは学校では英語とフランス語を習っていたようですが、ドイツ語を山のために独学したらしいです。彼は著書の中で岩登りの参考文献で最もよいとされた本としてドイツのものをあげています。
大島の文章は外国語の単語が非常に多く使われています。英語もありますが、ドイツ語が多いです。日本語にもドイツ語でのカナがふられたりしています。
大島亮吉は今の登山者には人気がないかも知れませんが、私たちの時代には非常にファンが多かったと思っています。そして多くの登山者に彼の思想や文章は影響を与えたと思います。登山用語で日本語の名称があるにも係わらずドイツ語を使うのは少なからず彼の影響がありそうです。ちなみに彼はロープを綱でもロープでもなくザイルと書いています。
私たちの時代は大学ではドイツ語を選択する人が多く、新しい知識は使ってみたくなるのが当然です。日本語で言えばいいのにドイツ語の単語を使ったりしました。旧制高校生が女の娘をメッチェンと言ったのはたぶんにエリート意識があったと思います。それと同じ意識が登山界をリードしていた学生たちにもあったのでしょう。
コメントありがとうございました。
私もほんのちょっとだけ調べたのですが、日本登山の草分けだというウエストンはイギリス人。小島烏水なんて人もドイツ留学などした経歴もないようで、いったいどうして?と思っていたところでした。
「大島亮吉」を検索してみると下記のような解説が見つかりました。
『諸外国の登山関係文献を研究紹介し,慶大山岳部部報《登高行》などに多くの論文を発表。・・・広い視野をもった登山家として多大な影響を登山界に与えた。 』
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E4%BA%AE%E5%90%89
aoiyamaさんがご指摘の通りの人物のようです。
「彼はロープを綱でもロープでもなくザイルと書いています。」
してみると彼こそが、現在までの登山とドイツ語を結びつけた人だということになるのでしょうか。
しかし、その動機が「たぶんにエリート意識」だったとは。
まあ、当時の旧制高校と言えば一般人には縁のないような高学歴者集団だったろうとは想像に難くないです。
いまでも「ついたち(一日)」のことを「いっぴ」という人がいるようですが、これは戦前の公務員の「優越感」からわざと音読みをしたのが始まりと聞いたことがあります。「4月いっぴを以て・・・」などと。
まあ、当時のエリートというのはそんなものだったのでしょうか。
コメントを書いてから、大島亮吉の文章をチェックしてみました。
槍ヶ岳積雪期スキー登山の記録では「ザイル」を使用していました。
彼は前穂北尾根で遭難死しますが、遭難の捜索記録では「綱」が使われています。面白いのは「ザイル・テクニック」が使われていました。この時代は「「綱」と「ザイル」が混在して使われていた時代と想像できます。
エリート意識云々と書きましたが、この意識下で山でドイツ語を使ったのはもっと後の時代です。彼らが使い出したのは、地形や技術に関する単語ではなく、山での生活に関する単語です。
再度のコメントありがとうございます。
大島亮吉さんとは、1899年という生年からすると活躍されたのは大正時代なのでしょうか。
「ザイル・テクニック」などという言葉が生まれていたのですね。
このような歴史のこと、埋もれさせるのではなく、活かして行きたいですね。
「エリート意識云々」は、その当時の社会では普通のこと。そういう時代だったんだろうと思うばかりです。
コメントに書いた大島の槍登山は1922年大正11年です。この前年に槇がアイガー東山稜に成功し、帰国後に登山装備を持ち帰り、アルプスの登山技術を伝えています。
大島の活躍した時代は大正後期から昭和初期です。谷川岳の岩場の発見者・紹介者として知られていますが、これは昭和に入ってからだと記憶しています。そして1928年昭和3年に遭難死です。
関係ないけど、同時代に藤木九三が活躍していますが、彼は登山用語を日本語に訳するのに苦労しています。懸垂下降は彼の訳です。チョックストーンを「はらみいし」と訳したそうですが、残らなかったですね。社会人は日本語を、学生は外国語を、でしょうか。
再三の情報ありがとうございます。
>この前年に槇がアイガー東山稜に成功・・。
アイガーというと「ユングフラウ、メンヒと並び、いわゆるユングフラウ三山の一つとされる。」とのこと。
ユングフラウもメンヒもその名から明らかに「ドイツ語」のようですね。
スイスやオーストリアもドイツ語圏ですから、こういう山に登り、その情報がもたらされたと言うことはかなりドイツ語での登山技術などが入ってきたんじゃないでしょうか。
そういうのが今に伝わっている可能性もありそうですね。
当時の人々は欧州の言葉を日本語に訳すのに苦労したようですね。しかし「懸垂下降」まで輸入・翻訳語だったとは驚きです。
日本人は外来語を上手に消化することで有名ですね。リュックサックなど、いつの間にか日本語のように使っている。それらも当時の先人の苦労あればこそなんだと思いました。
山のドイツ語は大島亮吉説、なるほど〜と思いました。この大正期から昭和初期が、日本のアルピニズムの黎明期ですからね。大島亮吉の本、もっかい読んでみようかな。
このころの山行記録、北大山岳部の古い部報で読みましたが、「山頂の感動」をギプフェルグリュックGipfel Glückなんて書いていました。このころは今で言うエリート意識というほどでもなく、書いていたのではないかな。外国語漬けになるとイヤミなくそうなるものですし。
ポルトガル語なんか日本語の中で400年以上残っているし、そもそも日本語の半分以上は中国語タンゴです。中国語を勉強して、一番驚いた事です。ドイツ語系山用語も残して行きたいですね。
再度のコメントありがとうございました。
私はなぜ山言葉にドイツ語が多いのか、などというのは知られていることと思っていましたが、こうしてみると案外その起源は知られていないのですね。不思議なことです。
確かに日本語の中には外来語から入ったものがすごく多い。でもそのなかで登山言葉はなぜ英語やフランス語ではなくドイツ語なのか?
やはり、その昔の旧制高校などでドイツ語を使うことが「はやり」だった(エリート意識ではなくて)、のが基なんじゃないかと思いました。
何にしてもこれもひとつの文化遺産。なんでも英語化するのではなく残していきたいものです。
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