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さっそく山梨県立図書館に出かけて探したら、なんと所蔵していないとのこと。がっかりすると「他の図書館を当たってみましょう。」と言われた。県内はもとより県外の図書館まで、所蔵しているところがあれば借り受けることができるんだそうな。ありがたい世の中だ。
で、借り受けをお願いしていた、その本が届いたというので借りてきた。某県立図書館所蔵のラベルが貼ってある。
この本の出版は昭和18年という、なんと太平洋戦争のさなか。そんな時期によくぞ登山案内の本など出版できたものだ。
「編者 鐵道省山岳部」とのこと。「鉄道省」とはその後の「国鉄」、いまのJRの前身だろう。「山岳部」なんてあったのだ。
『この本は経年劣化のため大変壊れやすくなっています。取り扱いには細心の注意を。』との紙片も挟まれていてかなりビビる。
この本は「日本山岳大系」とは異なり、一般的なハイキングルートなども丁寧に解説されている。
また添付されている地図は南八ヶ岳の尾根名が詳しい。
して、驚いたのは現在の「県界尾根」のところに「ゴヨウ尾根」と表記されていたことだ。
私の過去の日記で「真教寺尾根は昔、五葉尾根と呼ばれていた。」と書いた。
それは北村宏氏の著作に「山梨県立図書館に保管されている手書きの登山図(年代不詳だが昭和2年前後と推測)に、現在真教寺尾根といわれる道筋が『五葉尾根』とあり、・・・」と書いてあったからだが。
どうも、北村氏のこの著作の方の「真教寺尾根」が「県界尾根」の間違いじゃないだろうか。
「五葉尾根」の「五葉」とは何か意味があるのだろうか? 調べて見ると、これもまた仏教に関係しているのだった。
それは禅宗で使われる言葉「一華開五葉(いっかごようにひらく)」。
「一輪の花が五弁の花びらを開き咲く。迷いや煩悩から解かれ清浄無垢な心に立ちかえり、真実の心の花が開くと五智により、やがて自然に仏果菩提の実を結ぶ。」
という意味だそうな。
尾根名については他にも興味深い発見があった。
権現岳南麓に「御題目尾根」「御神楽尾根」「十二山尾根」「アトノ尾根」などという尾根名が記載されていたのだ。
これらの尾根を横断して繫ぐルートが「八ヶ岳御中道(おちゅうどう)ハイキングコース」として紹介されている。
富士山だけでなく八ヶ岳にも「お中道」なるルートが「一般ルート」として存在していたらしい。
このコースは現在の「八ヶ岳横断歩道」になったんじゃないか。
次回は、これら「お中道」周辺の尾根について書いてみることにしよう。
写真左)「日本山岳案内12」。背のタイトル以外なにも書かれていない質素な装丁
写真右)赤岳周辺案内図では、大門沢をはさんで「ゴヨウ尾根」と「眞教寺尾根」が並ぶ。登山ルートも興味深い。
***** CM **********************************************
『八ヶ岳ブルーな深海空間!?/ 青と白の蓼科山』(2015.01.14)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-575153.html
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おはようございます
いろいろの説が出てきてますね
興味津々です・・が
五葉は、たしかに禅家の言葉ですが、禅が入山することもあまり考えられないことですから・・
以下の漢詩を思い浮かべます
少年老い易く学なり難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声
(原文)
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
最後の一節ですね
階前(階段の前もしくは庭先)
梧葉(ごよう、アオギリの樹木です)
わたしはあまり樹木を見ながら山を行くことはないのですが・・
http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-aogiri.htm
↑こんな樹木が、ごよう尾根に植わってないでしょうか?もし、多くあればごよう尾根は「アオギリ尾根」の意味と思いますが・・
わたしの思いついた考えですので根拠はありません
それにしても面白い尾根の名前ですね
でわでわ
さっそく手がかりをお示しいただきありがとうございます。
私も、地図の「ゴヨウ尾根」とカタカナ表記なのが気にはなっていました。なぜ「五葉」と書かれていないのか?
思うに、地元で「ごようおね」と呼ばれてはいるものの表記する漢字が不明だったんじゃないでしょうか。武奈ヶ岳の方にも「コヤマノ分岐」とか「シャクシコバ」なんてあるように。
日本の地名では「音(おん)」が優先で漢字は当て字にすぎない例が多いですね。「大阪」も昔は「大坂」だったり「逢阪」だったりした。だから漢字から意味を探ろうとするのは誤りの元のようです。
ただ、「ゴヨウ」はまさか「御用!」じゃあるまいし。
「五葉」で思い出すのは「五葉松」「五葉ツツジ(シロヤシオ)」なんてのでしょうか。五葉尾根に生えそうなのは「五葉松」の方ですね。「梧葉(アオギリ)」はお示しのサイトやその他ページにも「東南アジアなどの亜熱帯地域原産」とあり、日本では暖かい地域にしか自生していないらしい。寒冷な八ヶ岳には生えていそうではありません。
ちょっと探ると日本中に「五葉尾根」という尾根は複数あるらしいです。山梨にも鳳凰と白根の間に小さいながらその名の尾根があるようですね。
日本山岳案内の中ではどの文章でも「ゴヨウ尾根」との表記ですが、これと矛盾する、北村宏氏の著書の方は「五葉尾根」と漢字表記らしい。この著書の方の根拠の「手書き地図」というのが見つからないと推測の域からでないようですね。
他の古書なども探っていきたいと思います。
また最大の謎は、そういう古い呼び名がありながら、おそらく戦後になってなぜ急に「県界尾根」と変わってしまったのか?ということですね。これが一番です。
そして、「五葉尾根」が真教寺尾根の古名でないなら、真教寺尾根はずっと以前から真教寺尾根だったということなのか。すると私の「某氏が真教寺尾根にむりやり改名した。」説はなくなりますね。これも知りたいところです。
こんばんわ!
この本を検索すると、ルート図の写真が載っているホームページがありました。アトノ尾根は、多分、今でも使う三つ頭からヘリポート跡に下る尾根ですね。あと、前三つ頭へ登る尾根が、御題目尾根のほか、御神楽尾根、中尾根、大日?尾根、十二山尾根と盛りだくさんです。御題目以外は藪こぎになるようですが、機会があれば歩いてみたいものです。
県界尾根は、ゴヨウ尾根ですか。古い登山道は、すべて仏教がらみですね。
totoroさんがご覧になったページはおそらく私がたどり着いたのと同じページでしょう。
そこに載っている写真がイマイチ鮮明でなく、読み取りづらかったのでぜひ原本を見てみたいと思ったのでした。
次の日記に「お中道」あたりの尾根のことを書くつもりですが、アトノ尾根はご推察のとおり現在の「小泉駅ルート」、ヘリポートとか木戸口公園を通る尾根ですね。
こうして調べていくと八ヶ岳は修験者が登った歴史が色濃く残っています。それで「ゴヨウ」=「五葉」と推察したのですが、uedaさんがご指摘のように、案外「五葉松」とかからの命名かもしれません。その辺わかると面白いのですが。
ただ、北村氏の著作「真教寺尾根が古図に五葉尾根と書かれていた。」というのと矛盾するのが困っています。
パソコさん
古典にあたるって大事な事ですね。次はその、「昭和二年と思われる手描き地図」でしょうか。
戦前の山岳部OBとの話などで、昭和18年は、まだ内地では勝つと思っていて、暮らしも以前の連続だったようです。北大の日高のペテガリ岳冬季初登も昭和18年1月です。下った時代から見ると、戦争中の窮乏は4年間続いていたわけではなく、庶民感覚としては昭和19年後半あたりからが、いよいよ本土決戦、死を覚悟、出版どころじゃない、となったのではと思います。あっという間の一年間で、失ったものの膨大さよ。この本もよくぞ戦渦を逃れて、と思います。
県立図書館、よく行くのですが、パソコさんにちっとも会えませんね!
コメントありがとうございます。
この本の冒頭に「序」として鐵道省山岳部長 長崎惣之助氏の文章が書かれています。
「国民の精神力と体力とが総動員されて、新東亜の建設に邁進しつつある現下の我が国にあって、全国民の精神的並びに肉体的鍛錬が声を大きくして要望されつつあることは・・・」
で、登山によって「精神・肉体の鍛錬」に資するというのがこの本の目的だ、と。
まあ、当時としてはこのような文言を書かねば出版するのも肩身が狭いという雰囲気になりつつあったんでしょうね。装丁があまりにも簡素なのは物資不足の折なればと思いましたが、そうでもなかったんでしょうか。
まったくこういう本が残っていたのは幸いでした。神田の古書検索でも引っかからず、全国にもそう多くの冊数残っていなそうですが。
県立図書館は、八ヶ岳を調べ始めて数回訪れただけです。史料探しに司書さんが親身に付き合って下さるのに驚きました。
つぎは「昭和二年と思われる手描き地図」を当たりに行ってみたいと思っています。
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