記録ID: 4262315
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
北海道
日程 | 2022年02月26日(土) ~ 2022年04月29日(金) |
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メンバー | |
天候 | 記録参照。 |
アクセス |
利用交通機関
どちらの岬も送迎してもらいました。
車・バイク
経路を調べる(Google Transit)
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地図/標高グラフ


標高グラフを読み込み中です...
コースタイム [注]
山頂の時間は写真のデータから振り返ってのおおよその時間です。
コース状況/ 危険箇所等 | プロローグ 「完全単独ワンシーズンであれば、極地の単独歩行横断に匹敵する、最も困難で素晴らしい記録になることは間違いない。」 極地というと、北極や南極ということだろうか。そこがどのようなところなのか僕はまだ知らない。ひょっとするとそのレベルのすごい計画なのかもしれない。17年もの歳月を費やしてこの計画を完遂し、その記録を『北の分水嶺を歩く』にまとめた著者、工藤英一氏があとがきに残したこの言葉が頭を離れない。工藤氏はその後にこう綴っていた。 「いつの日か誰かに、人並はずれた艱難辛苦に耐える精神力と強靭な体力の持ち主に、挑戦し実現してもらいたい。本州や外国ではなく地元の北海道にこんな素敵なかけがえのないルートがあるのだから、道内のこれからの若き岳人に期待している。人間の精神力と体力の可能性を広げ、登山者はもとより、登山の世界を知らない一般市民にも感動と夢を与えてやまない、本物の山行になると僕は強く信じている。」 ぼんやりと、この若き岳人って僕のことにならないかな…。と思う。「本物の山行」という言葉は僕の心を惹き、深く脳裏に焼き付いた。 『北の分水嶺を歩く』と出会ったのは2年前、ワンシーズン単独知床半島・日高山脈 全山縦走から帰ってしばらくしてのことだった。同じく襟裳岬から宗谷岬への縦走をまとめた志水哲也氏の著書『果てしなき山稜』の中にこの本が登場するのだ。工藤氏の報告書をきっかけに志水氏は12月から5月の半年間で歩き切る計画へと着想する。その内容には山の過酷さはもとより、自分探しの旅、現実との葛藤に溢れていた。 志水氏とこの著書の存在は日高へ縦走に出かける前から知っていた。知っているだけでなく、知ってすぐにAmazonでポチって、出発前にはすでに手元にあった。けれど読まずに出発した。余計な情報が増えて、自分の山行が出来なくなってしまうのではないかと恐れていたのである。そして、今の僕と同年代の頃の志水氏が12月から5月の6ヶ月間ぶっ通しで入山した記録だと思い込んでいた僕は、実のところ、日高へ出発直前に自分のせいぜい3週間程度の計画のちっぽけさが露呈するのを嫌ったのだと思う。しかし実際には志水氏は、全部で12回に分けて縦走し、6ヶ月間の内の半分近くは下界で過ごしていた。自分の計画を無事に終えて、満を持して読み始めた僕は安心してしまった。誤解のないように言っておくと、志水氏はその数年前に日高山脈全山縦走をしているし、この旅に記録を求めてはいない。敢えて困難さや過酷さを求めているわけでもない。ただ、北海道を全身で感じるために、ゴールは宗谷岬とだけ決めて、旅に出たのだ。ものすごい旅だ。その考え方や生き方、ふとしたときに社会の常識に反発してしまう心情描写や随所に見せる人々への猜疑心には思わず共感してしまうところがあり、ページをめくる手が止まらなかった。一方で読みだす前の期待が大きすぎたせいで下界の時間の長さが気にかかる。その下界で出会うたくさんの温かい人々とのふれあい。それも志水氏のこの旅の魅力の一つなのだけれど、これは一つの長大な旅であって、一つの山ではないんだろうな…。そうか、ならばこの足で…。 ※※※この記録はまだ書きかけです。※※※ 63日間、とあまりに長大なので、全部書き終えてから公開する(かなり時間がかかりそう)よりも、書き加えていく方が面白いのでは、と思い敢えてこんな書き方をしてみました。 実際に使用していた1/50000地形図の裏に、僕が毎日の日記を書いていたものの原文ママ(誤字脱字や省略部分のみ修正)です。打ち込みながら、書き直したいところがたくさん見つかりますが、ここは敢えてリアルな日記をそのまま掲載することにしました。 記念すべき?初回は第1週目(2/26∼3/4)。Day1~7です。 63日間を1週間ずつ、9回に分けて更新していく予定です。 随時編集、更新していくつもりなので、原文ママが読めるのは期間限定かも…? Day8∼14追加しました!(2022.5.7) Day15∼21を追加(2022.5.8) Day22∼28追加(2022.5.9) Day29∼35追加(2022.5.10) Day36∼42追加!(2022.5.11) Day43∼49追加しましたー(2022.5.12) Day50∼56追加。明日は最終回!(2022.5.13) Day57∼63(最終日)追加しました。これにて完結。(2022.5.14) 2/26 快晴 風強い 7:30~15:00 いよいよ始まる。見送りが嬉しい。ソワソワして寝不足だ。最初は歩きやすく快調に進む。だが、40圓禄鼎ぁ7彁擦任800g/1日ずつ軽くなっていく。防風林に入って風が弱まったと喜んでいたら、日射でベタ雪になってしまった。これなら風車のモーター音を我慢する方がましだ。スキー板が下駄になり、なかなか進まない。晴れた日は午前勝負だ。モービルトレースが出てきた辺りから快適になる。その先で20人くらいのグループに出会う。中には子供の姿も見える。襟裳岬まで目指しているのだ、と話すと「じゃあだいたいあっちだね!」と南の方を指さしてくれた。こういう会話がありがたい。 道路に降りる所で派手にこける。危うく車にひかれるところだった。雪解け水も流れていたが、幸い濡れずに済んだ。さらに進んで林の中にCamp1を立てる。お尻が早くも筋肉痛だ。明日は早く起きよう。それにしても今朝、遠くに見えた真っ白な利尻山はかっこよかった!あんな風格が欲しい。 2/27 晴れ 風強い 5:30∼15:00 そういえば昨日父親が還暦だったらしい。おめでとうくらい送ればよかった。二日目だ。荷が重い。風が強い。愚痴ばかりこぼれる。雪はかなり締まっていて歩きやすい。朝日も美しい。長い電波針のようなものが何本もある。何用だろう。おそらく夏は使えるのであろう林道らしき跡を辿って道路へ出る。今日は落ちずに済んだ。 昼前にようやく主稜線らしきところへ上がる。雪は固すぎるくらい締まっていて、スキーではバランスがとりづらい。下りのスキーもガリガリなので足がパンパンになる。295は急なのでシーアイゼン(スキーアイゼン、クトー、SE)を使ってトラバースで捲いて越える。SEは下りではむしろ危なく使う場所は気を付けなければならない。風が強くてうんざりする。それでも吹雪よりはましか。 テント場からはエタンパック山が見えた。明日には幌尻山を越えられるだろうか。出来れば強風は勘弁してもらいたい。そういえば重荷で腰骨の辺りがボコッと腫れている。全くもう…。 2/28 晴れ 風強い 6:30∼17:20 雪かあられでテントが騒ぐ音がする。稜線上は風の音…。3:30に起きるが5時まで二度寝。起きるとすっきりと晴れている。あわてて出発。音の通り風が強い。標高300mより上は暴風が吹き荒れている。200m台に下ろすと風は心地よい。この先は標高が上がるから困ったものだ。 遠くに幌尻山が見えた。雪煙が大きく舞っている。死闘の予感がする。案の定、雪面 がカリカリな上に風が強いので何度も転ぶ。起き上がる度にザックが重すぎて全身が攣りそうだ。こういう時は毎度のことながら、どうしてこんなに辛いことを一人でしているのだろう、と思う。 300mより下ろすと風はやはり収まる。天候悪化ではなかったようだ。その後は永遠のように感じる尾根を道路まで進む。また道路だ。山に籠りたいはずなのだけれど、なんだか安心してしまう。 地図上の水線を辿って飲用水を確保する。雪を溶かす分のガス缶も節約になったが、なにより冷たくてうまい。幸せだ。山って良い。今日は厳しい行動だったのだけれど、もう忘れてしまっている。まぁいつもこんな感じだ。つくづく単純な性格をしている。 3/1 曇り時々雪 6:30∼14:30 昨夜はまた雪の音がしたが、それほど積もらなかったようだ。朝、また水をガブっと飲んで出発する。この先、分水嶺は大きく蛇行しているが、その脇に伸びている林道を使えばショートカットになりそうだ。昨晩一晩かけて悩んだが、ここはショートカットでスマートに行こう。展望もない、分水嶺の実感も湧かない稜線歩きならショートカットしてもバチは当たらないだろう。何より楽しくない。結局は本能に従うことにして、イソサンヌプリへの最短路を目指す。最初は予定ルートから少し逸れるという変更をしたことに若干の抵抗を感じていたが、そのうちに「思うようにいけばよい。」と思うようになった。考えれば考えるほどに自分勝手な計画なのだ。ルールもルートも自分で決める。自分が納得すればそれでよい。このルート変更を後悔することはない。 そういえば今日は林道ばかりだった。奥深い山々に浸るはずが、文明の力に頼ってばかりだ。強く、我が道を切り拓くようになるにはどうすればなれるのか。なりたい。強く。身体も、心も。 3/2 曇り時々雪 冬型緩み 風強い 昨日一昨日よりはまし 荷が軽くなってきたような気がして軽快に進む。355は雪が硬く、転びながら進む。スキーが上手くなりたい。軽くなったような気がしていたが、転ぶと全身に力を込めないと立ち上がれない。樹林限界が高くなってきた。450mくらいだろうか。出発時は200mくらいで木が無くなっていたから植生の変化を感じる。イソサンヌプリの最後の登りはSEで登る。息絶え絶えの山頂だ。一昨日の幌尻山が見える。白く切れ落ちている。先には電波塔らしきものが乱立している知駒岳が見え、その奥にはパンケ山、ペンケ山らしき白い峰が見える。 3/5∼7は道内全域で春の嵐になるようだから、3/4までにペンケ山を越えたい。ストックで体重を支え過ぎて手首が痛い。腱鞘炎のようになってしまった。これは予想外だ。風め…。おのれ…。 知駒岳の建物ってもしかして中に入れるのか…?と思って見てみたが無理そうだった。建物を風よけにテントを張る。飯とチョコを食い終えると寝落ちしてしまった。気づいたら朝になっている。(この日記は3/3に書いている。)おいおい、こんなところで生活リズム乱れちゃダメだろ。 3/3 雪のち曇り時々晴れ 風はほとんどない F持ちLの通過って言ってたのに… 前線持ちの低気圧が近づいてきているという予報を見て、これまでかなりハイペースで来ていたこと、明日の方が予報が良さそうなことから今日はパンケ山手前までと決める。4時に起きるとやはり雪が降っていて視界もない。安心して二度寝する。6時に起きると雪は止み、晴れ間も見える…。あれ…?7:30にのんびりと出発。アップダウンも優し目で気持ちの良い山歩きだ。ただ荷物が重いのと、手首が痛むのが余計だ。 昼にはガスっていたパンケ山も、お隣の敏音知も見えてくる。風もなく、あれ、今日パンケ山行けたのでは…との思いがよぎる。だが、旅にはこんな日も必要だ。幌尻山に登った日(2/28)のような行動が連続していては潰れてしまう。本当は毎日こんなゆったりプランが好きだ。だとしても甘えてばかりもいられない。明日どうなるか分からないが、できればパンケペンケを越えたい。3/5からはしばらく稜線には出られないだろう。…。待てよ…。明日頑張れば2日間くらいは停滞か…!停滞大好きなんだけど、大荒れはしないでほしいなぁ…。 3/4 晴れのち雪 6:00〜15:30 冬型緩み 寒い。シュラフから出るのが億劫で朝の支度が遅れる。テントが凍りつき、厚いグローブでバリバリとはがしながらの作業は骨が折れる。腕をブンブンと振り回して、指先へ血を巡らせながら。憂鬱なはずなのになぜか気分が良い。快晴なのだ。無風なのだ。心躍らないわけがない。 敏音知岳から陽が昇り、まばゆいオレンジ色がパンケ東壁を染める。何だかパンケ山が昨日より厳かな山に見える。昨夕とは違う山のようだ。 現実に話を戻すと、進む先には作業道が山頂に向かって続いていて、西側へ回り込むところまで利用する。道といえど視界が抜けているだけで、特段歩きやすいわけではない。昨夜10僂曚廟僂發辰燭茲Δ世、朝の今はまだ軽い。西側から稜線に上がるのには苦労する。SEで必死に格闘し、滑落の恐怖を乗り越える。普通アイゼンだろうな。稜線に出てからも急で雪庇たっぷりの尾根登り。アドレナリンが出ているのを感じる。8:30パンケ山山頂。美しい。今までの道のりが見える。利尻も。そしてこの先のペンケや函岳らしき大きな山も。だがのんびりする時間はない。気分よく先を急ぐ。Peak先は雪質も良く、スキーが快適だ。ずっと進んでペンケへ取り付く。段々と雲が湧き、風が冷たい。この稜線も一筋縄ではいかせてくれない。ここで落ちたら笑いものだな、なんて思いながらSEで攻める。やっとの思いで辿り着いたPeakでは利尻はもう見えなかった。 明日から荒れる。早く麓へ降りなければ。すでに吹雪いてきているのだ。この先は、蛇行する稜線は進まず、音威子府川へ向かって大きく下ろす判断をする。合理的なはずだが、まだ判然としない。だが、こちらに気が向いたならそれで良いか。 作業道が続いていて、川沿いに出ると開いた沢から流水がのぞく。やはり冷たくて美味い。たぶん僕はこれを求めて降りたのだろう。 充実の疲労感と、先への不安と。 明日はどれくらい荒れるのだろうか…。今日は幸せな一日だった。 3/5 曇り 微風 大型の低気圧の接近 10:00∼14:00 悪天を覚悟していたが、結局終日雪は降らずだった。3/8までは函岳は乗越せないだろうという読みで、地図を眺めプランを練る。3/7なら動けそうだから函岳手前まではこの日に移動することに決めると、今日はダラダラで良さそうなことが分かる。ウキウキで二度寝。 だが、肝心の天気が悪くならない。雪はおろか風もなくどんよりとした曇天が広がっている。こりゃ今日移動しておくべきだったか…、と後悔するがもう遅い。身体を休められたことに感謝して、あくまで焦らず着実に進もう。今日も水が汲めるテント場。この幸せになれてしまうとマズいなぁと思う。NHKディレクターの田辺さんから田中陽希さん、工藤英一さんと連絡を取ってくださったことを伺う。見知った方々が僕の旅の様子を気にかけて下さっていることが素直に嬉しい。 暇な時間はずっとラジオでNHK第一旭川を聞いているが、ロシアのウクライナ侵攻の話題ばかりだ。ロシアの考えが分からない。事情を詳しく知らないから、とかではなく分からない。幸せって何なのだろう。ロシアにとってはこれが幸せに向かっているのだろうか。思えば僕は争いが嫌いだった。受験戦争もそうだし、小中高と続けてきた野球のレギュラー争いも。その点、山は何て平和だろう。誰にも何にも邪魔されず、雪のある所を縦横無尽に駆け回る。そんな山が僕には性に合っている。 幸せってたぶん、飲み食いに困らず、乾いた服を着て、風雪を凌ぐ‘’家‘’があることだ。やっぱり今日も幸せだ。 3/6 午前曇り 午後雪 風あり 積雪は20~30 cm? 停滞 JRは特急が複数本、終日運休になったようだ。ラジオでは宗谷で最大積雪40僂範辰靴討い襪、ここは宗谷というよりオホーツク寄りなのだろうか。まだあまり悪化する気配がない。昨晩の予報では昼過ぎくらいまで雪が降らない予報だったため、午前中だけ動こうかと考えたが、4時に起きてもう一度見ると10時に降る予報に変わっていた。低気圧性の湿雪に降られてびしょ濡れにはなりたくないので、大人しくstayとする。二度寝。 結局午前中は降らなかったが、12時くらいから降り始める。標高が低いからか、風は少しでしんしんと降り積もってゆく。 動かなくて良かった。ぬくぬくテン場を満喫する。夕方、今日1日何もしていないなと思いながら、唯一の仕事、水汲みへ出かける。雪が降る前に行っておけば良かった。そうこうしているうちに順調に積もってきた。除雪しないと降り積もった雪でテント内の頭のスペースが無い。 明日で10日目か。あっという間な気もするが、身体は着実に疲れてきている。これまでそれなりに調子良く飛ばしてきたが、かと言って距離的な貯金は大して無い。あまり先を急いでばかりでは楽しくないのだが、やっぱり日程がタイトすぎたかなぁ。この雪ではラッセルが酷くてしばらく楽しむ余裕もないかもしれない。暖かさだって問題だ。雪が腐ってはペースが半減する。あれ、何だか今日はマイナス思考だなぁ…。 3/7 曇り時々晴れ 弱風冷たい 6:20∼14:00 冬型が決まり、キリっと冷え込んでいる。テントの撤収で手がかじかみ感覚が無い。やはりラッセルが酷い。歩き始めるとあっという間に体温が上がり、手に熱が巡る。だが幸せは一瞬だ。単独行の最大のデメリットの一つがラッセルだろう(まぁ最大はリスク管理かもしれない)。こういう時ほど仲間が欲しくなることは無い。今日はどうやら卑屈な気持ちで過ごすことになりそうだ。停滞も挟んでかなり荷物も軽くなってきているはずだが、そんな感覚には一向になれない。 今日で10日目。これまでの計画だったらそろそろ下山の目途が立ってくる頃だ。少なくとも行程の半分以上は歩き切っているのだから(これまでの長期山行は16泊17日が最長だった)。だが今回はまだ1/6だ。この差はあまりにも大きい。精神的にキツい。思うように進められれば気も紛れるが、このラッセルでは。 段々と気温が上がり、咲来峠に着いた頃にはスキーのシールが濡れてしまいひどい下駄だ。ラッセルと下駄のダブルパンチにダウンし、パンケサックル川に逃げ込む。今日も水が汲めた。夕日が暖かい。何だか春みたいだな。あれ、ちょっと幸せ。 3/8 高曇り 雪 吹雪→晴れ→吹雪 5:30∼15:00 晴れを期待していたが雪が舞っている。あれれ。今日の取り付きはかなり急だ。ぱっと見ではどこから登るのって感じ。雪質は夜の冷え込みで良くなった。おかげで何とか登る。しばらく本気のキックターンが続く。振り返ると最初の名も無きポコが一番大変だった。660へも急な登り。疲れる。875への登りはSEを付けて斜面にしがみついていく。落ちたら止まらなさそうだなぁ、と思いながら出来るだけ下を見ないように登る。この先も雪が締まったままなのでSEで進む。平らになって気持ちも平穏になる。風が弱くて、これなら晴れなくてもありだなと思っていると、進めば進むほど吹雪に…。気温は高めなのか、それほど寒くはないが、何だかつらい。うーん…。 ホワイトアウトで先が見えなくなった。立ち止まり、地図でこの先に危険な場所はなさそうだと確認して、一路直進する。高度計を見る限りたぶん登っているが平衡感覚が…と思い始めた頃に人工物が!山頂のアンテナだ。山頂脇のヒュッテは雪に埋もれて思いの外小さかった。斜面を下ると晴れてくる。遅い…。と、すぐにまた吹雪。風も強くなってきた。下り切った先の林の中でC11。ピヤシリまであと3日で着くかな。あーあ、マヨネーズが旨くなってきた。 3/9 快晴 風は冷ため 6:15∼14:15 気が付いたら4:30。慌てて準備。放射冷却で冷え切っている。指先の感覚が戻るまで出発から1時間くらいかかった。低い標高を歩くにはもったいないくらいの好天だ。昨日はせわしなく越えてしまった函岳がくっきり見える。白くでっぷりと鎮座している。僕の道北のイメージにぴったりだ。午前は快適に進んでいたが、10∼11時くらいから雪が腐る。スキー板の裏にべっとり張り付いて不快この上ない。足に重りが付いた感じで嫌気が差す。だが今日は西尾峠で田辺さんがスタンバイしているから止まりたくない。何とかかんとか峠へ着くとカメラの目の前ドンピシャだった。久しぶりの人との会話に思わず頬が緩む。やっぱり僕はずっと一人は無理なんだろうな、と思う。だがそんなことに気づかせてくれるこの旅もやはり必要だ。それにしても少し饒舌になりすぎたかもしれない。 1日晴れていて今日確信したことは、道北は地図読みが核心だ、ということ。視界があっても現在地把握が本当に難しい。大雪山系のだだっ広い難しさとは違い、小さい尾根、沢が入り組んでいる。それと晴れの日は午前勝負だ。午後は装備乾かしタイムにするくらいが丁度良い。 3/10 晴れ 風冷たい 6:45∼12:50 こんな夢を見た。気づいたら下山していて、どうやら今回の計画は失敗したという。僕は慰めの会の中心にいて、半額のお惣菜とビールで乾杯している。今日中に再入山すれば計画を続行できる、という暴論を主張する僕を、「みっともないから止めな。」と優子がたしなめるのだった。 田辺さんと三好さんが早朝にまた来てくださり、GoProのヘッドベルトを授けてくれた。人の心に触れられる時間が尊い。これ以上一緒にいてしまうと旅に戻れなくなると思い、出発後は振り返らなかった。 朝の雪は締まっていて歩きやすい。この計画で人に伝えたいことがあるとすればなんだろう。考え事をしながら歩くには実にちょうどいい尾根が続く。冷たい風は頬を叩き、いそいそと厚手の手袋をはめる。シアッシリ山頂は思いのほか狭く、風もあるので先を急ぐ。 僕のこの計画の核は「山に感じる幸せ」だ。厳しく辛い行動があっても、やっとのことで張ったテントで飲むインスタントの味噌汁はこの世で一番の幸せだ。暖かい陽だまりの下、濡れ物を乾かしまどろむ分かりやすい幸せもあれば、硬く凍てついた氷の稜にアイゼンを利かせて進む緊張もまた、幸せなのだ。「あいつ、こんな大変そうなことを、こんなに幸せそうに楽しんでいやがる。」そんな旅にしたい。幸せを感じたらカメラを回そう。 11時、雪が腐り、不幸がやってきた。登り返しを諦め、東の沢へと進路を変える。 もういいや、昼からテントでまどろむのが僕の幸せだ。 あぁ、陽光というものはなんと懐が深いのだろう。アーモンドが美味い。 3/11 晴れ→曇り→吹雪 5:30∼12:40 今日は最初のデポ地、ピヤシリ山頂避難小屋へ辿り着く予定だ。暖かいストーブを想うと胸が高鳴る。昨日は美幌峠に着く前にベタ雪で諦めてしまったが正解だった。締まった雪ではあっという間に峠に着いた。 しばらくは森の中を進む。予報に反して小雪がチラつく。700mくらいまで上がると視界が開けてくる。先の見通せない森の中よりも、登り先が見える稜線歩きの方が気分が良い。何事も先が分かる方が覚悟しやすいのだろう。それが良いことなのかは分からない。850mに上がると大雪原が広がっていた。広すぎて極地のイメージと重なる。風が出てきて今日も厳しい登りを強いられそうだ。だが今日はいつもと違う。なんといっても、この先には小屋が待っているのだ。多少の濡れや氷は小屋の温もりが癒してくれるに違いない。予報では昼過ぎから雨や湿った雪になると言っている。出来ればその前に小屋に着きたいと進む。 突然、目の前を白い物体が横切る。ユキウサギだ。こんなところに食べ物などあるのだろうか。それにしてもあの小さい体でこの地を生き抜いてゆく力強さが羨ましい。対して僕は、食べるものも、身を守るものも、その全てを背負わなければ旅を続けられない。この違いは何なのだ。 吹雪が強くなり、惰性で歩みを進め始めた頃、ようやく山頂に着いた。小屋はデポに訪れた3週間前となんら変わらず、風雪に揉まれながらも立派に建っていた。早速ストーブを付ける。身が、心が解きほぐされてゆく。 小屋の鍋で雪を溶かし、温かいカフェオレでホッと一息。スキーシールの水分が見る見るうちに蒸気を上げて乾いていった。7日目にずぶ濡れになって、乾かせないから封印していた靴下もあっという間にカピカピだ。 今日で2011年3月11日から11年が経ったという。当時僕は高校1年の春休みだった。午後の野球の練習が終わり、みんなで談笑していたところで東日本のニュースを知った。僕は気づかなかったが、マネージャーの二人はほんの少しの揺れを練習中に感じていたという。ここ大阪でも感じるほどの地震に事の重大さを感じたものの、正直なところどこか他人事だった。 大学に入って、先輩や同期に被災している人がたくさんいることを知った。当時宮城に住んでいた優子もその一人だった。中学の卒業式が直前で中止になり、1週間くらいは避難生活も送っていたそうだ。 僕が生まれた3か月後、阪神淡路大震災があった。寝ている僕の真横に植木鉢が倒れ、食器がたくさん割れたという。父の宿泊予定だったホテルが倒壊したが、出張が直前で中止になって事なきを得たんだと聞かされると運命のようなものを感じてしまう。 4年前には札幌で胆振東部地震に遭った。札幌でも震度6弱の揺れを観測し、僕はマンガ棚に埋もれていた。よく見たら頭の真横に麻雀パイが落っこちてきていたのだから笑えない。その後の停電生活は山道具を総動員すれば訳なく乗り越えられ、今となっては笑い話だが、地震の衝撃が色あせるわけではない。 自然とは、本当に美しさと恐ろしさを共存させている。この旅など、自然が本気を出せば、簡単についえてしまうだろう。それでも僕は山へと向かう。何とか自然に溶け込みたい。自然への畏怖を忘れず、身の程をわきまえながら、自然が、山が見せてくれる様々な表情をこの目に映したい。 でも、そう言っておきながら、今日は小屋に泊まっているのだ。なんて僕はわがままなんだろう。 3/12 吹雪 小屋で停滞 低気圧の通過 昨夜はなんだか寝付けなかった。吹き荒れる風雪が絶え間ないからではなく、小屋が快適過ぎて、落ち着かないのだ。持ってきた志水哲也氏の『果てしなき山稜』を読んで時間を使い眠くなるのを待つ。快適過ぎるのも問題かもしれない。快適だと、昨日まで気にならなかったヒゲの長さが気になり、もう2週間風呂に入っていないから頭を始め体中がかゆくなってくる。 もう15日目なのだ。でもまだ1/4なのだ。この旅の長さを思い知らされる。昼飯を食べて少しまどろんでいた頃、ストーブでも、風でもない大きな音が聞こえて覚醒する。このエンジン音は…。と思っていると5台くらいモービルが上がってきた。なぜだか小屋には入ってきてほしくないな、と思いながらそそくさと小屋に広げていた装備を片付ける。悪いことなど何一つしていないのだけど、覗かれたくないものを覗かれるような感覚。だが、地元の人だろうし、やっぱり少し話してみたいなと思っていると、5人はホワイトアウトの中へ消えていってしまった。悪天候なので誰も来ないだろうと高をくくっていたが、今日は土曜日だし、モービルにはこの風雪はなんてことないらしい。もっとも大して疲れていないから小屋にも用が無いのかもしれない。ひょっとすると僕に気づき、そっとしておいてくれたのだろうか。もう一度来ないものかとソワソワする。風の音が紛らわしい。 デポ品の回収はさながらタイムカプセルだ。お楽しみグッズはほとんどなく(マヨネーズが低温で分離していた!?困った。)、3週間前の僕の気の利かなさにはガックリしたが、そういえばデポの時は「そんなものがあると興がそがれる。」と敢えて入れなかったことを思い出した。今はそれどころではない。窓にハエが群がっている。美味しかったら歓迎なんだけれど。 ついぞ、モービルの方々は来なかった。残念だけれど、なぜか少しホッとしている。根が人見知りなんだと思う。本当はもっと積極的に話しかけられる人間になりたいんだけどなぁ。 明日からまた進むつもりだ。今(16:15)はまだ快適な小屋に少し未練がある。もう十分に満たされた気がするのだ。でも明日からの山で出会えるであろう時間も楽しみだ。小屋は気持ちを前向きにしてくれる。19日に大きな低気圧が来るようだが、それまでにウェンシリを越えたいところ。気合いを入れろ! 3/13 高気圧圏内 晴れ 5:30∼13:00 今日も下山している夢を見た。今回は僕抜きで激励会をしてくれているところへ飛び入り参加していた。何してんだとみんなに突っ込まれる。 目を開くと小屋の天井が見えた。なぜだか少し安心した。 夢は夢だ。今はもう小屋への未練もなく、先へ進むのを楽しみに思っている自分がいる。小屋を掃除して、挨拶をして出る。また回収で来るからね。 Peakへは日の出10分前に着いたのに、ザックの肩ベルトが壊れたりなんだりしていたら気が付いたら日が昇ってしまった。やっちまった。 今日は雪質が良さそうだ。デポ品を回収してザックは重くなったが、休めたので身体も心もなんだか軽い。 快適に峠へ向けて下る。峠は大きく北へ蛇行しているのでショートカット。我ながらスムーズなルート取りだ。10時を過ぎるとやはり雪が悪くなり、少しペースが落ちるが、13時に目標のテン場へ着くことが出来た。こういう時はこれ以上先を急ぐよりも、予定通り進んだ方が良いと言い訳をしてテントを張る。疲れた体で悪雪を苦労して進むのは効率が悪いので避けよう。と言っても目標のテン場に遠く及ばなければそういうわけにもいかないので、今日を好循環のきっかけにしたいところ。 そういえば、分離したマヨネーズは水汲み用に使っていた空のペットボトルに詰め替えることにした。この先は水を汲めるところはあまりないはずだから、デメリットも少ないだろう。 このペースなら3/15朝に天北峠、3/16札滑岳、3/17ウェンシリ岳といけないかなぁ …。3/19はほぼ間違いなく停滞だからそれまでは頑張って進みたいところ。 まぁ、なるようになるか。分離したマヨネーズでも十分旨いな。 3/14 ガス 雲海? 晴れ ガス 風はほぼなし 5:30∼14:00 寒い朝に慣れてきたのか暖かいのか、とあれこれ考えたが、小屋で装備が乾いて快適だっただけかもしれない。そんな朝。小屋で少し余分になった食料を食べてから出発したせいで胃が刺激されたか、それとも単純に出発からかなり時間が経っているからか、やけに腹が減るのが早い気がする。 テントを出るとガスガスで何も見えない。それでも風雪が無いから、あまり気分は沈まない。少し登るとガスの上に出たようで、下は雲海になっているが、上空もまた曇っているので景色としてはあまりぱっとしない。雪は硬く締まり歩きやすい。硬すぎて920の手前で一度シーアイゼンを出した。その後も軽快に進むが、ガスの中をボケっと歩いていたら、下る尾根を間違えたようだ。平凡なミスを反省する。油断が取り返しのつかない失敗にならないように気を付けなければ。 雪は9時頃に悪くなるが、11時に復活した。ザラメになって逆によく滑るようになる。飛ばしてきたのでかなり疲れているが、雪が復活したのをこれ幸い、と頑張ることに。この計画で初めて朝決めた予定(目標)テン場よりも先に進むことに成功した。 天北峠に近づくと、電波がようやく入った。明日は三好さんが来てくださるようで有難い限りだ。天北峠を最後に、稜線の標高は襟裳岬のすぐ手前まで500mを切らないらしい。標高が高い方が雪が良いだろうと喜ぶべきか、テン場を選ぶのが大変になってくることを嘆くべきか。 3/19はやはり悪そうで、20,21も動けないかもしれない(21はいけるかも。)。昨日まで全く頭にも無かったが、3/18までに天塩岳避難小屋まで進むことは可能なのだろうか…。相当ハードになるのは間違いないし、そもそも明日明後日の天気が今一つなので無理かもしれない。 やっぱり後先はあまり深く考えず、その日のベストを尽くすことに専念すべきかな。雨予報が気になるのだ。昨年のトラウマが残っているとも言えるのかもしれない。もう二度とあんな思いはしたくない。大切なのは余力を残すこと。心の余裕を忘れないこと。テン場は安心できるところに張ること。疲れていてもいい加減にしないこと。 すべてのミスは疲れから生じると感じる。14時くらいに行動は切り上げるのが丁度良い。 3/15 終日雪 朝は曇り 5:20∼13:00 そういえば昨日はホワイトデーだったなぁ、なんておもいながら朝支度。朝は30分くらい林道の残りを歩いて天北峠へ出る。三好さんが撮影用のバッテリーを交換に来てくださった。本当にありがたい。明日には田辺さんから講評がいただけるだろうか。少しはましになったんだろうか。伝えるって難しい。 雪は相変わらず締まっているが、尾根が細くなり、進むのに難儀する。カリカリだが当然ツボ足にするのには適していないのでスキーで行くしかない。カリカリの細い下りは僕のスキー技術では難しい。大きくターンする幅が無いので直線的に進むしかなく、このザックではスピードの制御をし損ない何度となく転ぶ。登りと同じくらい下りで疲れるのは本当に困ったものだ。降雪も段々強くなり、気分は憂鬱になる。東風なので西側は比較的楽に進められる。それでも段々と風雪が強まるにつれて、全身が凍りつく。手の感覚がなくなってくる。気温ではなく、濡れからくる冷えの方が厄介だ。手袋を濡らし、上下のウェアにも水が滴る。湿った雪は不快この上ない。 今日は札滑岳を越えたい、なんて思っていたがとても無理そうだ。札滑岳手前標高700mくらいで力尽きる。今日唯一良いことといえば、東風なので札滑岳の西尾根は風があまりないことくらい。冬型の気圧配置だとここには張れないだろうなと思いながら、太いタンネの横にテントを立てる。思えば今回の計画で一日降雪の中を行動したのは実は初めてかもしれない。テント内でも全身が湿って落ち着かない。ボールペンを持つ手がかじかむ。 晴れれば雪が悪いから、雪が降れば全身が凍っているからと何かと言い訳をして昼過ぎには行動を切り上げてしまうこの怠惰な僕はどうにかならないものか。明日こそは頑張ろう、と毎日毎朝思っている気がする。頑張りきれないのは実は登山には重要なスキルだったりしないかなと思ってみたり。だって元気じゃないと楽しくないもんね。あぁ、これもまた言い訳か…。 3/16 曇り 雪 風は弱め 5:40∼14:50 昨日の湿りがまだ残っている。文句ばかりも言っていられないのでいつも通りを心がける。気温は高めであまり手はかじかまない。朝、パッキングを始めた時は雪が降っていたが、テントを出る瞬間に止む。地味だが嬉しい。撤収のタイミングでの風雪ほど萎えるものはない。昨日の憂鬱は忘れて気分よく出発。10〜15僂曚廟僂發辰神磴カリカリ斜面を覆ってくれて、歩きやすくなった。これは朗報だ。いいぞー、と思っているとシーアイゼンが壊れる。スキー板に取り付けているシーアイゼンを付ける金具のボルトが全部ぶっ飛んでいた。シーアイゼン本体は問題ないのだが…。ボルトの代用って出来るのだろうか。とりあえず片足でごまかしながら進む。札滑岳は山頂が狭く、下りも急なので登頂後少し戻ってから下る。やはり積もった雪のおかげでスキーが滑りやすい。アップダウンを上手くこなしてウェンシリを目指す。カリカリでないとこうも楽か。しかしこの積もり方(クラスト斜面の上に無風降雪と昇温)は雪崩の起こりやすい状態でもある。全ての条件は一長一短、メリットもデメリットもある。その場に応じて、より安全で進みやすい方針を考えるのが、難しく、大変で、そして登山の醍醐味だ。 ウェンシリの手前で登山道の看板を見つけて、なんだか嬉しくなった。やはり里が恋しいのだろうか。 この先は案外登りやすく、Peakでも看板を期待したが、どうやら雪の下だ。残念。ウェンシリは日高を彷彿とさせると言われるが、日高は正直こんなもんじゃない。強いて言うなら芽室岳周辺に雰囲気が似ているように感じた。 今日こそは頑張ろうと13時を過ぎても粘って進むがやはり雪が悪いと大幅にペースダウン。疲れてきたからだけじゃないと思う。明日の朝なら1時間かからなさそうだ、と思いながら2時間かけて…。 足が攣った。効率が悪すぎる。これなら朝1時間早く起きてヘッドランプで進んだ方が良さそうだ。テントを張ろうとすると雪が強まる。あーあ。もうやだ。今日はココアを少し濃い目で飲もう。 3/17 雪 たまに止む 風は弱い 5:00∼14:00 ストックが折れた。 現実を受け入れられず、しばらく放心状態となる。 悪態をつきたくなる。重荷でなければ。ストックがもっと丈夫だったら。ベタ雪でなければ。愚痴が溢れて止まらなかった。 違う。選んだのは僕だ。デポの数も、ストックの種類も、この雪の時期も。何よりこの計画さえも。 ベタ雪を払おうとスキー板を叩いていたらストックが折れてしまったのに、残るもう一本でまた叩こうとしてしまう。僕はバカなのか。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはこのことだ。喉はまだ大火傷しているというのに。 違う。喉が渇きすぎているのだ。渇きを何とかしないと熱いと分かっていてもまた飲んでしまうだろう。茶を冷ます方法を考えなければ。出発前に、成長したいと話したはずだ。今がチャンスだ。 自分なりに結論を見つけ、明日のアラームを掛けて眠りにつく。 3/18 弱雪 ガス 風少し 夕方晴れ 0:30∼14:30 23時、アラームが鳴る。日付が回る前に朝食をかき込む。0:30出発。弱い雪が降っているが、月明かりがありがたい。ヘッドランプがいらないのでは、と思う時があるくらいだ。上紋峠には除雪が入っていないが、明かりがついていて目印となった。この先、林道が続いているようで遠慮なく使う。特にラッセルが楽になるわけではないが、闇夜でのルートファインディングの手間が省けるだけで大助かりだ。 昨夜、「明日は0時からデスマーチだ。」と決めた。雪が悪くなる前に稜線に上がること、まだかなり距離は残っているが天塩岳避難小屋を目標とすること。不思議と迷いは無かった。 暗がりの中にうっすらと抜けて見える林道を黙々と歩く。荷は相変わらず重いが決意は固い。林道が途切れるころ、日が昇る。ありがとうございました。この先も、息を切らしながらも着実に登る。休憩の度に田辺さんとやり取りをしていたが、結局空撮のためのフライトは中止となってしまった。現状の天候では仕方無いだろう。1400mくらいからアイゼンの出番かと思っていたが、思いの外尾根は緩く、雪も程よいので、少し強引にスキーで進む。このまま前天塩まで行けるか?と思っていると最後に急で細い岩場。アイゼン出動。想像以上に細くおっかない。油断していた。緊張したが、慎重に進むことが出来た。そのままアイゼンで空身にして前天塩岳山頂へ。手前の吹き溜まりに苦戦したが気持ちが良い。下りは途中からスキーに戻す。天塩を西側にトラバースして、こちらも空身でPeakへ。なんだか今日は物凄い達成感がある。スキーで駆け降りて小屋へ。 ストーブこそないものの、小屋は快適そのもの。余裕のあるガス缶を使って、濡れた装備を乾かす。幸せだ。小屋の中に張ったテントから顔を出すと、テントからも大きく湯気が上がっていた。 すごく充実した気分だ。何より、明日明後日は悪天候だから心置きなく停滞出来る。ピヤシリ山からここまで6日で来てしまった。いろいろとボロボロだが、それもまた一興。しばらくは先のことは考えず、この余韻に浸ろうと思う。 お楽しみグッズのカップヌードルが疲れ切った体に染み渡る。 3/19 烈風 猛吹雪 三陸沖に中心を持つ発達中の低気圧の接近 道内大荒れ 小屋停滞 風の音で目が覚める。ストーブが無いので普段と変わらず、むしろ小屋の方が寒く感じる。ラジオは道内の大荒れと季節外れの大雪を告げている。日高など太平洋側やオホーツク海側では多いところで40∼60兩僂發詬淑鵑蕕靴ぁやはり昨日のうちに小屋に辿り着けて本当にラッキーだった。結局人の力に頼ってばかりだ。直接でこそないものの、小屋に囲われ風雪を凌いでいる様はサポート以外の何物でもない。これまでだって林道に頼ってショートカットしたり、人工物に精神的な安心感を何度も感じてきた。ノンサポートなんて口が裂けても言えないことを痛感する。人の力のありがたさを享受してこの旅は成り立っている。これもまた幸せと言って良いに違いない。 昨日の雨天順延を経て、今朝から春の選抜甲子園が始まった。選手宣誓で当たり前のありがたさを声高に堂々と発する様は見事だ。彼らはコロナ禍のことを言っているに違いないが、きっとそれだけではないのかもしれない。 時間があるといろいろと考え事をしてしまうが、どうしても先のルートのことが気になる。武利岳の稜線はどのくらい細いのだろう。テントサイトはあるのだろうか。先の天気も分からないのにあれこれ悩んでも仕方がないのだが…。 小屋で電波が入らなくて良かった。これだけ暇を持て余せば、いくらバッテリーがあっても足りなかったに違いない。意思の弱い人間にはそうせざるを得ない状況に飛び込むのがてっとり早いのかもしれない。電波は無いので強い意志が求められなくて良いが、食料は少し余裕がある分、意思の弱さが止められない。柿ピーが一袋空いてしまった…。 停滞コラム 嶌賊Δ量辰修1:人生はバランス」 人生はバランスだと思う。限られた時の中で何を優先して生きたいのか、どういうバランスに時間を配分するか。許されるならばすべての時間を自分がやりたいと思うことだけに捧げて生きてゆきたい。 睡眠のバランスや食生活のバランスも重要だ。とりわけ僕はこう見えて体が弱い。外傷には強いと思うが、体の不調には敏感だ。睡眠、食にウェイトを置いた生活をしたいと思っている。 登山でもバランスが重要だ。不安定な雪稜や岩場でバランスを崩さないことはもちろん、スキー登降でのバランス、ザックのパッキングのバランス。天候に対してどのように行動っするかについても、どこまでなら無理がきくのかもバランスだと思う。人生は登山だという人がいるが、人生も登山もバランスが大切だ。 どんなバランスが自分にとって心地よいのか。大切なのはこの感覚だと思う。 停滞コラム◆嶌賊Δ量辰修2:後悔しない選択を」 人生には様々な岐路がある。だが僕は高校までは親が敷いてくれたレールの上を呑気に進んでいるだけだった。それは考える必要のない楽で快適なレールであり、精神的に未熟な時期を温室で育ててくれた両親にはとても感謝している。 レールを外すきっかけは大学進学だった。周囲では地元の関西圏へ進学する友人が多い中で、北海道大学の門を叩いた。そこでワンゲルと出会うことになる。3年生になると函館キャンパスに移行する水産学部生だった僕にとって、部活は最初の2年限定のものだろうと思っていた。それがあれよあれよという間に登山の沼にはまり、気が付けば2年間の禁断の用紙(休学届)を手にしていた。 あのとき休学していなかったら、レールに沿って無難に就職していたに違いない。しかしそれで後悔はないのか。特にやりたいわけでもない仕事を定年まで続け、それなりの幸せを見出すという未来を僕は受け入れられなかった。土日の休日を待ち望み平日を過ごすのはごめんだと思ってしまった。(社会で活躍されている先輩方がそうであるとは思っていない。)休学しなければよかった、と後悔する可能性がありそうかだけが焦点だった。そして、やりたいことをやり尽くして後悔するはずがない、というのが僕の結論だった。 この決断を後悔しているか、していないか、その答えはまだわかっていない。一つ言えることは後悔しないように、休学して良かったと思えるように今を懸命に生きろということだ。 停滞コラム「精一杯を越えろ」 高校野球をしていたころ、当時の監督の合言葉は「精一杯を越えろ」だった。今日、今の自分の101%の力を出せれば、明日にはそれが100%になる。そこでまた101%が出せれば少しずつ成長出来るというわけだ。理解したつもりでも、これを実践することはとても難しい。なんと言っても精一杯などそう簡単には越えられない。精一杯で精一杯なのだ。それでなくとも苦しい練習から逃げ出したいし、サボりたい。今思えば高校時代、本当に精一杯を越えられた日は数えるほどしか無かったように思う。 登山をするようになって、この言葉の捉え方が変わった。登山において「精一杯」は越えてはいけないラインである。これを越えれば途中で動けなくなり遭難する。あるいは判断力が低下して致命的なミスをする。クライミングであればフォールすることになるだろう。 では登山では精一杯を越えられないから成長できないのか。そんなことはない。自分の力量の中で余裕を保ちながらまだ自分に足りていないものを補う。工夫次第だ。 高校時代、がむしゃらに体力の続く限り努力することが精一杯を越える唯一の方法だと思い込んでいた。この考えを変えられただけでも登山を始めた価値がある。 今日も精一杯を越えよう。考え工夫することをやめなければ、新たな自分に出会えるに違いない。 3/20 疾風 段々収まる 冬型 小屋停滞 風の音で眠れない。昼寝のせいだろ、と言われれば返す言葉はない。それにしてもこれだけの爆音を聞かされ続けると頭がおかしくなりそうだ。23時になっても眠れない。耳栓かイヤホンが欲しい。こういう時は『果てしなき山稜』を読むに限る。うつ伏せになって、1日テントにいて丸くなった腰を伸ばしながら。 日の出とともに目覚めると、風の音は止んでいた。ピークは過ぎたようだ。小屋にいるから大丈夫と分かっていても、収まってくると安堵することには変わりない。余ったガス缶を贅沢に使い、テント、兼用靴、スキーシールなどを乾かすために午前中を費やす。どうせ明日には濡れるのだと分かっていても、見る見るうちに乾いていく様は気分が良くないわけがない。 昼過ぎに小屋から出てみる。まだ吹雪いているが、よく見るとうっすらと上空が青く、天塩岳や前天塩岳が見えている。嬉しい。明日には行動出来そうだ。折れたストックを出来る限り修復する。テント用の替えポールを添え木にテーピングとダクトテープを巻いてスキーバンドで締める。まだ少しぐらつくが、丁寧に扱えば何とかなるはずだ。なんとかなってくれ。 0対2、2点ビハインドの近江高校が1点を返してなお1死1.3塁、タッチアップで同点かと思いきやホームタッチアウト。万事休すかと思っていたらここから同点に追いつき、思わず興奮する。長崎日大の9回裏の攻撃は0点に終わり、延長戦だ!10回裏1死満塁のチャンスも生かせず。それにしても近江よ、なんて粘りだ。そしてとうとう勝負はタイブレークへ。13回表、無死1.2塁。1球で勝ち越し!その後は相手のミスにも付け込み6対2で勝利。諦めないとはこのことだ。そもそも近江は京都国際がコロナ感染で辞退したことで巡ってきたチャンスだ。 僕も彼らのように限られたチャンスを粘り強く勝ち取れるような生き方をしたい。とても良い試合だった。両校ともお疲れ様でした。明日から縦走を再開する。厳しい場面も必ず訪れるだろう。気持ちを強く持って、冷静な判断を繰り返していこう。 なんだか緊張してきた。今日眠れなかったら決して昼寝のせいではなく、武者震いだ。 3/21 雪 時々吹雪く 湿雪気味不快 5:40∼12:30 寒い朝。気温がどうこうという話ではない。小屋に守られて贅沢になっているだけに違いない。小屋を出来るだけ掃除していざ縦走を再開する。荷はかなり増えたはずだが、停滞明けはやはり体が軽い。予報に反して天候悪く(予報では、上川では曇りときどき雪、ところにより吹雪くでしょうと言っていたから予報が外れたわけではない。単に僕の願望が外れただけだ。)大粒の雪が横殴りに襲ってくる。次第に憂鬱になり、今日も停滞すべきだったのでは、と思い始める。段々と気温が上がり、風が弱いタイミングでは体が火照って暑くなってくるのだが、これだけ雪が舞っていると十分に脱いだりベンチレーションを開けることも出来ず、汗が溜まりじめじめと不快だ。やっぱり今日は…と何度も思うが、こういう日に着実に進められるから晴天を高峰で迎えられるのだと言い聞かせる。それからは深く考えず黙々と歩く。 気づけば浮島トンネルの上を越えて浮島峠まで来ていた。トンネルが出来る前は多くの車が行き来していたであろうこの峠も、除雪はもちろん、人が入った気配はない。標識や看板はさびれて、吹雪も相まって物悲しい雰囲気を醸し出している。華やかなものの裏側にあるこうした廃れた風景を前に僕は言葉に詰まる。これはどういう感情なのだろう。忘れたくないので写真に収めた。 相変わらず天候はひどいもので、もう予定テン場は諦めて、風を避けられそうな場所を探す。30分くらいフラフラとさまよった結果、タンネの大木の風下にテントを張る。時間を掛けただけあって、無風の素晴らしい場所を見つけられた。太いタンネはたっぷりと雪を抱えてどっしりと鎮座している。彼に限らずこの周辺の木々は皆、一昨日の暴風雪にも文句言わず耐えていたのだと思うと実に頼もしい。ここにいれば大丈夫だ、そう思わせてくれる。僕も彼らのように安心感のあるガイドになりたいものだ。 ウェアに、ブーツに、ザックにべっとりと雪が付き、暴言を吐き捨てながらテントに入る。湯を沸かしカフェオレを飲むと、じんわりと体が温まってきた。不思議なもので、昨日のあの快適なシュラフの中よりも、今ベタベタの中にうっすらと感じられる自分の体温からくる温もりに幸せを感じるのだった。こういう時、僕の脳からはどんなホルモンがドバドバと出ているのだろうか。やっぱりドーパミン? 人間は不自由の中の些細な幸せにより感動するものなのかもしれない。快適になればなるほど要求はエスカレートし、とどまる所を知らないに違いない。その証拠に昨日は少しの濡れが気になり、ちょっとしたすきま風をも遮ろうと躍起になっていた。今はそんなもの全く気にならない。だとしたらそうか、今僕は幸せなのか。感情の浮き沈みが激しいが、相変わらず単純なので幸せなような気がしてきた。 明日はヘリが空撮のリベンジに来てくれるかもしれないらしい。10時くらいだとか。チトカニウシ山へはあと3時間もあれば着いてしまいそうだが、何時に出ようか。田辺さんは野村君のペースで、としきりに言って下さるが、全く気にしないというのは無理がある。どうせなら良いタイミングでカッコよく撮ってほしい。 スキーでこけないように頑張ろう。あとは天候次第だからなるようになると思おう。 なんだかとりとめがなくなってきた。まぁそんな日もあるだろう。え、いつもとりとめないって? 今日も今日とて板チョコが美味い。 3/22 終日吹雪 チトカニPeakは… 5:30∼14:30 昨日は気づかなかったが、停滞している間に一気に明るくなるのが早くなった気がする。宗谷岬を出発したころは日の出6時、5時半になってうっすら明るくなってくる感じだったが、30分くらい早くなったと思う。明日は5時に出よう。勝手に思っていた、昨日よりも天気が良いのではという期待は見事に裏切られ、昨日以上の暴風雪。当然ヘリもフライト中止となる。残念に思うまでもない天気にはもううんざりだ。標高が上がるにつれて風はますます強まり、視界も落ちる。途中で尾根間違いのミス。視界と風が悪いと、こんなところで、という場所でミスをしてしまう。今日は出発すべきではなかったのかも…とまた思う。 1300くらいまで上がってくると雪庇の切れ目が見えなくなり、仕方なく樹林の際に行かざるを得ない。ますますペースが落ちる。これだけ風があるのになんでラッセルもあるんだ。重く深い雪がひたすらに苦しめてくる。次第に弱気になる自分が情けない。Peak直下で地吹雪がMaxになり、わずかな風の切れ間につなぐシュカブラを探す。まともに風上は向けないので苦しい時間が続く。本当に息絶え絶えでPeakを踏む。下りは本気の向かい風。目が開けられない。地図と記憶を頼りに北の斜面に逃げ込む。ここでようやく風が少し収まる。まともに休めるようになったのは1200くらいまで降りてからだった。 その後も相変わらずの深いラッセルで下っている気がしない。チトカニは道内でも有数のスキールートなので、ここを爽快に滑走するのを楽しみにしていたのだが、天気も雪も雪崩も疲労も単独行であることも、とてもじゃないがそれどころではなかった。 下るにつれて雪は湿り、全身に不快な湿りが…。昨日の日記では「不自由の中の些細な幸せに…」なんて書いた気がするがあんなもの撤回だ。本当にうんざりだ。頼むから晴れてくれ。 北見峠を華麗に越えてさらに先へ登るつもりだったが無理。峠脇の建物の陰にテントを張る。久しぶりにテントで電波が入った。応援のメッセージがたくさん届いていた。人の力ってすごい。少し元気になる。あぁ、もう10日くらいサングラスを使っていないなぁ。明日こそ…。 3/23 晴れ 雲多い 雪は少し 5:10∼11:50 ガスが取れて雪も止んだ。久しぶりに清々しい朝。今日は頑張りたいところなので気合を入れて出発。昨夕に峠で見たモービルの人たちのトレースが残っている。感謝。朝日も昇り、昨日のフラストレーションも晴れてきた。ラッセルは相変わらず深くて重い。トレースがなかったらさらに時間と体力を費やす必要があると思うと圧倒的感謝だ。トレースを使うことにはもしかすると賛否があるかもしれないが、登山道があるのに藪漕ぎをしないのと同じくらい(夏は沢登りや藪漕ぎをしていることの方が多いけど)使わせてもらうので良いと思っている。登山道と違って、明日雪が降れば風が吹けば儚く消えてしまうトレースとの一期一会に幸運を感じるのだった。 トレースをもってしてもラッセルがひどすぎる。雪が、ザックが、体が重い。やはり昨日の疲れも残っているようで遅々としてペースが上がらない。今日中に稜線に上がって丸山の先まで行きたいな、なんて思っていたが嘘のように虚しく時間が過ぎてゆく。昼前には雲も増えてきたが、今日はフライトしてくださるようだ。なんと北林さんが向かっていると連絡がきた!電波が取れず困っていたが11時前に何とか拾って現在地を伝えられた。体力がもう限界で時間的にももう今日の稜線は無理なのでまだ午前中だが早々にテントを張る。ヘリは一時雲が多く近づけなかったが、旭川で給油した後、また来てくれた。テントの上空をヘリが旋回している。思わず手を振ってしまった。思うように進められず無力感さえあったのだが、なんだか元気をもらえた。1時間近く応援してもらっているような気分にさせてもらい、明日は明日の風が吹く、と思えたのだ。くれぐれも穏やかな風でお願いしたい。 3/26∼27辺りの不穏な予報も気になるところ。なんと言っても雨マークが付いている。慎重な判断が求められそうだ。右のハムストリングが張っているのも気になるところ…。 3/24 高曇り 昼から雪 風弱い 4:30∼14:00 昨日5時で十分明るかったので3時に起きる。いつもなら出発までにダラダラと2時間近くかかってしまうのだが、今日に限ってうん波(unnpa。う○こに行きたい波)が襲来する。慌てて飯を食い用を足すと、4時半に出発出来てしまった。やればできんじゃん。 有明山と比麻良山の真コルまで進むと薄暗い中に一筋の光が見える。とうとう幻覚が見え始めたかと思っていたらトレースだった。最初はまたモービルのトレースかと思ったが近づくとスキーだ。二人で交代しながらラッセルしていたのが手に取るように分かる。僥倖(ザワザワ)。これを僥倖と呼ばずしてなんと言おうか。楽だ。圧倒的勝者の気分だ。昨日と違い、雪や風で埋まっていないので目の前でラッセルしてもらっているに等しい。もうサポートだなこれは…。 あっという間に樹林限界に達し、段々と雪が締まってくるとトレースは次第に薄くなってゆく。この辺りからこのトレースはどこに続いているのだろう、と思い始める。この先も武利岳武華山方面に続いていたら嫌だなと思うのだった。あれほど喜んでいたのに、いざこの先もずっとあるとなるとそれは面白くないのだ。我ながらあまりの自己中心的でわがままな思考に思わず閉口する。幸いこの先でトレースを見ることは無かった。 比麻良山(オシャレ!ヒマラヤ!)Peakではニセイカウシュッペ山、軍艦山、チトカニウシ山、有明山、天狗岳、近い山が一通り見えた。天塩岳はガスの中だ。最初武利岳かと思った高い山は屏風岳だった。通りで武華山が見えないわけだ。 平山、丸山と斜面を滑走するまでは良かったが、その後はいつも通りのしんどい時間となる。雪もちらつき始め、風こそないものの今日も今日とて氷漬けとなる。あぁ、気分の良いまま1日が終えられることは無いのだろうか。行動を終える度にそう思うのだけれど、1時間後には茶を飲み飯とチョコを食らってちゃっかり幸せを感じているのだった。 3/25 曇りのち晴れ 風ほぼなし 暖かい 3:45∼15:10 今日は久しぶりに予報が良いので気合を入れて2時に起きる。体とザックはまだ重いが雪は少しずつ落ち着いてきている気がする。ザックも心なしか軽くなったか。 気合十分でヘッドランプを頼りに進む。日が昇ったころ、急な登りでストックに体重を預けたところで聞き覚えのある嫌な音とともに体が傾き盛大にこける。もう一本も折れてしまった…。1本目ほどのショックはないものの実質的なダメージはこちらの方が大きいかもしれない。1本目と同じように壊れたので、同様の処置をしてとりあえず使えるようになった。一応在札に伝えておく。 田辺さんから「ルールを決めるのは野村君、ノンサポなら見守るしサポートが必要なら手伝うよ」と温かい言葉を頂く。ノンサポって何だろう。ルールを決めるというのはとても難しい。もう十分ここまでに人の力を感じているが、まだノンサポなんだろうか。考えているとノンサポに拘る必要もないように思えてくる。一つ気になることがあるとすれば、それはキリが無くなるということだ。手厚くサポート(例えば峠ごとに食料を運んでもらい、道具も修理出来ると大きい)してもらえばこの計画はきっと格段に楽に達成できると思う。それでよいのか。モヤモヤが残るに違いない。だが今日だけでは上手く答えが出せなかった。 天気は午後になるにつれて良くなり、次第に武利武華が姿を現す。なんて美しさだ。怠くて沈んでいた心に火が灯る。色々なことがどうでも良くなる。やはり晴れた山は美しい。武利岳武華山がウペペサンケ山、ニペソツ山、石狩岳、表大雪、北大雪、天塩岳。たくさんの山々が僕を励ましてくれているようだ。 幸せを噛み締める。サポートうんぬんで悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。だけど際限が無くなってしまうのも嫌だ。明日起きてから感じたことを田辺さんに伝えよう。 久しぶりに晴れて、ベッタベタの雪にも文句一つ言わず(言ってたかも)15時まで歩いた。やっぱり山は晴れだ。それだけで僕の心は救われる。明日も頑張ろうと思えるのだ。 武利岳が見えるという理由で少し高いところにテントを張る。明日の朝後悔するかもしれないがそれもまた一興だ。出来れば明日も晴れてほしいのだけれど、予報を見る限りそうは問屋が卸さない。せめてもの幸運は雨が少し遅れて午前中はなんとかなるかもしれないことか。 3/26 曇り 視界あり 風は少し強い 夜は雨 4:30〜17:00 朝起きると武利岳が見えている。頼むから持ってくれ。体の疲れが隠し切れないが、気合は十分だ。尾根は見かけよりもアップダウンが大きく思うように進まない。1700くらいで急に硬くなり、アイゼンに替えるタイミングを失い一時危なかった。シーアイゼンがあれば…。ここからアイゼンを出して初めてピッケルも出す。雪庇が大きく神経をすり減らす。1750から壁のような岩場。急な岩に氷がビッチリと張り付いて硬く凍りついている。集中してアイゼンとバイルを決める。ロープなしで来る場所ではないとすら感じる。シートラ(スキーをザックに挟んで担ぐこと)が重くバランスを崩すのが怖い。必死の思いでバイルを振るう。ハンマーでハイマツを掘り出し、腕力で攀じ登る。この標高差100mは日高でもなかなかないのではないか。緊張は1.5hくらい続いた。頂上稜線に上がったときはもうヘロヘロで山頂までが物凄く遠く感じる。山頂には看板のようなものがあったが文字は読めない。この地吹雪では掘り出す余裕もないので先へ。下りは打って変わって歩きやすい尾根。登山道がこちらにある理由がよくわかる。横着して早めにスキーに替えてしまったがこれが失敗。硬い斜面をズルズルと落ちていまいアイゼンに戻して登り返す。判断が甘い。コルに降りたころにはもう正午。武華には間に合うだろうか。天気は持ちそうなので力を振り絞る。もう雪が腐り切ってしまい体感(本当かも)では片足5圓らいの雪の重りをつけて登る。足が攣りそうだ。支えるストックも心もとないので十分に体重を掛けられない。元気だったら半分くらいの時間で登れそうな尾根だったがきつい時間だった。前武華ではもう稜線伝いに進むには天候、時間、体力が足りないと思い、武華山は空身でピストン、前武華からイトムカ林道へ下る判断をする。妥当な判断だったと思うが自分の心の弱さが出た。武華山は空身だと往復30分だ。体が軽い。 ストックが心もとなく、下りのスキーも必死だ。体幹はもう十分に保てずなんでもないところで転ぶ。雪が悪くバランスを取れない自分が情けない。ザックだって少しは軽くなっているはずなのにとてもそうとは思えない。 何とか林道に出て無心で下る。国道に出るとホッとしてしばらく動けなかった。 3/27 朝まで雨 昼前から晴れ 風は強い 特に峠 11:15〜12:05 ほぼ停滞 18時すぎから降り始めた雨は朝7時頃に上がり、風こそ強いが上空は晴れている。昨日はもう動けないと思っていたが、峠までは行こうかという気分になってきた。石北峠では田辺さんと三好さんが待っていてくれた。修理道具のみサポートを受けることを決めるのには時間が掛かった。悔いが無いというと嘘だろう。でもこれも判断だ。自分の気持ちを信じようと思う。 サポートを快諾してくださったお二人には頭が上がらない。つくづく僕は人に恵まれ、支えられている。 今日は大相撲大阪場所千秋楽、若隆景と高安の優勝決定戦となった試合は若隆景の粘り勝ち。この粘りはきっと僕が今一番欲しいものだろう。今年は3年振りに観客を入れた大阪場所だったようだ。そういえば3年前は日高全山縦走中だった。横綱白鵬が史上最多42回目の優勝を全勝優勝で飾り、こんな圧倒的な強さが欲しいと思ったのが懐かしい。 今、粘り強さと圧倒的強さ、選べるとしたらどちらだろう。いや、選べなさそうだ。 3/28 雪のち曇り 一時晴れ 風強く地吹雪 6:45∼15:30 朝、田辺さん三好さんからサポート品を受け取る。頭が上がらない。しっかり時間をかけてストックを直す。雪の中、お二人にはかなり長い時間待たせてしまった。7時前に出発。一瞬晴れ間が見えることもあるが、天気が良いとは言い難く、猛烈な地吹雪の時間もある。風が強く、苦しい時間が続く。 また序盤は密林区間が多く、枝を折りながら進むしかない。雪も相変わらずのベタベタだ。良いことは何一つと言って良いほどないのだが、停滞のおかげで体と荷が軽くなり気分はそこまで沈まない。 ダルい尾根がずっと続くが、頑張るしかない。最後の300mの登りでシーアイゼンを出す。お二人の顔が浮かぶ。本当にありがたい。シーアイゼンは大活躍でお願いして正解だった。中間の岩場は西捲き。シーアイゼンが無かったら怪しかった。 時間はかかったが、今日中になんとか北海道大分水点へ!会いたかったよ! 大分水点の石碑を掘り出すべく、1時間近く掘ったが、十分に場所を確認していなかったせいで見つけられなかった。残念。その穴にテントを張る。風強い…笑 3/29 風はそれなりにあったが、穴のおかげで9割方防げているので少しバサバサするくらい。吹きだまる心配の方が大きかったが、これも想定内。朝起きると北海道大分水点にいる。こんな幸せなことは無い。テントの撤収には少し苦戦するが、これも良いスパイスだ。 日の出とともに出発するとウペペサンケが、ニペソツがモルゲンロートに染まる。何度も立ち止まってしまう。ずっと苦戦させられていた痩せ尾根が段々と素直になってきて歩きやすい。小さなアップダウンを何度もやり過ごし、見慣れた尾根に出る。この辺りは思い出がたくさんある。こんなところあったっけ、と思う岩場も何とか越えて、ユニ石狩岳へ。直前でアイゼンに替えてこの先はずっとシートラにアイゼンストックだった。Peakでは大雪山が全て見える。ニヤニヤ。 十石峠へ降りて頑張って音更山を目指す。この急登は思い出通り大変だったが、武利岳と比べての素直さに心穏やかになるのだった。やっとの思いで辿り着いた音更Peakには石狩分岐の看板しかなかったが、とんでもない絶景が広がっていた。 石狩岳、ニペソツ山、ウペペサンケ山、表大雪、北大雪、トムラウシ山、オプタテシケ山、美瑛岳、十勝岳、下ホロカメットク山まで…。果てには阿寒、斜里、知床半島に、日高山脈まで望める。こういう日があるから山はやめられない。この感動を必死に心に刻む。 200m下って雪洞を掘る。明日は停滞の可能性が高いので頑丈なものをと思っていたのだが、疲れていたのか、少し狭く天井が薄くなってしまった。大丈夫かな。 3/30 天候不明 暴風 雪洞停滞 朝、一応起きてみる。一瞬静かだなと思ったが、耳をすますと頭上から轟音が一定のリズムで聞こえてきた。はい、停滞決定。 雪洞の入り口が上手く塞げていなかったらしく、シュラフカバーにうっすらと粉雪が積もっている。天井が薄いので崩落が怖くて火を使いたくなくなってしまう。結局気温の上がる日中はガスは使わないことに決めて、朝沸かした紅茶をテルモスに入れて夜までやり過ごした。濡れ物が多く、寒いというより冷たい。せっかくの雪洞なのにあまり快適ではない。だが、この風の中でこんな稜線上にいられるだけで十分か。 入り口に立てたスキー板が風に煽られてうるさい。風と言い、天井と言い、何とも不安な1日。 早くここから解放されたい。 3/31 快晴 そよ風 5:15∼15:45 昨日は夕方くらいから風がぴたりと止んだ。日中に火を我慢していた甲斐もあって天井も何とかなりそうだと分かると夕食で体を温める。俄然快適になってきた。濡れ物はまだ少し湿っているが、ぬくぬくと幸せな夜を過ごす。やはり雪洞に限る。 朝、幸せに起きる。天井が大丈夫だと確認すると、途端にこの雪洞を出るのがもったいなくなってくる。風が止んだと思ったのは入り口が完全に雪で蓋をされたのもあったようで、1mくらい堀り進めて外へ出る。眼前に飛び込んでくる石狩、ウぺ、二ぺがまぶしい。朝日が薄っすらと照らすとわずかにピンク色に染まってくれた。写真を撮っていざ。 石狩Peakまでの急登はときどきズボっとはまるが基本的にアイゼンが良く効く。素直な登りが心地よい。Peakからは大パノラマ。言葉にならない。だが、今日は先が長いのでのんびりもしていられない。その後も快調に飛ばしてJPを越えてもまだ8時。やはり標高が高いと雪が十分に締まっており、滑落のリスクはあるもののそれ以外はメリットだらけだ。稜線からの下り始めはバリズボが100∼200mくらい続く。1500mより下は逆にすねくらいまでしか沈まない雪となり駆け降りることが出来た。田辺さんから10時半〜11時くらいにフライト予定との連絡を頂き、11時に沼の原に飛び出すべくペースを上げる。10時半、沼の原まであと100mくらいのところでヘリの音が。11時ちょうどに沼の原に出ることが出来て、僕の周りをヘリが来てくれた。ありがとうございました。 大沼はどこなのかよくわからないが、だだっ広い雪原は圧巻だ。振り返るとさっきまでいた石狩稜線が見え、前を向くと雄大で純白のトムラウシ山が鎮座している。ここ数日降雪が無く晴れているから、雪面がクラストしてギラギラと輝きなんとも神々しい。これを幸せと言わずしてなんと言おうか。 こういう日があるから山は止められないんだよなぁ…。 一端森の中へ下ると雪が腐り嫌な予感がしたが、このベタ雪のおかげでごしきの壁をほとんど直登できるファインプレイ。シールが良く効く雪だった。壁上に出ると雪はまた締まってきてラッセルも無く快適な緩い尾根が続く。1800くらいまで登ってザックを置いてさくっとPeakへ。少しガスが湧いてきたか。化雲へのトラバースはカリッカリにクラストしていてシーアイゼンを出す。もうちょっと緩んでくれてもいいんだけれど。1800くらいをずっとトラバースして化雲直下からこちらも空身でPeakへ。なんだかとても長く感じた。いつもカットされがちな化雲岳山頂に久しぶりに立った。大雪山が一望できる素晴らしいPeakへだ。 一路、ヒサゴ沼避難小屋へ下る。カリカリだが気分が良すぎて何も思わない。あっという間に小屋へ。一階は盛大に吹きだまっていてとても入れないので二階から入る。デポを回収してホッと一息。長い一日だった。そして充実の一日だった。快晴、そよ風、カラッと涼しく、ラッセルもなく程よく雪が締まっている。停滞明けで体も軽くデポ地点直前なのでザックも軽い(食料は残り二日分)。どれをとってもパーフェクトな一日だった。34日目にしてこれまでの一番を叩き出してしまった。 小屋でテントを張る。何も気にしなくて良いのが嬉しい。電波が入らないことも幸せを倍増させているとすら感じる。山深さを全身で感じることが出来るのだ。この計画がどんな終わり方をしたとしても、今日という日は一生忘れないだろう。 |
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その他周辺情報 | 保留中。。。 |
過去天気図(気象庁) |
2022年02月の天気図 [pdf] |
装備
個人装備 | 長袖シャツ 長袖インナー ハードシェル タイツ ズボン 靴下 グローブ アウター手袋 予備手袋 防寒着 ゲイター バラクラバ 靴 ザック アイゼン ピッケル スコップ 行動食 非常食 調味料 水筒(保温性) ガスカートリッジ コンロ コッヘル 調理器具 ライター 地図(地形図) コンパス 笛 計画書 ヘッドランプ 予備電池 GPS 筆記用具 ファーストエイドキット 針金 常備薬 日焼け止め ロールペーパー 保険証 携帯 時計 サングラス タオル ナイフ カメラ ポール テント テントマット シェラフ |
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写真
感想/記録
by Orange62
4/1
雪 雲は薄め? 風あり 小屋停滞 谷の中寒気流入
今日は年度初めらしい。それ自体がエイプリルフールみたいだ。電波が入らないので誰にも嘘はつけない。いや、じぶんになら可能か…?
今日は停滞と決め込んでいたので明るくなってから起きる。二階から少し外を覗くと吹雪いている。これはツイているということで良いのだろうか。小屋に着いた日の翌日が晴れ予報だとおちおち停滞もしていられないだろうが、ここまでピヤシリ、天塩、ヒサゴと見事に翌日は悪天候だ。先の予報を見て行動予定を決めるから必ずしも偶然というわけではないが、流れは良いと言っていい気がする。
そういえばここまで当たり前だった甲子園も相撲も気づけば終わってしまった。昼過ぎ、暇すぎて電波を取りに少しだけ散歩。雪は10僂らい積もっていた。今朝まで物凄く気分が良かったはずなのに、小屋が風できしむたび、気持ちが落ち込んでくる。そしてここに来て食欲が抑えられなくなってきた。天塩のデポで回収した4/2まで分の行動食を食べきってしまった。主食は死守しているがこれも時間の問題かもしれない。
なぜここに来てなのかはよく分からない。1ヶ月を越えてごまかしが利かなくなってきたか、標高が高い分気温が低く基礎消費カロリーが増えてきたか。いずれにしても食料事情は精神面に及ぼす影響はとてつもなく大きい。腹が減っているというだけですべてが不安になり余裕がなくなる。どうすればよいのかは分からない…。ガスと紅茶だけは十分あるから砂糖を節約して水分でごまかすか…。
急に先行きが不安になってきた。座るとお尻が痛い。お尻の肉も減るのだろうか。明日は晴れてくれたらいいなぁ。風が弱ければいいなぁ。こういう時はとことんネガティブになるのも一つの手か。
札幌の桜は4/26開花の予報らしい。そのとき僕はどこに…。
4/2
吹雪 ホワイトアウト 朝出発するも引き返し 停滞 高気圧の張り出し…
風の音がするが、予定通り5時過ぎに小屋を出る。しかし、15分も歩きヒサゴ沼のふちまで来ると完全にホワイトアウトしてしまった。振り返ると今さっきのトレースが見る見るうちに消え失せ、恐ろしくなってしまった。このまま進んでは間違いなく遭難してしまうので、迷うことなく小屋へ引き返す。6時前に戻りラジオを付けると「本州方面から高気圧が張り出し、全道的に日差しに恵まれるでしょう。降水確率は10%未満です…。」…。ここは北海道ではないのだろうか。もうエイプリルフールは終わったはずだけれど…。
ガス缶には比較的余裕があるのが心の支えだ。とは言っても、暖房にずっと使うような量があるはずもなく、余分な食料もないので、シュラフに包まってただ時が過ぎるのをひたすらにじっと待つ。寒い。
昼になっても風は止まない。だが、ラジオではしきりに道内の好天を告げている。彼らが言うには明日も晴れるらしいが期待してよいのか判断できない。小屋に入る前は4/4は良さそうだったが…。天気がどうなるかも分からないのに地図を広げ皮算用を繰り返す。4/8に雨の予報で週末は荒天となるらしいが、4/7までに佐幌山荘に着くことなど可能なのだろうか。あぁ、考えても仕方がない。今日はもう停滞で仕方がないが、明日も停滞だと一層厳しくなるなぁ、と思わずにはいられないのだった。
夕方になっても風雪は回復の兆しを一切見せず、むしろ勢いを増すばかりだ。食べ物が、水が、ストーブがあればいくらでも待つのだけれど。なけなしの柿ピーナッツを30秒に1粒ペースで口に運ぶ。何かしていないと落ち着かない。明日でこの小屋にいるのも4日目だ。斜面を5分も登れば電波が入るのだけれど、この風雪ではそれも一苦労どころではない。この絶妙に世間から“のけもの”にされている感覚はなんだ。手が届きそうでギリギリ届かない“日常”。世の中から隔絶されて、初めて分かる俗世へ依存する哀れな僕。やはり山だけでは生きられそうにない。かと言って勇んで社会の歯車になることを嫌い、山の道へ迷い込んだ僕。光はどこにあるのか。太陽よ、顔を見せてくれ。
単独行は響きも中身もカッコいいけれど、その分過酷で辛い。僕はきっと、誰かと行く山の方が好きだ。じゃあなぜ独りで山へ向かうのか。やっぱり強くなりたいのだ。ただ漠然と強い山屋になりたいのだ。この世界で生き抜くだけの力と自信が欲しいのだ。なのに、山に深く分け入るほどに自分の弱さばかりが見えてくる。山は、特別なふるまいをしてるわけではない。至っていつも通りだ。僕だって…。僕だって…。
もう1ヶ月以上、毎日のルーティーンとなっている、雪から水を作り茶を沸かす。一定の作業を無意識に繰り返すことは精神衛生上効果があるようだ。温かい液体が冷え切った五臓六腑に染み渡る。柿ピーは気づけば半袋無くなってしまった。そろそろ腹をくくるしかなさそうか。
4/3
地吹雪 降雪はなさそう ホワイトアウト 夕方青空
一応4時に起きる。風の音が物凄いのでシュラフから出ることもなくもう一度寝る。気づいたら7時だった。慌てて外を覗くが、何も変わっていない。絶望感に打ちひしがれる。今日もやはり厳しそうだ。ボールペンの黒が無くなってしまったのでここからは青で書くことにする。といっても書くことが無い。やるべきこともない。ただ無為に時間が過ぎるのを願うことしかない。不安だ。不安だ。
昼になって、明日の予報を確認するため、いつもの散歩道を登る。今日の夕方ごろから回復しそうだ!歓喜に舞い上がる!好天は明日明後日と続いて、4/6からまた崩れるようだ。この2日間に賭けるしかない。明日は日の出前に出よう。どこまで行けるだろう。また、皮算用が始まる。だが、今日は昨日より気持ちが明るい。
15時、依然風は強く地吹雪が物凄いが、上空には青空が!僕の心も晴れ渡る。まだ風の音が轟いている。その勢いで昨日の降雪も吹き飛ばしてくれ!
快晴のトムラウシ山を心に描く。この停滞明けの大雪山はどれほど美しいのだろう。ひょっとしたら直視できないかもしれない。それでも良い。早く明日になってほしい。
もう昨日の感情など嘘のように、気持ちが前向きになっている。あぁなんて単純な…。もう言うのは止そう。不安が無いと言えば嘘になる。だけれど、そんなもの忘れてしまうくらいに明日が待ち遠しい。明日は今の僕に出せる精一杯を目指そう。山に正面から、素直に向き合えることが幸せだ。この感覚はきっと、家でぬくぬくと悪天をやり過ごし、晴れた日だけ山に登ることでは決して得られない貴重で尊い経験だ。そんな他の誰にもまねできないような山登りが出来つつあることを、光栄で幸運で誇りに思う。ここまでずっと、いつまでにどこに辿り着きたいという思いが常に頭の片隅に付きまとっていたが、もうそんなことはどうでも良くなってきた。ただひたすらに、美しい峰々を闊歩したい、その想いだけだ。今ソワソワと地図を広げている皮算用も、自分の欲に忠実に、ワクワクが収まりきらないだけなのだ。これまでの皮算用とはわけが違う。
この数日とこの先数日を経た先には一皮むけた自分が待っている気がする。楽しみだ。今日は上手く眠れないかもしれない。原因は昼寝ではない。舞い上がってしょうもないミスをするのだけは気を付けよう。あぁ、あぁ、今のこの気持ちを十分に言葉にすることが出来ない。
4/4
終日快晴 そよ風 3:30∼14:45
寝ている間、風の音がするが、できるだけ気にしないようにする。2時に起きると風は少しおさまった気がする。再パッキングして4日間お世話になった小屋を後にする。暗い中でも晴れていることが良く分かる。うっすらと地形が見えるので迷う心配はなさそうだ。北沼手前で空が白み始める。東の空が段々と紅に染まり、石狩稜線のシルエットが浮かび上がる。一方、西の空は星がまだ瞬いている。なんて贅沢な時間だろう。やがて音更山と石狩岳山頂の間から太陽がのぞき、北沼のシュカブラをピンク色に染めてゆく。あぁなんて…。筆舌尽くし難い。迂回ルートで南沼キャンプ指定地へ出て、空身でトムラウシ山頂へ。冷蔵庫大のシュカブラをぶっ壊して山頂標識を出す。幸せってこういうことを言うんだよ。
快調に三川台へ。全て見渡せるので、豪快にショートカットしてツリガネ方面へ。快速飛ばしてコスマヌプリも越えて、オプタテシケ直下へ。まだ10時半だ。ここからは600mの急な直登。さすがにペースが落ちて、足も疲れてきた。12:15山頂。直前にPeakに人を見たが、先に降りてしまった。Peakからは大雪山が全て見える。やっぱこれだよ。下ホロが少し近く感じた。
この先もアイゼンが小気味よく効く快適な稜線歩きで胸躍る。さすがに疲れてきたころに美瑛富士小屋。屋根以外全て埋まっている。知ってた。今日の天気で小屋に泊まる必要はないので写真撮って先へ。 美瑛富士トラバースの途中で大胆にもテントを張る。風が少しだけ不安…笑
本当に気分のよい一日だった。明日もこの調子で行きたいところだ。こういう日は何も思い悩むことがない。こういう生き方がしたい。幸せ、飯が美味い、ピーナッツが美味い、紅茶が美味い。
青空がオレンジ色に変わってきた。今日が終わってしまうんだな。でもやり残したことはない。今日は良く眠れそうだ。
4/5
晴れ 朝は少しもや 日中は暖かい 5:30~13:40
心配していた風は大したことなかったが、なぜか全く眠れなかった。今思えば浮かれていたのかもしれない。日の出前のパッキング中に事件は起きた。テントからポールを抜き、3秒ほど目を離した隙にテントポートは忽然と視界から消えてしまった。信じられなかったが、よく見るとほんのうっすらと雪面にポールが滑った跡が残っていた。…。我を忘れて、気づいたらカリッカリの斜面を駆け下りていた。カリカリの斜面は標高差500m以上も続いており、とても見つかる気はしなかった。失意の中500m登り返してテン場に戻り、現状を確認する。無くなったのはテントポール1本。風のない樹林帯であればポール1本と張り綱とスキー2本で何とか立てられると思う。今日中に下ホロを越えられれば、佐幌山荘までは何とか持ちこたえられると考える。偶然にも今日、優子に佐幌山荘へのサポートデポをお願いしていて、昨年まで使っていたストック2本などの他に、予備のポールも含まれていた。ストックは、今のこの不安定なものではやはり日高に行くのは恐いと思ってしまったこと、同じく、大分水点のテン場で少し曲がってしまったテントポールのまま日高に行きたくないと思って頼んだものだった。テントポールは曲がったところだけ交換するつもりだった。だからラッキー(なのか?)なことに佐幌までやり過ごせば何とかなる…。いよいよ泥臭い計画になってきてしまった。昨年と同じくらい天気が良いのに、いや、良いからかもしれないがルートのことをよく覚えていない。どうすればポール1本で佐幌に行けるかばかり考えていた。昨日の疲れから体が重い。ペースが一向に上がらない。下ホロ北コルで13:30。なんとか日没までには越えられるかもしれないが、この疲労とテント不備で無茶はすべきではないと判断し、ここまでとする。思った通り、ポール1本でとスキー2本でテントを立てられてホッとする。そういえばこのことを優子に伝えるのを忘れてしまった。GoProも回していない、ダメダメだ。何とかなりそうなので圏外だし事後報告ということにする。ごめんなさい。カメラは…、また後で回します。
明日の朝に下ホロを越えられるかが少し不安。でも何とか行くしかない。装備の不備がたくさん出てきてしまっていることも問題だが、体が疲れ切っていることの方が深刻かもしれない。午後に、フラついてアイゼンでオーバーズボンを盛大に破いてしまった。集中力が全体的に足りなくなってきている。
山荘まで辿り着けたら余りの日程は天候によらず休養停滞としよう。ひょっとしたらもっと休養が必要かもしれない。まずは山荘に無事に行かなくては。それから装備も直さなくては。あぁ、サポートなし、なんて言っていた頃が懐かしい…。
4/6
朝 曇り 昼前から霧雨 サハリンからの寒冷前線通過 5:20~10:45
樹林に守られた穏やかな朝。風の音はしているが、今日は良く眠れたので気分は良い。朝は思っていたほど天候も悪化せず(予報通り)、ぶ厚い雲は覆っているがまだ持っている。斜面は朝だと言うのに、あきれるほどズボズボだ。中途半端に表面だけクラストしていて、とても登りづらい。シーアイゼンの調子も悪いのでシートラアイゼンストック。イライラする登りが続く。ハイマツが嫌いになりそうだ。残り標高100mくらいでようやく少しマシになる。この頃にはガスがわいてきて、登るにつれてガスの中に吸い込まれていくようだ。風は予報通り南西向きらしく、さほど気にならないのが有難い。山頂直下で風が出るが想定していたほど悪化しなかった。山頂はガスガスだったが、下りようとすると晴れてくれた。嬉しい。これにて石狩山地ラストピーク。お世話になりました。
下りは割と雪が豊富で、サクサク下りられる。こっちを登りたかった。樹林帯に入ってスキーに替え、一気に下る。ガスの下に出たと思ったら下ホロPeakも晴れていた。まだ8時だけれど、もう体がダルい。やはりこの疲労は深刻だ。心に体がついてこないなんて身に覚えがない。
この先はうっそうとした森の中を進む。目標物がなく、どこにいるのかよく分からない。巨木だらけで見通せないのでコンパス頼りだ。時折出てくる沢地形を避けるように進む。分水嶺を進みたいのだから、沢を避ければ良いのだ。言葉で言うのは容易いが…。
12時頃から雨の予報だったが、10時過ぎにはポツリと来る。まだもう少し進みたいところだが、体も疲れているし、明日の自分に期待してもう30分くらい頑張ってテントを張る。テントを張り終えると、パラパラと降ってきた。今日もポールは1本だ。
明日の行程が長く残ってしまったが、何とか佐幌山荘まで行きたいところ。何だかんだあったけれど、ここまで来ることができた。途方もない長距離も40日を積み重ねればこれだけ進めるんだなぁ。まだ着いてもいないが、感慨に更ける。振り返れば、石狩山地は苦難の連続だった。よく乗り越えられたと思う。その分色々とガタはきているけれど、充実感もひとしおだ。
まだ長大なラスボスが残っている。この先こそ、僕の本当の実力と粘り強さが試されるだろう。乗り越えた先には何が見えるのだろう。今は期待より不安の方が圧倒的に大きい。
4/7
晴れ 高曇り ここ数日の中では風が冷たい 5:30〜12:30
3:30に目覚ましをかけたが、4:00まで二度寝してしまった。段々意志が弱くなってきている?ダラダラとパッキングして出発。雪はカリッと締まっていて、スキーが快調に滑る。昨日は12時に霧雨が降った後はずっと晴れていたので、やっぱりもう少し進むべきだったか、と思っていたがこの調子なら問題なさそうだ。森は意外と疎らで太陽が明るい。木もれ日に照らされながら気分よく。昨日の区間よりは地形が分かるがやはり難しい。一度沢型の反対側に入りそうになったが、間一髪で気づくことができた。気づくと周囲はモービルトレースだらけになっていて、もしやと思ったらスマホの電波も入った。深い森の感じは無くなってしまったなぁと思っていると、見たくない足跡が。大きいもののそばを小さいのが添うように歩いている。もう起きてきているんだ。小さい方も少し大きかったので、今年生まれた子グマではなく1歳かなという印象。もう春なんだ。そういえば標高が1000mを下回ったのは、2週間前の北見峠以来らしい。石狩山地の雪の台地にいる間にも、季節は着実に進んでいる。稚空知山への登りもカリカリなので、スキーで行けるか?と思っていたが、なんとかシールの効く斜面で助かる。その後もスキー向きの尾根が続いていて、疲れた体に優しい。嬉しい。稚空知山10時、佐幌山荘14時が目標だったが、ゆっくり休憩しながらでも時間を巻くことができた。こんな誤算はいつ振りだ。
佐幌山荘が見えて思わず頬が緩む。本当に辿り着いたんだ。今年2月にデポしに来たとき、いや、昨年のデポで初めて来たときには、この山荘に着く想像ができなかった。人の力って意外とすごいぞ。オレ、中々やるじゃん。と誇らしくなる。色々とボロボロだし、運が良かった部分も多くある。それでも昨年の惨敗に懲りずに翌年再チャレンジしたことで呼び込めた運なのかもしれないと思うのだ。
山荘には夫婦2人組の登山者が休んでいた。冒険ものの番組がお好きらしい。ちゃっかり宣伝しておいた。写真も撮らせていただいた。思えば、山で人と話すのは初日のモービル軍団以来40日振りだ。何だかとても嬉しかった。人の心に飢えている。そう感じる。
快適な山荘だ。何よりストーブがあり、暖かいのが良い。6割くらい雪で覆われているので中は薄暗いが、前の人が窓を1つ掘り出してくれているので十分だ。小屋ノートを見ると、先月ストーブの煙突も修理されたらしい。つくづく人の温かさを感じる。単独だけど孤独じゃない。これはすごい事実だ。独りでいても、孤独でさえなければ不安にならなくて済む。これ以上に幸せなことはない。
薄々気づいていたけれど、体から獣のような臭いがする。帽子を脱ぐと髪はベタベタだ。顔をこするとごっそりとアカがとれる。これから日高に行こうとしているのだから、我ながら呆れてしまう。体のことも、先の天気も、心配事は尽きないけれど、とりあえずしっかり充電することに専念しよう。明日のことは明日考える。先輩の石橋仁さんも言っていた。「今日できることは明日もできる!」
あー、まずい事態が起きてしまった。デポバッグがかじり開けられてしまったようで、チョコや柿ピー、フルグラが散乱している。硬いバッグを選んだので大丈夫だと思っていたのだけれど…。昨年も大丈夫だったのだけれど。色んなことが起きるなぁ。本当に。心も体も休まる暇がない。仕方がないのでネズミ被害状況を確認する。
ストックの破損×2といい、湿雪でズブ濡れになったときといい、暴風雪で小屋に閉じ込められても、テントポールが1本無くなっても、山荘のデポ食料が食い散らかされても…。
その瞬間は本当に血の気が引いたように頭が真っ白になり、すぐには上手く整理できないのだけれど、1〜2時間経てばまぁ何とかするしかないと思えるようになってきている。なってきているというよりも、ならざるを得ないだけかもしれないけれど。
結局のところ、一瞬で窮地に陥るような大ミスをしない限り死ぬことは無い(多少の例外はある)。それは、連絡すれば誰かが助けてくれる状況にあるという意識が少なからずある気がしてきた。きっと実際のサポートの有無によらず、その意識を持てることがサポートなんだ。その意味でこの計画は最初からノンサポではない。角幡唯介さんが小屋のデポを白熊に荒らされ、ブリザードに閉じ込められ、連れていた犬(ウヤミリック!)を殺して食う覚悟までしたあのハプニング、あれこそノンサポートの恐ろしさだ。どこまで本当に覚悟したのかは知らないけれど。
その意味で今の僕は甘っちょろい。せいぜいねずみが這いまわる音で寝られないくらいでグダグダぬかすな。大丈夫。これ以上ここから悪くなることはなさそうだ。なったとしても多分死にはしない。
とりあえず、どうしてもかじられると困る道具と食料はザックに入れて外に出したり天井に吊るしたりしてみた。ラジオを付けるとねずみは近づいてこれないらしい。ラジオを盾に部屋の隅で眠れるかな。
そういえば学生時代の冬合宿でも雪に埋めていたご馳走をキツネに食われたなぁ…。トホホ…。
4/8
朝は吹雪 昼から晴れ 風あり 小屋停滞
かわいいねずちゃんがひっきりなしに這いずり回り、ガリガリと何かをかじっている音で何とも落ち着かない夜を過ごす。うとうとすると音がして起こされ、また荒らされるんじゃないかと思うとおちおち寝てもいられない。仕方ないので寝るのは諦めて食料の整理を続けたり、明日以降の作戦を考えたり。ラジオを付けると近づいて来なくなる気もするが、僕がねずみの気配に気づけなくなっただけかもしれない。日も跨いでしばらくするとどうしても起きていられなくなり、気づいたらラジオを付けたまま寝落ちしていた。
明るくなるとやはり活動はしないらしく、こちらも心中穏やかに過ごすことが出来る。各所へ今後の動きを連絡する。明日、不足する食料を優子が補充しに上がってきてくれることになった。田辺さんと補助で梶浦君も来てくれるようだ。つくづく人に恵まれている。ありがたい。
連絡を一通り済ませるともう一度寝る。今度は心配なく熟睡することが出来た。昼飯を食ってまた長い昼寝。気づいたら日が暮れていた。
さぁ、今日も夜がやってきた。このために昼に寝だめしておいたのだ。日記を書いたり、装備の修理や整理をしたり、その間もガサゴソとデポバックに出入りする音が響く。平気で僕の目の前を走り回り、ごちそうさまと言わんばかりに貪っている。本当になめていやがる。捕まえたらブチ○してやる。
盛大に破いてしまったオーバーズボンを針と糸で縫い合わせる。1時間くらいかかってしまったが、何もやることがないよりは心をごまかせる。さすがの不器用さを発揮し、何とも不格好だが、いつ振りか分からない裁縫にしてはよくできました。
ねずちゃんは相変わらずデポバックを貪っているが、整理してバッグを入り口側に置いたので、奥にいる僕の方には来る理由がなくなったようだ。デポバッグが囮となってしまいなんとも悔しいが、昨日よりは落ち着いて過ごせそうで安心する。
明日は大勢(3人)で来てくれそうなので寝ておきたいところだが、こういうときに限って上手く眠れない。今日は完全に昼寝のせいだ。日高のための英気を養う停滞のはずだったけれど、なんだかこれは休まっているのだろうか。まぁ精神面はともかく、身体面では休養にはなっているか。
思い出したように全身をマッサージする。腰とふくらはぎがパンパンに張っていた。
4/9
風あり 晴れ 夜に雨 小屋停滞
しっかり寝たかったのだが3時に目が覚める。やつの音だ。仕方ないので暗いうちから朝飯を食らう。明るくなるころに活動が大人しくなって、それに合わせて僕も眠ってしまった。
ガタゴト音で目が覚める。あいつにしては音が大きい、と寝ぼけていたら優子だった。失礼。ありがとうございます。補充食料を受け取り、たわいない話をする。そういうとそっけないけれど、とても和む時間だった。田辺さんに「残った分で行けるところまでとは考えなかったのか」と話を振られる。あまりに自分の想定に無かったせいで、答えに窮してしまった。確かにそういう考え方もあって良いはずだ。少なくともノンサポを謳うのならばこの考え方の方が自然だ。実際、石北峠を始め、サポートを受けずにここまで来ていたらその考えに至ったかもしれない。けれどその段階はとうに過ぎてしまった。何よりも
僕はもうサポートを受けすぎてしまっている。石北での修理はもちろんのこと、いつかの日記にも書いた、小屋をたくさん利用していること、林道に逃げていること、モービルトレース、スキートレースetc…。それに多くの区間でスマホの電波が入ることも精神面でとてつもないサポートだと言って間違いない。だってみんな今日僕がどこで寝ているのかだいたい分かっているのだ。この環境が絶たれたときに僕のメンタルが同様でいられる保証はない。加えて言えばスマホのバッテリーも然り。表向きは撮影用のバッテリー確保という名目でGoProのそれと一緒に交換しているけれど、やはり「足りなくなったら交換してもらえる」という心理的安心感は否めない。でもこれらを全てシャットアウト出来るほど僕は意志もこだわりも強く持てないのだ。何が正しいかは自分が納得することとほぼイコールに近いと思う。けれど、本当に自分が納得できているかは、正直なところ自分でも良く分からない。納得と妥協の壁は薄く、それでいてとても大きなものに感じられる。納得と言い訳して妥協を許していないか。自由とは自分に厳しくなくては成り立たない。
夕方までは晴れていたが、18時頃から雨となる。予報以上の雨は(今日は予報をよく見ていないけれど)昨年のトラウマがよみがえるので気分が悪くなる。この何とも鬱屈とした気持ちごときれいに洗い流してくれないものか。
雨音と風音でやつらの動きが良く分からない。もうこの小屋では本当に快適には過ごすことが出来ないのだと悟る。一日早めて明日出発しようかと思うけれど、体の回復が最優先だ。なんたって僕は単純なので小屋を出ればきっと気分も晴れるはず。
4/10
明け方まで雨 朝から晴れ 今日も夕立 小屋停滞
夜は風雨が激しかったが、朝になると穏やかになった。日曜日だし、たくさん人が上がってきそうだ。そう思っていたが、昼に二組上がってきただけだった。他にも数組いたとは思うが、小屋には入ってこなかった。
いよいよ明日再開だ。いよいよ最終章だ。まだ最後というには長すぎる気もするけれど。体が回復しているのかよく分からない。楽になった気もするけれど、1日歩いたら元に戻る気もする。3日晴れて1日停滞なんて都合よくいかないかなぁ。
出発より重くなるだろうパッキングも不安だ。雨予報が続いているのも不安だ。不安を上げだしたらキリがない。けれど気持ちは高まってきている。晴れた日高を歩きたい。そう、晴れた日高を。
今さらだけれど、分水嶺って何なのだろう。この雪は日本海に…なんて思っていたけれど、よく考えたら見えている表面の雪は溶けて川に流れる前に蒸発して雲になるんじゃないだろうか。実はそのまま、またここに雪として積もったりして。それはそれで面白いしロマンがあるなぁ。まぁこの先は厳密には右も左も太平洋になるのだけれど。
いよいよ明日から3週間か。どんな結末になるのだろう。ワクワクする余裕はないなぁ。柄にもなく緊張している。日高ってやっぱりそういう場所だ。とは言っても最初の3日間くらいは易しいのだけれど。たっぷりの紅茶を飲みながらパッキングの確認をする。とは言ってもシュラフは仕舞えないからパッキング出来ないのだけれど。
そわそわする。そういえば3年前の出発前も、昨年の出発の前の日も。日高ってやっぱりそういう場所だ。
晴れてほしい。雨が降らないでほしい。風が弱くあってほしい。雪が締まっていてほしい。楽しく幸せな日高にしたい。そのためにはスパイスも必要か。いやきっと、僕は甘党。
これで日記は終わるつもりだったのだけれど、寝る前のラジオで衝撃を受ける。千葉ロッテの佐々木朗希投手が28年ぶりの完全試合を達成したという。しかも13者連続奪三振の日本記録(これまでは9者連続が最高。聞き間違いかと思った。)に19奪三振の日本タイ記録…。
すさまじい。圧倒的だ。やはり目指すべきはこういう境地だ。泥臭くても良いと言ったけれど、やっぱり出来るだけ上手く、スマートにやりたい。結果的に泥臭くなってしまうのと、最初から泥臭くても良いと思っているのとでは文字通り雲泥の差があるに違いない。装備の不備もなく、体調も万全で、事故無くケガ無く山から帰る。当然そこを目指すべきだ。僕は何か勘違いしていたのかもしれない。
さぁ、心は決まった。僕の山を表現しよう。日高さん、しばらくお邪魔します。お手柔らかにお願いします。
4/11
雲海。峠は霧雨のち晴れ 4:30∼14:00
3時に起きる。飯を食って、掃除をして、今計画最重量のパッキング。想像通りの重さ(推定45)だ。入りきらずはみ出してしまったが、なんとかなって一安心だ。4日間お世話になったネズミーランドを出る。
外は雲海になっていて気分よく出発。進む稜線以外雲の中に消えていて、なんとも夢のような風景だ。唯一、雲の上に出ている稜線をひた下る。峠の手前で雲の中に吸い込まれると霧雨が降っていた。うつつに引き戻されたように、田辺さん三好さんのもとへ。何度も来てくださり、本当にありがとうございます。別れの言葉は「襟裳で会いましょう。」良い響きだ。少し登るとまた雲の上に出る。朝のときほどの感動はもうなかった。
いよいよ日高が始まったわけだけれど、これまでの稜線とさして雰囲気が変わらないのでまだ実感がわかない。まあ、そのうち嫌でも緊張感が出てくるだろう。
今日はとても暖かい。むしろ暑い。札幌でも20℃、帯広では26℃、岩手では31℃を記録したらしい。5月末から6月並らしい。手袋はおろか、防寒具など一切必要ない。少し風があるのがありがたい。冬用登山靴は厳冬期でもいける靴だから、オーバースペックすぎて靴下がびしょびしょになってしまった。標高も低く、雪がつながっていないところも少しある。おまけに新狩勝トンネル付近には牧場があって、ポカポカ、ほのぼのといった幸せな時間が流れている。オダッシュ山の手前に14時前に着く。このまま頑張れば今日中に越えられないこともないが、まだこの先も長いし、無理するところでもないと思い、少し早いがテントを張る。
日没までののんびりと流れる時間が好きだ。ぼんやりと地図を眺め、明日の山々を妄想する。温かい紅茶をすすりながらかじる板チョコは至福の味がする。
長期縦走で大切なのは敏感力と鈍感力なんじゃないかと思う。天気の悪い日に、手が冷たくなり感覚がなくなる前に敏感に察して手袋を替える必要がある一方で、汗や湿雪で体がぬれても気にせず眠れる鈍感さも必要だ。鈍感力に関しては、僕は不快耐性と呼ぶこともあるけれど、僕はこの能力にはどうやら自信があると言って良さそうだ。あともう一つ、単純さというか、根拠のないポジティブさも重要だと思う。本当に今日はここで行動を止めて良かったのだろうか。今日もっと頑張っておいた方が良かったのでは、なんて思うこともあるけれど、大丈夫これで問題ない、と思えることが大切だ。
何たって間違いない事実が1つある。明日のザックは今日より軽い。
4/12
雲海。晴れ。風あり。ぬるい。午後から曇り。4:00∼12:50
テン場がなんだか風の通り道だったようで騒がしい夜。とても暖かく、今までで一番薄着で寝られた。明け方さえも暖かく、ぬくぬくと出発。すぐに上半身はインナーだけになり手袋もいらず素手だ。それでも暑い。オダッシュ山には立派な看板があった。夏道もある。知らなかった。オダッシュの下りまでは快調に進む。この辺りから暑すぎて、汗で靴下がぐしょぐしょになり、とても不快。そして、何といってもザックが重い。やはり体は回復できてはいないようだ。何とかダラダラと登り、1327の手前で靴を脱いで、乾燥大会。いい感じかと思ったが、逆効果だったようで、より足が痛くなる。むー。沢靴のようにぐっしょり濡れたまま、心を無にして歩く。
暑さ、不快な靴下、ザックの重さ、今日は苦しい。晴れはいいのだけれど、高温はいただけない。そういえば昨年も連日の5月中旬並の気温に苦しめられたなぁ。
熊見山に着くころにはなんだか悲愴感すらある。足の皮がめくれたようで、こうなると一歩一歩が痛いので1分、10分がとても長く感じる。
あわよくばペケレベツまでなんて浅はかな考えはとうに消え失せ、峠でテントを張る気満々だ。今晩、強風と雨予報なので展望台脇の公衆トイレを盾にテントを張る。午後からものすごい風の音がするが、コンクリートのトイレの風下は多少はためくだけでありがたい。昼過ぎに行動を終えたとは思えない疲労感と不快感。なんだかなぁ。
この先しばらくはそれなりに天気が良さそうなのが嬉しいところ。ザックさえもう少し軽ければ楽しいんだけどなぁ。膝や腰を痛めないように気をつけないと。
佐幌岳での停滞を境に、すっかり春になってしまったようだ。嬉しいような寂しいような。明日はまた少し冷えるようだけれど、どうかもう少し、雪よ融けないでおくれ。雪は僕の計画の生命線だ。たっぷりの雪がしっかり締まっていてほしいんだよ。今日も何度か笹の上を歩いた。これはきっと僕のしたいことじゃない。
あぁ楽しい稜線歩きがしたい。一日の終わりに寝るのが名残惜しいような、そんな夜が待ち遠しい。
4/13
終日雨。霧雨orしとしと雨。stay
未明から降り始めたようだけれど熟睡して気づかなかった。相変わらず暖かい夜。予報では午前中は雨だが一応3時に起きる。外を見るまでもなく雨の音が響き、ものの3秒で再びシュラフに潜り込む。4時、5時と一応起きるが全く同じ動きを繰り返す。午前は半ば諦めて、寝て起きると7時半。さぁどうか…。パラパラ。…。ガサガサ(シュラフをかぶる音)。9時半、今日出発するならそろそろリミットだが、霧雨は止む気配がない。歩けばすぐにずぶ濡れの雨ではないが4〜5時間歩けばダメだろう。装備を濡らすのは避けたいし、ペケレベツ山頂付近もこの程度で済む保証はない。停滞濃厚か。11時、少し止む気配が…。だが今度は、僕の方にもう出発する気力がない。毎日少しずつでも進む方が体的には楽なのだけど、気持ちが乗らない分には仕方がない。12時を過ぎて、13時になろうかというタイミングで、とどめのもう一降りが来る。これで気兼ねなく停滞できる。今日のα米に水を注ぎ、一気にまったりモードとなる。10時の時点でほぼ確定していたのに、ここまで決断できない心の弱さ。あぁ。
停滞というのは本当に暇だ。仲間がいればあんなに楽しいのに、独りだとすることがない。水分は足りているのに余分に紅茶をわかし、口寂しさと空腹をごまかす。時間があると無駄な考え事が増える。何日にどこまで進めるだろうか。カムエクは…、ペテガリは…。
風がおさまって、雨音の狭間に大型トラックが峠を越える音が聞こえてくる。国道274号の日勝峠は昭和40年に開通して以来、日高側と十勝側を結ぶ主要道路だ。4年前の胆振東部地震では清水側の橋が崩落し、しばらく不通となり流通に大きな被害があったのも記憶に新しい。人の気配を感じられる峠は、この旅の中でもう何度も渡ってきたが、その度に少し、気持ちが安らぐ感じがする。街が近いという漠然とした安心感だと思うのだけれど、山深くないことで一抹の不満も少しある。山に入り浸りたい僕にとって人の気配は不要で、むしろ邪魔なのだ。少なくとも出発前は迷うことなくそう考えていた。1ヶ月半、山にもまれ、人の温かさにふれるうちに僕は丸くなってしまったのかもしれない。顔も知らない、そもそももう生きてもいないであろう人々が残した人智に助けられて、ここまで旅をつなげられてきたのだ。心持ちが変わるのも無理はないんだろうな。ここからはそういった支えも得られなさそうな原始的な峰々が続く。厳しさは一層増すだろう。僕一人で。あぁ不安だ。
夕方になってもまだ雨はしとしと降り続いている。そうだった、僕の心は天気とリンクしているんだった。だったら今不安を感じるのも当然だ。明日晴れれば大丈夫。明後日晴れれば万万歳!ノーテンキでいこう。
どこかの日記にも書いたけれど、昨年の旭岳スキー撮影でご一緒させていただいたテレマークスキーヤー石橋さんが言っていた言葉が今でも心に残っている。
「世の人は、明日やろうはバカやろう、なんて言うけれど、オレから言わせれば、今日できることは明日もできる、だからね!」
4/14
雲海。海の上に出たり潜ったり。風は弱い。4:20∼13:20
久しぶりにピシッと冷えた朝。ぬれた後、凍りついたテントを頑張ってたたんで出発。レインクラスト小気味よく、急な尾根をスノーシューで上がる。ガスっていたけれど予想通り、ペケレベツの登りで雲海の上に出る。見事だ。山頂までもザックが重い以外は順調に登る。山頂からは雲海から顔を出す十勝連峰、トムラウシ、石狩、二ぺ、ウぺと、1800mより上が晴れているようだ。こちらは1500mが海面らしく、下るとガスの中へ潜る。ガスの中は空気が冷たく寒く感じる。だがこの方が歩きやすくて良い。所詮は春の気温だから凍えるような寒さにはもうならないのだろう。そう思うと少し嬉しい。その後もガスの上に出たり潜ったりを繰り返す。だが今日の行程では1500mはほとんど越えないから実際はほとんど海中だった。それでも風も弱いし、歩きやすいことに変わりない。10〜11時くらいになるとさすがに雪が悪くなり、ズボズボとはまり始める。こうなると本当に一気にペースが落ちる。段々とイライラも増してきて、朝の清々しさはどこへやら。結局今日も悪態をつくのだった。パンケヌーシ分岐は雪が融けてしまっていてハイマツや岩が露出している。そういえば3年と1ヶ月前の今日、日高全山に出発したんだったなぁ。今回はさすがに1ヶ月遅いので雪量は少ないが、1ヶ月遅いとは思えないほど雪が多い。3年前は少ないと騒いでいた年だったが、それにしてもやはり今年は雪が多いようだ。昨年この計画に挑戦した際は、雪の少なさが心配になるくらいだったから、今回は雪量にも恵まれていると言って良いだろう。直前に雪が降り、ラッセルが多かったり重かったりするのは困るけれど、シーズンを通して雪が多くまたたくさん残っているのは、登山道が無いこの計画で最重要かつ、自分の力ではどうしようもないことなので、本当に嬉しい。この幸運は、昨年の惨敗にもめげず、翌年である今年も再挑戦したことで引き寄せたご褒美だろうか。
尾根分岐を越えて、芽室岳手前のコルへと下る。ここもガスの中だ。ズカズカと下ってあと5分くらいで目標のテン場というところで盛大にズボりとはまる。それ自体はもう何十回、何百回と繰り返してきたのだけれど、今回はあろうことか反対の足のスノーシューが引っかかってしまった。まずいと思ったときにはもう体重がかかってしまい、またしても盛大にオーバーズボンが破けてしまった。あーあ。裁縫タイム30分。前回と同じくらい大きい穴だったが、半分の時間でできた。成長している。
風のない快適なテン場。一応それなりには予定通りのはずなのだけれど、どうにも落ち着かないこの感覚はなんだろう。やっぱりこれが日高なんだなぁ。まだあと2週間は少なくともかかる。何とか何とか着実に先に進むしかない。理由のない不安ってどうすればよいのだろう。モヤモヤを熱い紅茶で流し込む。いや、流れ切っていないなぁ。
この気持ちを持ったまま、仲良くなるしかないのだろう。晴れてくれること、風が弱いこと、雪が締まっていること…。なんだか同じことばかり書いているな。でもこれが僕の素直な感情だ。
4/15
ガスのち高曇り 風はほぼなし 3:50∼13:15
ガスっているが風はなく、冷えた朝。今日もしっかりクラストしていて、快調に登る。展望はなし。ばっちり凍っているので下りはアイゼンを出す。はまらないので楽だ。下り切るとスノーシューに戻す。この先も雪はしっかり締まっていて歩きやすい。けれどザックも体も重い。この雪でなければノロノロ進行だっただろう。特に見どころもなく、ひたすらガスの中を進む。ルベシベ山との尾根分岐の手前でようやくガスが少し抜け、山並みが見えるようになった。ここで気づく。この先のようやく日高らしい稜線が見えた時に一気に元気が出たのだ。それまで足の痛みや空腹にしか頭が回らなかったが、ここに来て山に目を向けられたような気がする。この仮説が正しければ明日はきつくも楽しい1日になる…はず…。
そして、昨日感じた得体の知れない不安の正体も少し分かったような気がする。3年前、あの、向こう見ずでがむしゃらに日高に飛び込んでいった自分と今の自分を比べてしまっていたのだ。あの時より少し賢くなって、その分臆病になった僕。行程を理解して、計算して食料を用意し、アクシデントに備えて様々な装備が増えた。新しく優秀な装備を身につけ、3年前から同じものと言えば、ジェットボイルとラジオ、あとはパンツくらいだ。時期の問題だってある。3年前は3月だった。皮肉にも日勝峠を出発した日付は一緒だ。気温に恵まれ、雪質に恵まれ、なのにあの時と同じテン場までしか進めなかった。3年前から何ひとつ進歩していないように感じられ、むしろストイックさやハングリー精神が減った分、退化したと幻滅したのだ。もちろん、これまで40何日縦走を続けてきているわけで、日高のために準備していたあの時とは体のコンディションがまるで違う。それは分かっているけれど、これだけ条件に恵まれているのに疲れを理由に同じテント場に納得し、妥協してしまった自分が受け入れられなかったのだと思う。
今だったら必要だと思うものを十分に持たず、食料もそれまでの経験から勘で用意していた。それでもボロボロになりながらも襟裳に辿り着いたあの日の僕と同じことをこれからもう一度出来るのか、という不安とも言えるかもしれない。
24歳の僕に恥じない27歳でありたい。あの日の僕に成長しているなぁ、と感じさせたい。そういう思いが心の奥深くにあるのだろう。相手は山であり自然であるから、想いに駆られて無理をしてはいけないけれど、何とかあの感動を越えたいなと思うのだった。きっと今日の僕を3年後、30歳になった僕も振り返って見ていることだろう。情熱を燃やし、今も山に通っているだろうか。この先どんなに辛くて嫌になって逃げだしたくなったときも、この計画に一途に向き合った日々が励ましてくれる。そんな2か月にしたい。あと、2週間、悔いのないようにやり切ろう。
書いていて恥ずかしくなってきた。何も考えずにただ山に登り、青空に心躍っている方が楽しいような気もする。実際これまではそんな日の方が多かったのだけれど、僕はどうしてしまったのだろう。単独だと思考が堂々巡りになる。まぁいいか。どうせなら何か一つくらい悟りが開けるくらいになれれば良いのだけれど。
4/16
朝は雲多め 昼前から快晴 微風 3:55∼14:00
今日も穏やかな朝。ばっちり冷え込んでいる。1712までスノーシューで行くが、その先はハイマツが出ている。ちゃんと這っている(北海道では這っていないハイマツの方が多い)ので漕がなくて良いのが救い。ツボでコルまで下る。ツボでも雪にはまらないのでアイゼンに替えてカチカチの斜面を登る。4年前の雪質と似ていて、やらかしたのを思い出した。主稜に上がると、一気に北日高のパノラマが広がる。最奥には名峰カムエクが鎮座している。さすがの風格だ。1967峰へもアイゼンが良く効く気持ち良い稜線歩きだ。重荷はもちろん堪えるが、この絶景にどうして心躍らずにいられよう。山頂の武骨な看板は健在だった。ワンゲル現役ラストピーク、思い出の山だ。北トッタベツへも幸せに進む。こちらの山頂看板は今年の年明けに見つけられなかったのだが、壊れて地面に転がっていた。年始はきっと雪に埋もれていたのだろう。幌尻岳が美しい。昨年陽希さんに同行した時よりも明らかに雪が少ない。今年の方が1週間くらい早いんだけどなぁ。ところどころ夏の登山道が確認できる。これ自体は歩きやすいから良いのだけれど、南に行くほど雪が少なくなるので今後が不安だ。トッタベツ岳山頂では快晴無風、日差しが暖かい。色々取っていたら気づいたら30分くらい経っていた。今度はぜひ主稜線からは外れている幌尻岳も行こう。この先は雪がダメになったが、重力に助けられだらだらと下る。コルで丁度良い場所を見つけたのでテントを張る。ポカポカで濡れた装備を乾かせる。うひひっ。昨日の仮説はどうやら正しかったようだ。今日は3/29や3/31、4/4に負けず劣らずの“最幸“の1日だった。
もう一つ仮説を立てるとすると、やはりスノーシューの下りが辛いようだ。それが正しければこの先はアイゼンがメインだから毎日ウキウキのはず…。
風のない快適なテント場は今日が最後になるかもしれない。明日以降しばらく風が強そうだ。そして4/22以降は雨の予報も出ている。まぁまだ変わるか。それより明日の強風が心配か。
愚痴がないと書くことがない。きっとこれが正しい幸せの姿だ。段々と日記が短くなる、その方が健全なのかもしれない。
地図にC50と記す。今日で50泊目か。50泊…。もっと途方もないように感じていたけれど、塵も積もればなんとやら。成せば成すんだなぁ。そして、50日で踏破する計画だった昨年の無謀さ…。失敗するべくして失敗したのだろう。その点、今年は今のところ、昨年の反省を生かせているか。この先もテン場判断は慎重に。
それにしてもC50ってすごいね。自分でも良く分からないや。20泊目くらいからそんなに変わっていないような気がする。でもやはり痛感するのは太陽エネルギーのありがたさ。やっぱり1ヶ月前の寒さにはもう戻れないかもしれない。思えば季節は大きく進んでいる。出発したころは6時頃だった日の出も今や4時台だ。日没も1時間くらい遅くなっている。少しずつ弱まりつつある僕を太陽が優しく包み込んでくれているのかもしれない。ありがとう。今日も幸せです。ホワイトチョコサイコー。
4/17
快晴のち曇り 風強まる 3:25∼8:00
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて…そんな朝。紫の雲はない。キリっと晴れている。今日は下り坂なので早出する。ヘッドランプもいらないほどのまばゆい月明かりに照らされる幌尻岳とトッタベツ岳はさながら仲睦まじい夫婦のようだ。神々しく見とれてしまう。今日も雪は締まっていてスノーシューで進む。カムイ岳(南日高の神威岳と区別のため北の神威はカタカナとするのが通例)までは大きな雪庇がたくさんある区間だが、今年はもうほとんど落ちてしまったようだ。3年前の苦労が嘘のことのようにぐんぐん進む。昨年の陽希さんの時はルート状況があまりにも良くて「陽希さん持ってるなぁ」と思っていたが、これが4月の日高なのかもしれない。3月との違いには驚かされるばかりだ。それとも僕も持っている…?笑
風を恐れてバラクラバを含む防寒具フル装備で出かけたおかげで思ったより快適だ。やっぱり世の中覚悟と準備ですね。と思っていたらカムイ山頂手前にヒグマの足跡が…。出てこないでね。北側にあるデブリは君のせいかという風に足跡が続いている。それは冗談としても、大きな雪崩跡だ。Sizeは2.5くらいか。面発生の破断面は厚さ50僉幅は100m〜150mくらい。走路は谷底まで続いていて末端が確認できない。こんなのに遭遇したらどう思うのだろう。人にはとても対処しきれないけれど、山は怖いから行きたくないと思うのだろうか。幸い僕はこれまでに大きな雪崩に遭遇したことがない。だがこれは知識によって避けられているというよりは、単なる偶然に過ぎないと思う。つくづく山は恐ろしい。気を引き締めなければ。カムイ山頂に立つころにはエサオマンにガスがかかり始めた。やはり今日先へ進むのは無理そうだ。視界のあるうちに、上から眺められる位置で地図とにらめっこ。あそこが良さそうだと思った尾根は3年前も泊まったところだった。やっぱここだよね。
だらだらと下ってもまだ8時。早出は精神的に良い。風にビビって小一時間かけてテン場を整地する。そのおかげか、そもそも場所のおかげか、上部では風の音がするが静かなテント場となった。昼寝をして昼飯を食い終わるも腹が鳴る。何だか肌寒い。チョコを一欠け口に運び、ごまかすようにシュラフに潜る。
明日は天気が悪そうだけれど、その先のことを考えるとエサオマンの少し先くらいまで進んでおきたいところ。今日と合わせて2日で1日分進むイメージだ。進むことより風に耐えられるテン場を作れるかの方が心配だ。今日のように夜に風が強まるわけではないので、張るときに耐えられれば風向きが変わらない限り大丈夫なはず。
ガス缶がそれなりに余裕があるのがありがたい。そう考えるとやっぱり3年前はおかしかった。日数は(日勝峠からでは)ほぼ同じなのに、食料も燃料も今回の3分の2しか持っていなかった。湿雪でずぶ濡れになっても体温以外に乾かす手段はなく、水分も最低限しか摂れないから、小便はいつも真っ黄色だった。あんな思いはもう二度としたくないと本当に心から思っているのだけれど、だからこそあまりにも印象的で、ことあるごとに脳裏をかすめる。これは嫉妬か。
4/18
明け方雪 1600より上はガスと風 停滞
4時に起きて予報を確認する。昨晩より悪くなり、午後に風が強まるようなので再び寝る。5時、明るくなったが明るくない。寝る。気づいたら7時半。上空は雲が取れて明るくなった。エサオマン方面は相変わらず。飯を食って寝る。9時。テント場は何だかいい天気。あれ、日和ってしまったか、と思うが稜線はガスに覆われていて少し安心する。テントに風が無いのも雪のブロックを積んだおかげで、実際にはそれなりに吹いている。紅茶を飲んで寝る。12時、今さら停滞を決める。チョコビスケットを紅茶とともにささやかなティータイム。ずっとテントで寝転がっていると体が固まりそうなのでストレッチとかマッサージとか。停滞は本当に腹が減る。早く気兼ねなく腹いっぱいのごはんが食べたい。スマホの電波が入ることは確かに精神衛生上とても良い。何より下界で心配してくれている人たちに細かく連絡が取れるので、今さら持っていかないというのは出来ないと思う。けれど、山に籠る、浸る、溶け込む、という意味では不健全というか没頭しきれていない感覚になることがある。志水哲也氏も「山の面白みは文明の力の及ばないところにある、と僕は思っている。」と言っている。その通りだと思う一方で、今は山に文明が入りすぎてしまっているのだろう。志水氏の当時(1994年、僕が生まれた年)は携帯電話の使用テストが行われ、日高、大雪、知床などの道内の山岳でも使用できることが確認されたころだった。そしてその後のケータイの普及を予感して「すでにあるものをあえて持っていかないと、人の心はとかく複雑になる。便利さを嫌いつつも、目の前に便利さがあれば、それを持っていかないことがナンセンスになってしまう。そしてその便利さと引き換えに、僕らは確実に何かを失っていく。」と語っている。何かとは何なのだろうか。僕にはもう一生分かりえなくしまったものなのかもしれない。一方で志水氏も、単独で無謀だとの批判を恐れて、自分のためというより残された人のためにトランシーバーを携帯している。この辺りのジレンマを志水氏はどう乗り越えたのだろう。そして時代の流れとともにどのように考えは変わっていったのだろう。こういう話題になると必ず、角幡唯介氏が思い浮かぶ。角幡氏の考察は考えさせられるものばかりで、捉え方によっては自分の登山そのものを否定されているような気にすらなる。けれどどれも腑に落ちるもので、グルグルと心をかき混ぜられるのだ。帰ったらお二人の本を買おう。
結局のところ、自分が納得していればそれで良いのだとつくづく思う。だが、この納得という感覚が厄介で、油断すると甘えや妥協がはいりこむのだ。その甘えや妥協を許容したとき、納得した気になれるのだけれど、ふとした瞬間に高校の体育教官のようにストイックな自分が現れて、あれは妥協だったとまたモヤモヤするのである。だから一つの終局点として他人の評価を求める。他人に、十分やっている、頑張っているね、と言ってもらえるとそれもまた納得した気になれるのだ。これはあくまでも逃げでしかなく、根本的には何も解決していないのだけれど、心の弱い僕なんかを支えるには十分な力を持つ。
強くなりたいと出発したこの旅で、未だなんらまとまった成果は得られていない。けれどバランスを大切に、後悔しない選択をしながら精一杯を越えることを意識し続けられたなら、必ず何かを得られると今も本気で信じている。
明日は天気が良さそうだ。天気が良ければ余計なことを考えずに山に夢中になれる。それに明日から日高の核心部だ。この旅は夢だ。今、僕は夢の真っ只中にいる。
この夢をもうしばらく噛み締めていきたい。
4/19
未明雪 朝から快晴 2:55∼14:00
気合を入れて1時に起きるもパラパラとテントを叩く音がする。もしやと思ってテントを出ると10僂曚廟磴積もっている。うーん、どうしたものか。今も降っているが、これは積もるほどではなさそうだ。30分遅らせるだけで出発することにする。雪の舞う闇夜を登る。ガスと雪で尾根が分かりづらいので慎重に。4時前には明るくなり、雪もガスも晴れてきた。月に照らされるエサオマンがなんともロマンチックだ。日の出に思わず感嘆の声を上げながら急登を進む。山頂では北日高とカムエクの大パノラマ!心配していた降雪もむしろ良いアクセントとなり、真っ白にお化粧直しした峰々が美しい。ありがとう。幸せです。風もほとんどなく、快調に進む。ナメワッカ分岐でアイゼンピッケルに替えると、いよいよ日高の核心部が始まったという感じだ。春別岳(1855)は上手くトラバース出来そうなので捲いてしまった。新雪で岩が隠れてしまい、バランスを取るのが難しいが、そんなこと吹き飛ぶくらいの
美しさが広がっているので文句は言うまい。1917峰へも一気に上がったが、ここで一息入れるとどっと疲れが出てきてしまった。まぁ仕方ないね。たくさん写真を撮って先へ。この辺りで田辺さんからフライトしたとの連絡を頂く。11時前から30分ほど。すでに雪が悪くなってきてアイゼンが団子になったりもしたが、絶景を収めてもらえただろう。こんなに完璧な日はなかなかない。そんな日に空撮までしていただいて、僕は本当に幸せ者だ。カムエクは思っていたよりも遠く感じる。疲れのせいだろう。ガイド保険のTELが来ていて対応した後、いよいよPeakへ!快晴無風のカムエクに立っている。もう何度も登っているけれど、本当に何度来ても気持ちの良い山頂だ。コルへの下りは夏道が半分くらい見えていて、ときどき使いながら下る。岩の下りはザックが大きいと怖い。コルまで降り切ったところで超幸せそうなテントサイトを見つけてザックを下ろす。本当はピラミッドピークを越えようと思っていたのだけれどまぁいいか。テン場からはピラミッドピーク、1823峰、コイカクシュサツナイ岳、ヤオロマップ岳、1839峰、カムエク南西稜とこれでもかというほどの中部日高の霊峰が連なっている。こんなところに本当にテントを張って良かったのだろうか。幸せを噛み締める。この先は風の強い予報が続いているからこんなテン場はこれが最後かもしれない。テントにいる時間が好きだ。稜線を歩いているときももちろん気持ち良いのだけれど、歩いてきた、あるいはこれから歩く稜線を眺めながら飲む紅茶には適わないのではと思うほどだ。だからこそそれも含めて、今日は本当に幸せな1日だ。どうか明日も幸せでありますように。
4/20
晴れ 強風 2:50∼13:10
映えテン場の代償か、夜半から風が強まる。久しぶりのバサバサテン場に暗くなってからブロックを積みなおす。3時間くらい熟睡したところで風向きが変わったらしく、またバサバサと。眠れなくなってしまったので、まだ1時だが起きる。パッキングは慎重に。
まだ暗いうちからピラミッドピークを登る。雪が全くなく、ほぼ登山道を登った。少し残念。1807への下りは相変わらずおっかない。風もあり緊張する。昨年の陽希さん停滞イグルー地の雪量は少し少ないくらい。やはり残雪量というより融雪スピードか。この先も1737へは雪の足りない登り。ハイマツはバランスがとりづらい。1737から1823峰へは雪がばっちりあり歩きやすかった。コルまで降り切ったところでガス欠。今日分の行動食を食いきってしまった。コイカクまで雪の無い辛い登りが続く。風が強くハイマツと相まって消耗する。何度も休憩を挟んで、息絶え絶えでコイカクPeak。手前と勘違いしたが、本峰は奥だった。風がとにかく強いので、休憩ポイントを探すのにも苦労する。なんだか今日はとてもつらい。晴れてはいるんだけどなぁ。1839峰に励まされながら進むがコルでギブアップ。ヤオロまで行きたかったが体力が足りなかった。ぎりぎりで到着してもそこから風を避けられるテン場を見つけなければならないのはリスクが高いと判断した。1時間かけてテン場を作る。風を十分に凌げるか少し不安。
なんだか今日は辛かった。風と小雪に翻弄されてしまった。この先も風が強い予報が続いていて、南に進めば進むほど雪は少なくなってゆく。憂鬱だ。そして雪が無くなってきたことは、この旅も終わりが近づいてきていることを意味している。もう少しだけ雪よ続いてくれ。この旅を完結したいんだよ。風も本当にほどほどでお願いします。風に逆らって駆け登るほどの元気はもう僕にはなさそうだ。なんだか弱気になってきた。
4/21
晴れ 北ヘリ 予報より穏やか 4:25∼14:10
風下側は穏やかで良く眠れた。連日のヘッドランプ行動につかれたので明るくなってから出る。すぐに日の出。稜線に上がるとやはり風が強い。今日も気合が必要そうだ。今日も1839峰が美しい。今年の年末は39かな。ヤオロマップは意外と遠い。山頂は雪が無く看板が転がっていた。初めて見た。ビビっていた逆L字は雪庇がほとんど落ち切って、雪の締まった朝なのでとても歩きやすい。1599まで3hとみていたが2hで越えられた。その先も雪庇は残骸が少しあるだけで本当に危ないやつはもう落ちたようだ。この時期が良いと言われている理由が良く分かった。方角のせいか、尾根の角度の問題か、予報よりも風が弱い。嬉しい誤算だ。昨日より雪が残っていて尾根の東側を歩けていたのも大きかったと思う。ルベツネへの登りで今日もバテ始める。体力の限界が近づいてきているように感じる。急な登りをなんとか登り切ったらルベツネPeak。今度は奥と勘違いしていた。山頂は手前だった。眺めの良いPeakからはペテガリ岳がカッコよい。荘厳さというか風格というか、ルベツネがかわいそうになる。下りは雪が緩みズボズボ祭り。あぁ困った。疲れた体に、股まではまるのは心底メンタルをやられる。ペテガリの登りは緩んでいても素直で登りやすいのが助かる。立派な看板が遠くからも見え、頑張ろうと思えた。山頂からは南日高の峰々が一望できる。中日高を振り返ると、僕の頑張りを労うようにたくさんの山々が笑っているように見えた。下り15分くらい風下斜面を30分かけてテン場設営。それなりに快適そうだ。
今日、一気にペテガリを越えられたおかげで中日の終わりが見えてきた。それとともにこの旅の終わりも感じずにはいられない。南日を前に急速に雪融けが進み、山並みは一段と春らしくなってゆく。今日は道内で6∼7月並みの高温になったという。
まだ旅の終わりを寂しがる余裕はない。あともうなん頑張りくらいだろうか。まだ出来るだけ意識しないようにしているけれど、僕の春ももうすぐのところまで来ているんだろうな。
チョコを一片口に含み、なかなか冷めなくなったぬるい紅茶で流し込む。
4/22
晴れ→曇り→雨→晴れ→曇り 変わりやすい天気 4:50~14:00
たまに突風が吹く以外無風の不思議なテン場だった。昨日の疲れが残っているので、久しぶりに3時まで寝る。起きてからも何だか体が重く、ダラダラしてしまった。おかげで出発は5時前となり、すでに日が昇っていた。日の出より後に出るなんていつ振りだろう。心が弱くなってきているなぁ。
今日も気温が高く、なんと出発直後からズボズボ地獄が始まる。これはまずいなぁ。細いところもあるから、とアイゼンで粘ろうとするが、らちが明かないのでスノーシューにする。グズグズの水っぽい雪となり、靴はあっという間に濡れて、靴下もグショグショになる。まるで沢靴かというくらい水を含んでしまって相当不快だが、逆に靴ずれがましになった。どうにも体が重く、いつになく力が入らない。振り絞った力がグサグサ雪にいなされてしまうものだから、悪循環も甚だしい。
中の岳の手前のポコを登っただけで、ヘナヘナと座り込んでしまった。情けない。そのうちに山頂はガスに覆われ、早くも悪化し始める。どうにか休憩を繰り返しながら急斜面を登る。腐った雪よりも、ヤブに覆われた踏み跡の方が幾分歩きやすい。高山植物には悪いが、スノーシューの歯を引っかけてよじ登る。山頂からの眺めは悪かったが、下るとすぐにガスが途切れ始める。なので一時的な悪化かと思っていたが、小八剣の手前で小雨が降り始める。次第にパラパラと強まってきたので、あんまり装備を濡らすのも、と思い、フライを被って雨宿り。風がほとんど無いのがありがたい。フライの中で雨雲レーダーを確認すると、1時間ほどの弱い通り雨のようだ。防寒具を着直して耐える。気温も高くて良かった。まぁそのせいで雪ではなく雨なのだけれど。ようやく止んだので再出発。この休憩のおかげで少しだけ回復できた。小八剣も雪はなく、ツボ足にして危なっかしい踏み跡を辿る。西側に意外と明瞭な踏み跡があって助かった。
ニシュオマナイ岳に残り200mくらいで雪が増えてきて、スノーシューで登る。神威岳が山頂以外見えてきた。少し下ろしたところにテントを張る。平らなところがあったのでここにしたが、風の通り道でないか心配だ。頑張って掘り下げて、雪ブロックも積んで夜に備える。テントに入ると体が楽になる。もう、一晩寝たくらいでは回復できなくなってきたか。2月の出発前に、「山を日常にしたい」なんて言ったことが恥ずかしい。とても日常になどなっていない。山に浸る、夢のような時間なのに、下山後の快適な日常を夢見ている。
4/23
未明雨 朝回復 午後晴れ暴風 停滞 札幌桜開花!!
すぐ隣の尾根の向こう側では猛烈な風の音がする。テン場は良いところを選べたらしく、ほとんど風がない。夜中には雨が降り始め、1∼3時くらいは強まる時間もあった。夜中に雨が強まると、昨年の嫌な記憶がよみがえる。今回も風が強いところにテントを張っていたらひょっとしたら危なかったかもしれない。成長したのか、運が良かったのか。何はともあれ、このまま風向きが変わらないことを祈るのみだ。
雨は朝方まで降っていたが、明るくなって朝食を食べ終わったころには止んできた。昼前にはガスも少しずつ上がる。一方で風は依然としてものすごい音を上げていて、空港の窓の内からジェット機の出発を見送っているようだ。昨日積んだブロックは雨と高温でほとんど溶けて崩れてしまったが、そのせいで風が吹き込む様子はない。昼を過ぎるとさらに高曇りとなり、神威岳、ソエマツ岳の山頂が姿を現してくれた。この稜線を眺めているとあの日のことを思い出さずにはいられない。あれ以降、どうすれば良かったのか何度も考えてきた。あの、ポールの折れる音、雨が吹き込んでくる音、風に虚しく煽られる弱弱しいテントの音を今でも忘れない。
無様な敗退をして札幌に帰った後、ワンゲル時代の先輩が一冊の本を薦めてくれた。『世界最悪の旅』チェリー=ガラード著、加納一郎訳。加納氏は北大山スキー部OBだそうだ。南極点初到達を争う、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンセン隊。スコット隊が南極に着いた時にはアムンセンの跡があった。過酷な進軍の後、さらに厳しい帰路で一人また一人と亡くなり、英国紳士の誇り高き最期には思わずしびれた。書きたいことはたくさんあるが、何より読後に感じたことは、自分の失敗などなんとちっぽけなものか、ということだった。五体満足で、迎えに来てくれる人がいて…。つくづく僕は恵まれていて、甘やかされているかが良く分かる。この本のおかげであっという間に切り替えることが出来た。
あの稜線に明日戻るのだ。そこで僕は何を感じるのだろう。大して何も感じないのかもしれない。リベンジという感覚も特にない。神威は、ソエマツは昨年と変わらずカッコいいままだ。明日はお世話になります。お手柔らかにお願いします。
4/24
晴れ 強風 尾根の西側20m/s 東側0~5m/s 3:45~14:15
昨日の夕方から見事な夕焼け、晴れとなる。停滞あるあるになった、夜眠れないやつと、放射冷却がセットになって23時に目が覚めてしまった。1時間くらい、ガスをつけたり紅茶を飲んだりしてポカポカになって寝る。これで2時まで再び眠れた。
ちなみに、これまで一度も触れてこなかったが、極度の頻尿になってしまっているので夜中に毎日2から3回小便をする。19時に寝ると大体20時半、22時、23時半と1時間半間隔で波が来る。そしてこれも書いてこなかったが、テントの中でジェットボイル(食事と兼用)に小便をして、テント本体とフライのすき間に流す。これで天気の悪い日や寒い夜もシュラフに足を入れたまま小便を済ませられる。食器と兼用なのはご愛嬌。取る水分量を減らせば尿も減るけれど、体が回復しづらくなるし、つりやすくなるのでオススメしない。これまでの平均で、食事で1.2~1.5L、紅茶やスープで2~2.5L、1日で3~4Lくらいは飲んでいると思う。そんな訳で今朝も食後の紅茶を600mLくらい飲み干す。本当は砂糖たっぷりスキムミルク盛り盛りが好きなのだけれど、残量が心もとなくなってきたから節約気味だ。
日の出直前の神威とソエマツは兄弟のようだ。美しい。今日はばっちり冷えているので、雪が締まって歩きやすい。気分良く神威ピーク。ここで何を思うだろうと考えていたが、特に感慨は無かった。とっとと先へ。靴幅山へも自分の記憶よりも歩きやすい。山頂直下の靴幅リッジは雪は皆無でただのやせたヤブ尾根だった。ちなみにカメラを回したつもりが録画ボタンを押し忘れていた。まぁそのお陰で昨年のやらかしテン場は撮れたから良しとする。やらかしテン場もダセーなって感じ。もっと下ろせば良かったし、場所も良くはないけどテントの張り方の問題だっただろうと思った。ソエマツは登り切ったと思ってからが長い。雪もないし。ピリカへも気分良く進んでいたが、11時で雪がout。ペースが半減してしまった。ズボズボ地獄を乗り越えて、直下の斜面はカリカリ。三山を一気越えできて一安心。
今日も結局疲れ切ってしまった。風が強いんだよ。頼むよほんと。明日はトヨニ、野塚越え、あわよくば双子も。荷が減ってきたのは嬉しいけれど、行動食が足りるが少し不安。
4/25
晴れ 風は西側で少し強いがぬるい 4:00~14:20
今日は空気がぬるい。これは雪もダメそうだなと思いながらもアイゼンを履く。トヨニ岳までアイゼンで行きたかったのだが、最初からズボズボ。諦めてスノーシューにする。スノーシューで歩ける尾根の太さになったことに、核心部を抜けたことを実感する。アップダウンもそれほど大きくないはずなのだけれど、体が重くペースが上がらない。もうザックの重量は言い訳にならないので、疲労以外の何物でもないだろう。午後ならともかく、朝からとは…。けれどよく考えてみると、停滞明けで頑張った日の翌日(停滞の2日後)は決まって体が重い。その法則でいくと、明日にはまた楽になるか。重い体にムチを打ち、ゆっくりと一定のリズムを意識して、我慢の進行が続いた。トヨニ北峰を過ぎると下り基調となり、この体でも何とかペースを維持できる。そのうちに雪が途切れて、西側の踏み跡をツボで下りていく。比較的明瞭な跡のお陰でペースを取り戻して、少し楽になってきた。野塚岳へも素直が続いてきて、易しい稜線に見守られ着実に進むことができた。東峰への登りは全て草付きの上を歩く。もう雪を歩くより進みやすくなってしまった。本当に、こんなに南まで来ているんだと感慨深くなる。野塚岳からの下りも歩きやすい踏み跡だが、双子山への登りではハイマツやカンバが被ってくるので疲れる。しかし総じて、危惧していたほどではないので安心した。双子山の双子のコルでテントを張る。少し風はあるが、今夜の予報なら大丈夫だろう。
テントに入って、ここ数日考えていたことをサポートしてもらっている人々へ連絡する。分水嶺は明日の楽古岳山頂までとし、楽古山荘へと下山することに決めた。決めた要因には、体力や気力がもう十分に残っていないことや、残り日数の少なさに対しての先の天候の予報の悪さ、そして残雪不足による飲み水が確保できなくなる(テン場も)問題など様々なことがあった。けれど一番大きな要因は、すでに山頂部が黒い楽古岳の先の、さらに標高が低く雪の無いヤブの稜線にときめきを感じられず、楽しくないだろうと思ったからだ。明日、本当に楽古岳まで稜線を縦走できたなら、それ以上思い残すことは何もないだろう。その先は道路を歩いて襟裳岬を目指すことになるが、この判断通りに行動できれば、分水嶺縦断はほぼ完遂したと言って良いだろうと思っている。なかなか本当の意味で納得することは難しいことが多いけれど、この判断に関しては自信を持って納得したと言える。
明日も精一杯、稜線歩きを楽しもう。楽古岳が、楽古山荘が楽しみだ。夜、田辺さんから連絡をいただき、プレスリリースの提案をいただく。その後、森下さんとも連絡をとり、情報発信役兼連絡窓口を引き受けてくださることになった。ありがとうございます。
4/26
朝 晴れ 昼前にガス 夕方から雨 4:00~14:00
今日で稜線を下りるのだと思うと名残惜しい朝。パッキングも随分と楽になった。ストック、ピッケル、スノーシュー以外は全てザックの中に納まった。双子山の登りから十勝岳にかけてはほとんど踏み跡を辿る。雪のない日高って意外と踏み跡があるんだなぁ、と感心してしまった。まぁそれも人気のある楽古岳までだろう。今日は予想通り、比較的体が軽い。とはいえ疲労は半端ではないので、ペースが上がる訳ではない。十勝岳から大きく下り、楽古岳へとひた登る。途中からヒグマのトレースと合流する。歩幅はとても大きいが歩きやすくてずっと同じラインを進んだ。山頂直下で雪は途切れて、代わりに登山道のような道が出てきてPeakまで。30分前まで晴れていたが、登り切る直前でガスに覆われてしまった。振り返っても進んできた稜線は見えないけれど、辿れば遥か600卆茲僚|岬まで、確かに僕の足跡が続いているんだ。なんだかちょっぴり誇らしい気持ちになる。晴れないかなぁと、1時間くらい山頂にいたら、1度だけトヨニ、ピリカ、神威まで見えた。カメラも出せないくらいの一瞬だったけど、僕にはそれで十分だった。ありがとう。
肩までの下りは雪が中途半端に残ってダルい。肩からはザクザクと1000mまで下り、あとは夏道に合流した。あまりのポカポカ陽気に、小一時間、ウトウトとまどろんでしまった。心配していた融雪増水は大したことはなく、5~6回の渡渉で楽古山荘へ。本当に立派な山荘だ。
悪天前日の平日ということで誰も来ないだろうとたかをくくっていたら、3名が泊まるようで16時に到着。とても良い人たちで一安心。宴会が始まり、もはや生き地獄である。ビールや鹿肉、アイヌネギなどお誘いいただく。ビールには思わず一度受け取ってしまったが、歯止めがきかなくなると思い、自力食料のみで縦走している旨を話し、ビールもお返しした。ノリが悪くて申し訳ありません。その後も優しく接してくださり、和やかな雰囲気に心が落ち着く。
外は霧雨となったが、立派な山荘でそのことに気づかないほど快適だ。わずかなナッツを今日で食べ切ってしまった。
4/27
雨 暴風 昼に上がる 午後さらに暴風 小屋停滞
朝、雨と風の音で目が覚める。大荒れだ。だからこそ小屋がありがたい。稜線にいたらどうなっていただろうと思うとゾッとする。昨年のような悪夢になっただろうか。それとも成長し、上手く切り抜けられるのだろうか。
お三方が撤収し始めたころ、地元の方が小屋へ。こちらもとっても良い方だった。山屋はとても温かい。
一人になり、のんびりと体を休める。風雨が強いので気兼ねなく停滞出来る。お迎え隊に持ってきてほしいものリスト、帰ったらやりたいことリスト、帰ったら食べたいものリスト、下山報告連絡リスト、質問想定集を作るなどして過ごす。
2か月、とても長かった。とても充実していた。こんなにも濃い2か月は今後の人生にももう訪れないかもしれない。辛いことが90%以上だったけれど、残りの10%が補って余って溢れるほどに幸せに満ち足りていた。それと同時にとても残念なことに、すでに前半部の感動は早くも薄れ始めている。あの時の感情をあの時のまま閉じ込めておくことはどうしても出来ないらしい。どれだけ写真を撮ってもどれだけ日記に言葉を紡いでも表現しきれないこの貴重な時間を可能な限り胸に刻みたい。次第に薄れゆく儚いものだからこそ、価値があるのだろう。今まさに僕はかけがえのない瞬間を生きている。きっと明日には忘れてしまうだろうけれど、今はそれすらも愛おしい。
食料がもう心もとない。この食料が尽きれば僕は生きられない。その前に里に降りるしかない。何だかもう終わったような気でいるけれど、まだ50劼世60劼世道を歩かなければ。旅を想いながら歩くにはちょうど良い距離だろうか。いや、少し長すぎるか。
辺りが暗くなってきた。今日という日が終わるのがとても寂しい。明日、街に降りれば僕はこの山旅から現実に戻る。そうすればもう夢の世界には戻れない。幸せだった夢がもうすぐ終わろうとしている。昨日まで不安に押しつぶされそうになりながら必死で稜線を進んでいたことが遠い昔のようだ。
気持ちを落ち着かせようと余ったガスを贅沢に使ってアツアツの紅茶を沸かす。猫舌だから10分くらい飲めなかった。ストーブで小屋はポカポカだからなかなか冷めない。十分冷めてから大きく一回、口に含む。毎日当たり前のように飲んでいた紅茶も明日で最後かもしれない。そう思って飲み干すのをためらっていたら気づいたら冷たくなっていた。
今夜は上手く眠れないかもしれない。
4/28
晴れ 風あり 5:50∼16:30
世話になった小屋を後にする。
小屋を出たらこの旅が終わってしまうような気がしていたけれど、楽古岳から下りてきたときにすでに旅は終わっていたらしい。
でも心配はいらない。終わりは次の旅の始まりだ。岬ではみんなが僕の帰りを待っている。
道端のタンポポがえりもの風に揺られていた。
4/29
晴れ 岬はひんやり 4:30∼13:57
襟裳岬では大勢の仲間が温かく迎えてくれた。優子がたくさんの方々に声を掛けてくれたのだけれど、その輪の中にサプライズで大阪から母親まで来ていた。ビビった。
森進一は「襟裳の春は何もない春だ」と歌ったけれど、僕にとってはたくさんの笑顔咲く春だった。きっと僕は今、誰よりも幸せ者です。
応援してくださった皆様、気にかけてくださった皆様、63日間、本当にありがとうございました。
完
いくつかのメディアに取り上げていただきました!
ありがたい限りです。ご興味を持っていただけた方はぜひご覧ください。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c984219ee9dc43214cd82b796bc7b2bc584340c6
↑速報記事をガイドの先輩でもある、プロスキーヤーの藤川健さんに執筆いただきました!(2022.4.29)
https://youtu.be/ZWXwyWlFZV0
↑ノースメディアの佐藤カメラマンに、撮っていただいた映像を短い動画にまとめていただきました!
襟裳岬到着の臨場感が伝わるかと思います!
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/675862
↑北海道新聞の朝刊に掲載いただきました!!(2022.4.30)
雪 雲は薄め? 風あり 小屋停滞 谷の中寒気流入
今日は年度初めらしい。それ自体がエイプリルフールみたいだ。電波が入らないので誰にも嘘はつけない。いや、じぶんになら可能か…?
今日は停滞と決め込んでいたので明るくなってから起きる。二階から少し外を覗くと吹雪いている。これはツイているということで良いのだろうか。小屋に着いた日の翌日が晴れ予報だとおちおち停滞もしていられないだろうが、ここまでピヤシリ、天塩、ヒサゴと見事に翌日は悪天候だ。先の予報を見て行動予定を決めるから必ずしも偶然というわけではないが、流れは良いと言っていい気がする。
そういえばここまで当たり前だった甲子園も相撲も気づけば終わってしまった。昼過ぎ、暇すぎて電波を取りに少しだけ散歩。雪は10僂らい積もっていた。今朝まで物凄く気分が良かったはずなのに、小屋が風できしむたび、気持ちが落ち込んでくる。そしてここに来て食欲が抑えられなくなってきた。天塩のデポで回収した4/2まで分の行動食を食べきってしまった。主食は死守しているがこれも時間の問題かもしれない。
なぜここに来てなのかはよく分からない。1ヶ月を越えてごまかしが利かなくなってきたか、標高が高い分気温が低く基礎消費カロリーが増えてきたか。いずれにしても食料事情は精神面に及ぼす影響はとてつもなく大きい。腹が減っているというだけですべてが不安になり余裕がなくなる。どうすればよいのかは分からない…。ガスと紅茶だけは十分あるから砂糖を節約して水分でごまかすか…。
急に先行きが不安になってきた。座るとお尻が痛い。お尻の肉も減るのだろうか。明日は晴れてくれたらいいなぁ。風が弱ければいいなぁ。こういう時はとことんネガティブになるのも一つの手か。
札幌の桜は4/26開花の予報らしい。そのとき僕はどこに…。
4/2
吹雪 ホワイトアウト 朝出発するも引き返し 停滞 高気圧の張り出し…
風の音がするが、予定通り5時過ぎに小屋を出る。しかし、15分も歩きヒサゴ沼のふちまで来ると完全にホワイトアウトしてしまった。振り返ると今さっきのトレースが見る見るうちに消え失せ、恐ろしくなってしまった。このまま進んでは間違いなく遭難してしまうので、迷うことなく小屋へ引き返す。6時前に戻りラジオを付けると「本州方面から高気圧が張り出し、全道的に日差しに恵まれるでしょう。降水確率は10%未満です…。」…。ここは北海道ではないのだろうか。もうエイプリルフールは終わったはずだけれど…。
ガス缶には比較的余裕があるのが心の支えだ。とは言っても、暖房にずっと使うような量があるはずもなく、余分な食料もないので、シュラフに包まってただ時が過ぎるのをひたすらにじっと待つ。寒い。
昼になっても風は止まない。だが、ラジオではしきりに道内の好天を告げている。彼らが言うには明日も晴れるらしいが期待してよいのか判断できない。小屋に入る前は4/4は良さそうだったが…。天気がどうなるかも分からないのに地図を広げ皮算用を繰り返す。4/8に雨の予報で週末は荒天となるらしいが、4/7までに佐幌山荘に着くことなど可能なのだろうか。あぁ、考えても仕方がない。今日はもう停滞で仕方がないが、明日も停滞だと一層厳しくなるなぁ、と思わずにはいられないのだった。
夕方になっても風雪は回復の兆しを一切見せず、むしろ勢いを増すばかりだ。食べ物が、水が、ストーブがあればいくらでも待つのだけれど。なけなしの柿ピーナッツを30秒に1粒ペースで口に運ぶ。何かしていないと落ち着かない。明日でこの小屋にいるのも4日目だ。斜面を5分も登れば電波が入るのだけれど、この風雪ではそれも一苦労どころではない。この絶妙に世間から“のけもの”にされている感覚はなんだ。手が届きそうでギリギリ届かない“日常”。世の中から隔絶されて、初めて分かる俗世へ依存する哀れな僕。やはり山だけでは生きられそうにない。かと言って勇んで社会の歯車になることを嫌い、山の道へ迷い込んだ僕。光はどこにあるのか。太陽よ、顔を見せてくれ。
単独行は響きも中身もカッコいいけれど、その分過酷で辛い。僕はきっと、誰かと行く山の方が好きだ。じゃあなぜ独りで山へ向かうのか。やっぱり強くなりたいのだ。ただ漠然と強い山屋になりたいのだ。この世界で生き抜くだけの力と自信が欲しいのだ。なのに、山に深く分け入るほどに自分の弱さばかりが見えてくる。山は、特別なふるまいをしてるわけではない。至っていつも通りだ。僕だって…。僕だって…。
もう1ヶ月以上、毎日のルーティーンとなっている、雪から水を作り茶を沸かす。一定の作業を無意識に繰り返すことは精神衛生上効果があるようだ。温かい液体が冷え切った五臓六腑に染み渡る。柿ピーは気づけば半袋無くなってしまった。そろそろ腹をくくるしかなさそうか。
4/3
地吹雪 降雪はなさそう ホワイトアウト 夕方青空
一応4時に起きる。風の音が物凄いのでシュラフから出ることもなくもう一度寝る。気づいたら7時だった。慌てて外を覗くが、何も変わっていない。絶望感に打ちひしがれる。今日もやはり厳しそうだ。ボールペンの黒が無くなってしまったのでここからは青で書くことにする。といっても書くことが無い。やるべきこともない。ただ無為に時間が過ぎるのを願うことしかない。不安だ。不安だ。
昼になって、明日の予報を確認するため、いつもの散歩道を登る。今日の夕方ごろから回復しそうだ!歓喜に舞い上がる!好天は明日明後日と続いて、4/6からまた崩れるようだ。この2日間に賭けるしかない。明日は日の出前に出よう。どこまで行けるだろう。また、皮算用が始まる。だが、今日は昨日より気持ちが明るい。
15時、依然風は強く地吹雪が物凄いが、上空には青空が!僕の心も晴れ渡る。まだ風の音が轟いている。その勢いで昨日の降雪も吹き飛ばしてくれ!
快晴のトムラウシ山を心に描く。この停滞明けの大雪山はどれほど美しいのだろう。ひょっとしたら直視できないかもしれない。それでも良い。早く明日になってほしい。
もう昨日の感情など嘘のように、気持ちが前向きになっている。あぁなんて単純な…。もう言うのは止そう。不安が無いと言えば嘘になる。だけれど、そんなもの忘れてしまうくらいに明日が待ち遠しい。明日は今の僕に出せる精一杯を目指そう。山に正面から、素直に向き合えることが幸せだ。この感覚はきっと、家でぬくぬくと悪天をやり過ごし、晴れた日だけ山に登ることでは決して得られない貴重で尊い経験だ。そんな他の誰にもまねできないような山登りが出来つつあることを、光栄で幸運で誇りに思う。ここまでずっと、いつまでにどこに辿り着きたいという思いが常に頭の片隅に付きまとっていたが、もうそんなことはどうでも良くなってきた。ただひたすらに、美しい峰々を闊歩したい、その想いだけだ。今ソワソワと地図を広げている皮算用も、自分の欲に忠実に、ワクワクが収まりきらないだけなのだ。これまでの皮算用とはわけが違う。
この数日とこの先数日を経た先には一皮むけた自分が待っている気がする。楽しみだ。今日は上手く眠れないかもしれない。原因は昼寝ではない。舞い上がってしょうもないミスをするのだけは気を付けよう。あぁ、あぁ、今のこの気持ちを十分に言葉にすることが出来ない。
4/4
終日快晴 そよ風 3:30∼14:45
寝ている間、風の音がするが、できるだけ気にしないようにする。2時に起きると風は少しおさまった気がする。再パッキングして4日間お世話になった小屋を後にする。暗い中でも晴れていることが良く分かる。うっすらと地形が見えるので迷う心配はなさそうだ。北沼手前で空が白み始める。東の空が段々と紅に染まり、石狩稜線のシルエットが浮かび上がる。一方、西の空は星がまだ瞬いている。なんて贅沢な時間だろう。やがて音更山と石狩岳山頂の間から太陽がのぞき、北沼のシュカブラをピンク色に染めてゆく。あぁなんて…。筆舌尽くし難い。迂回ルートで南沼キャンプ指定地へ出て、空身でトムラウシ山頂へ。冷蔵庫大のシュカブラをぶっ壊して山頂標識を出す。幸せってこういうことを言うんだよ。
快調に三川台へ。全て見渡せるので、豪快にショートカットしてツリガネ方面へ。快速飛ばしてコスマヌプリも越えて、オプタテシケ直下へ。まだ10時半だ。ここからは600mの急な直登。さすがにペースが落ちて、足も疲れてきた。12:15山頂。直前にPeakに人を見たが、先に降りてしまった。Peakからは大雪山が全て見える。やっぱこれだよ。下ホロが少し近く感じた。
この先もアイゼンが小気味よく効く快適な稜線歩きで胸躍る。さすがに疲れてきたころに美瑛富士小屋。屋根以外全て埋まっている。知ってた。今日の天気で小屋に泊まる必要はないので写真撮って先へ。 美瑛富士トラバースの途中で大胆にもテントを張る。風が少しだけ不安…笑
本当に気分のよい一日だった。明日もこの調子で行きたいところだ。こういう日は何も思い悩むことがない。こういう生き方がしたい。幸せ、飯が美味い、ピーナッツが美味い、紅茶が美味い。
青空がオレンジ色に変わってきた。今日が終わってしまうんだな。でもやり残したことはない。今日は良く眠れそうだ。
4/5
晴れ 朝は少しもや 日中は暖かい 5:30~13:40
心配していた風は大したことなかったが、なぜか全く眠れなかった。今思えば浮かれていたのかもしれない。日の出前のパッキング中に事件は起きた。テントからポールを抜き、3秒ほど目を離した隙にテントポートは忽然と視界から消えてしまった。信じられなかったが、よく見るとほんのうっすらと雪面にポールが滑った跡が残っていた。…。我を忘れて、気づいたらカリッカリの斜面を駆け下りていた。カリカリの斜面は標高差500m以上も続いており、とても見つかる気はしなかった。失意の中500m登り返してテン場に戻り、現状を確認する。無くなったのはテントポール1本。風のない樹林帯であればポール1本と張り綱とスキー2本で何とか立てられると思う。今日中に下ホロを越えられれば、佐幌山荘までは何とか持ちこたえられると考える。偶然にも今日、優子に佐幌山荘へのサポートデポをお願いしていて、昨年まで使っていたストック2本などの他に、予備のポールも含まれていた。ストックは、今のこの不安定なものではやはり日高に行くのは恐いと思ってしまったこと、同じく、大分水点のテン場で少し曲がってしまったテントポールのまま日高に行きたくないと思って頼んだものだった。テントポールは曲がったところだけ交換するつもりだった。だからラッキー(なのか?)なことに佐幌までやり過ごせば何とかなる…。いよいよ泥臭い計画になってきてしまった。昨年と同じくらい天気が良いのに、いや、良いからかもしれないがルートのことをよく覚えていない。どうすればポール1本で佐幌に行けるかばかり考えていた。昨日の疲れから体が重い。ペースが一向に上がらない。下ホロ北コルで13:30。なんとか日没までには越えられるかもしれないが、この疲労とテント不備で無茶はすべきではないと判断し、ここまでとする。思った通り、ポール1本でとスキー2本でテントを立てられてホッとする。そういえばこのことを優子に伝えるのを忘れてしまった。GoProも回していない、ダメダメだ。何とかなりそうなので圏外だし事後報告ということにする。ごめんなさい。カメラは…、また後で回します。
明日の朝に下ホロを越えられるかが少し不安。でも何とか行くしかない。装備の不備がたくさん出てきてしまっていることも問題だが、体が疲れ切っていることの方が深刻かもしれない。午後に、フラついてアイゼンでオーバーズボンを盛大に破いてしまった。集中力が全体的に足りなくなってきている。
山荘まで辿り着けたら余りの日程は天候によらず休養停滞としよう。ひょっとしたらもっと休養が必要かもしれない。まずは山荘に無事に行かなくては。それから装備も直さなくては。あぁ、サポートなし、なんて言っていた頃が懐かしい…。
4/6
朝 曇り 昼前から霧雨 サハリンからの寒冷前線通過 5:20~10:45
樹林に守られた穏やかな朝。風の音はしているが、今日は良く眠れたので気分は良い。朝は思っていたほど天候も悪化せず(予報通り)、ぶ厚い雲は覆っているがまだ持っている。斜面は朝だと言うのに、あきれるほどズボズボだ。中途半端に表面だけクラストしていて、とても登りづらい。シーアイゼンの調子も悪いのでシートラアイゼンストック。イライラする登りが続く。ハイマツが嫌いになりそうだ。残り標高100mくらいでようやく少しマシになる。この頃にはガスがわいてきて、登るにつれてガスの中に吸い込まれていくようだ。風は予報通り南西向きらしく、さほど気にならないのが有難い。山頂直下で風が出るが想定していたほど悪化しなかった。山頂はガスガスだったが、下りようとすると晴れてくれた。嬉しい。これにて石狩山地ラストピーク。お世話になりました。
下りは割と雪が豊富で、サクサク下りられる。こっちを登りたかった。樹林帯に入ってスキーに替え、一気に下る。ガスの下に出たと思ったら下ホロPeakも晴れていた。まだ8時だけれど、もう体がダルい。やはりこの疲労は深刻だ。心に体がついてこないなんて身に覚えがない。
この先はうっそうとした森の中を進む。目標物がなく、どこにいるのかよく分からない。巨木だらけで見通せないのでコンパス頼りだ。時折出てくる沢地形を避けるように進む。分水嶺を進みたいのだから、沢を避ければ良いのだ。言葉で言うのは容易いが…。
12時頃から雨の予報だったが、10時過ぎにはポツリと来る。まだもう少し進みたいところだが、体も疲れているし、明日の自分に期待してもう30分くらい頑張ってテントを張る。テントを張り終えると、パラパラと降ってきた。今日もポールは1本だ。
明日の行程が長く残ってしまったが、何とか佐幌山荘まで行きたいところ。何だかんだあったけれど、ここまで来ることができた。途方もない長距離も40日を積み重ねればこれだけ進めるんだなぁ。まだ着いてもいないが、感慨に更ける。振り返れば、石狩山地は苦難の連続だった。よく乗り越えられたと思う。その分色々とガタはきているけれど、充実感もひとしおだ。
まだ長大なラスボスが残っている。この先こそ、僕の本当の実力と粘り強さが試されるだろう。乗り越えた先には何が見えるのだろう。今は期待より不安の方が圧倒的に大きい。
4/7
晴れ 高曇り ここ数日の中では風が冷たい 5:30〜12:30
3:30に目覚ましをかけたが、4:00まで二度寝してしまった。段々意志が弱くなってきている?ダラダラとパッキングして出発。雪はカリッと締まっていて、スキーが快調に滑る。昨日は12時に霧雨が降った後はずっと晴れていたので、やっぱりもう少し進むべきだったか、と思っていたがこの調子なら問題なさそうだ。森は意外と疎らで太陽が明るい。木もれ日に照らされながら気分よく。昨日の区間よりは地形が分かるがやはり難しい。一度沢型の反対側に入りそうになったが、間一髪で気づくことができた。気づくと周囲はモービルトレースだらけになっていて、もしやと思ったらスマホの電波も入った。深い森の感じは無くなってしまったなぁと思っていると、見たくない足跡が。大きいもののそばを小さいのが添うように歩いている。もう起きてきているんだ。小さい方も少し大きかったので、今年生まれた子グマではなく1歳かなという印象。もう春なんだ。そういえば標高が1000mを下回ったのは、2週間前の北見峠以来らしい。石狩山地の雪の台地にいる間にも、季節は着実に進んでいる。稚空知山への登りもカリカリなので、スキーで行けるか?と思っていたが、なんとかシールの効く斜面で助かる。その後もスキー向きの尾根が続いていて、疲れた体に優しい。嬉しい。稚空知山10時、佐幌山荘14時が目標だったが、ゆっくり休憩しながらでも時間を巻くことができた。こんな誤算はいつ振りだ。
佐幌山荘が見えて思わず頬が緩む。本当に辿り着いたんだ。今年2月にデポしに来たとき、いや、昨年のデポで初めて来たときには、この山荘に着く想像ができなかった。人の力って意外とすごいぞ。オレ、中々やるじゃん。と誇らしくなる。色々とボロボロだし、運が良かった部分も多くある。それでも昨年の惨敗に懲りずに翌年再チャレンジしたことで呼び込めた運なのかもしれないと思うのだ。
山荘には夫婦2人組の登山者が休んでいた。冒険ものの番組がお好きらしい。ちゃっかり宣伝しておいた。写真も撮らせていただいた。思えば、山で人と話すのは初日のモービル軍団以来40日振りだ。何だかとても嬉しかった。人の心に飢えている。そう感じる。
快適な山荘だ。何よりストーブがあり、暖かいのが良い。6割くらい雪で覆われているので中は薄暗いが、前の人が窓を1つ掘り出してくれているので十分だ。小屋ノートを見ると、先月ストーブの煙突も修理されたらしい。つくづく人の温かさを感じる。単独だけど孤独じゃない。これはすごい事実だ。独りでいても、孤独でさえなければ不安にならなくて済む。これ以上に幸せなことはない。
薄々気づいていたけれど、体から獣のような臭いがする。帽子を脱ぐと髪はベタベタだ。顔をこするとごっそりとアカがとれる。これから日高に行こうとしているのだから、我ながら呆れてしまう。体のことも、先の天気も、心配事は尽きないけれど、とりあえずしっかり充電することに専念しよう。明日のことは明日考える。先輩の石橋仁さんも言っていた。「今日できることは明日もできる!」
あー、まずい事態が起きてしまった。デポバッグがかじり開けられてしまったようで、チョコや柿ピー、フルグラが散乱している。硬いバッグを選んだので大丈夫だと思っていたのだけれど…。昨年も大丈夫だったのだけれど。色んなことが起きるなぁ。本当に。心も体も休まる暇がない。仕方がないのでネズミ被害状況を確認する。
ストックの破損×2といい、湿雪でズブ濡れになったときといい、暴風雪で小屋に閉じ込められても、テントポールが1本無くなっても、山荘のデポ食料が食い散らかされても…。
その瞬間は本当に血の気が引いたように頭が真っ白になり、すぐには上手く整理できないのだけれど、1〜2時間経てばまぁ何とかするしかないと思えるようになってきている。なってきているというよりも、ならざるを得ないだけかもしれないけれど。
結局のところ、一瞬で窮地に陥るような大ミスをしない限り死ぬことは無い(多少の例外はある)。それは、連絡すれば誰かが助けてくれる状況にあるという意識が少なからずある気がしてきた。きっと実際のサポートの有無によらず、その意識を持てることがサポートなんだ。その意味でこの計画は最初からノンサポではない。角幡唯介さんが小屋のデポを白熊に荒らされ、ブリザードに閉じ込められ、連れていた犬(ウヤミリック!)を殺して食う覚悟までしたあのハプニング、あれこそノンサポートの恐ろしさだ。どこまで本当に覚悟したのかは知らないけれど。
その意味で今の僕は甘っちょろい。せいぜいねずみが這いまわる音で寝られないくらいでグダグダぬかすな。大丈夫。これ以上ここから悪くなることはなさそうだ。なったとしても多分死にはしない。
とりあえず、どうしてもかじられると困る道具と食料はザックに入れて外に出したり天井に吊るしたりしてみた。ラジオを付けるとねずみは近づいてこれないらしい。ラジオを盾に部屋の隅で眠れるかな。
そういえば学生時代の冬合宿でも雪に埋めていたご馳走をキツネに食われたなぁ…。トホホ…。
4/8
朝は吹雪 昼から晴れ 風あり 小屋停滞
かわいいねずちゃんがひっきりなしに這いずり回り、ガリガリと何かをかじっている音で何とも落ち着かない夜を過ごす。うとうとすると音がして起こされ、また荒らされるんじゃないかと思うとおちおち寝てもいられない。仕方ないので寝るのは諦めて食料の整理を続けたり、明日以降の作戦を考えたり。ラジオを付けると近づいて来なくなる気もするが、僕がねずみの気配に気づけなくなっただけかもしれない。日も跨いでしばらくするとどうしても起きていられなくなり、気づいたらラジオを付けたまま寝落ちしていた。
明るくなるとやはり活動はしないらしく、こちらも心中穏やかに過ごすことが出来る。各所へ今後の動きを連絡する。明日、不足する食料を優子が補充しに上がってきてくれることになった。田辺さんと補助で梶浦君も来てくれるようだ。つくづく人に恵まれている。ありがたい。
連絡を一通り済ませるともう一度寝る。今度は心配なく熟睡することが出来た。昼飯を食ってまた長い昼寝。気づいたら日が暮れていた。
さぁ、今日も夜がやってきた。このために昼に寝だめしておいたのだ。日記を書いたり、装備の修理や整理をしたり、その間もガサゴソとデポバックに出入りする音が響く。平気で僕の目の前を走り回り、ごちそうさまと言わんばかりに貪っている。本当になめていやがる。捕まえたらブチ○してやる。
盛大に破いてしまったオーバーズボンを針と糸で縫い合わせる。1時間くらいかかってしまったが、何もやることがないよりは心をごまかせる。さすがの不器用さを発揮し、何とも不格好だが、いつ振りか分からない裁縫にしてはよくできました。
ねずちゃんは相変わらずデポバックを貪っているが、整理してバッグを入り口側に置いたので、奥にいる僕の方には来る理由がなくなったようだ。デポバッグが囮となってしまいなんとも悔しいが、昨日よりは落ち着いて過ごせそうで安心する。
明日は大勢(3人)で来てくれそうなので寝ておきたいところだが、こういうときに限って上手く眠れない。今日は完全に昼寝のせいだ。日高のための英気を養う停滞のはずだったけれど、なんだかこれは休まっているのだろうか。まぁ精神面はともかく、身体面では休養にはなっているか。
思い出したように全身をマッサージする。腰とふくらはぎがパンパンに張っていた。
4/9
風あり 晴れ 夜に雨 小屋停滞
しっかり寝たかったのだが3時に目が覚める。やつの音だ。仕方ないので暗いうちから朝飯を食らう。明るくなるころに活動が大人しくなって、それに合わせて僕も眠ってしまった。
ガタゴト音で目が覚める。あいつにしては音が大きい、と寝ぼけていたら優子だった。失礼。ありがとうございます。補充食料を受け取り、たわいない話をする。そういうとそっけないけれど、とても和む時間だった。田辺さんに「残った分で行けるところまでとは考えなかったのか」と話を振られる。あまりに自分の想定に無かったせいで、答えに窮してしまった。確かにそういう考え方もあって良いはずだ。少なくともノンサポを謳うのならばこの考え方の方が自然だ。実際、石北峠を始め、サポートを受けずにここまで来ていたらその考えに至ったかもしれない。けれどその段階はとうに過ぎてしまった。何よりも
僕はもうサポートを受けすぎてしまっている。石北での修理はもちろんのこと、いつかの日記にも書いた、小屋をたくさん利用していること、林道に逃げていること、モービルトレース、スキートレースetc…。それに多くの区間でスマホの電波が入ることも精神面でとてつもないサポートだと言って間違いない。だってみんな今日僕がどこで寝ているのかだいたい分かっているのだ。この環境が絶たれたときに僕のメンタルが同様でいられる保証はない。加えて言えばスマホのバッテリーも然り。表向きは撮影用のバッテリー確保という名目でGoProのそれと一緒に交換しているけれど、やはり「足りなくなったら交換してもらえる」という心理的安心感は否めない。でもこれらを全てシャットアウト出来るほど僕は意志もこだわりも強く持てないのだ。何が正しいかは自分が納得することとほぼイコールに近いと思う。けれど、本当に自分が納得できているかは、正直なところ自分でも良く分からない。納得と妥協の壁は薄く、それでいてとても大きなものに感じられる。納得と言い訳して妥協を許していないか。自由とは自分に厳しくなくては成り立たない。
夕方までは晴れていたが、18時頃から雨となる。予報以上の雨は(今日は予報をよく見ていないけれど)昨年のトラウマがよみがえるので気分が悪くなる。この何とも鬱屈とした気持ちごときれいに洗い流してくれないものか。
雨音と風音でやつらの動きが良く分からない。もうこの小屋では本当に快適には過ごすことが出来ないのだと悟る。一日早めて明日出発しようかと思うけれど、体の回復が最優先だ。なんたって僕は単純なので小屋を出ればきっと気分も晴れるはず。
4/10
明け方まで雨 朝から晴れ 今日も夕立 小屋停滞
夜は風雨が激しかったが、朝になると穏やかになった。日曜日だし、たくさん人が上がってきそうだ。そう思っていたが、昼に二組上がってきただけだった。他にも数組いたとは思うが、小屋には入ってこなかった。
いよいよ明日再開だ。いよいよ最終章だ。まだ最後というには長すぎる気もするけれど。体が回復しているのかよく分からない。楽になった気もするけれど、1日歩いたら元に戻る気もする。3日晴れて1日停滞なんて都合よくいかないかなぁ。
出発より重くなるだろうパッキングも不安だ。雨予報が続いているのも不安だ。不安を上げだしたらキリがない。けれど気持ちは高まってきている。晴れた日高を歩きたい。そう、晴れた日高を。
今さらだけれど、分水嶺って何なのだろう。この雪は日本海に…なんて思っていたけれど、よく考えたら見えている表面の雪は溶けて川に流れる前に蒸発して雲になるんじゃないだろうか。実はそのまま、またここに雪として積もったりして。それはそれで面白いしロマンがあるなぁ。まぁこの先は厳密には右も左も太平洋になるのだけれど。
いよいよ明日から3週間か。どんな結末になるのだろう。ワクワクする余裕はないなぁ。柄にもなく緊張している。日高ってやっぱりそういう場所だ。とは言っても最初の3日間くらいは易しいのだけれど。たっぷりの紅茶を飲みながらパッキングの確認をする。とは言ってもシュラフは仕舞えないからパッキング出来ないのだけれど。
そわそわする。そういえば3年前の出発前も、昨年の出発の前の日も。日高ってやっぱりそういう場所だ。
晴れてほしい。雨が降らないでほしい。風が弱くあってほしい。雪が締まっていてほしい。楽しく幸せな日高にしたい。そのためにはスパイスも必要か。いやきっと、僕は甘党。
これで日記は終わるつもりだったのだけれど、寝る前のラジオで衝撃を受ける。千葉ロッテの佐々木朗希投手が28年ぶりの完全試合を達成したという。しかも13者連続奪三振の日本記録(これまでは9者連続が最高。聞き間違いかと思った。)に19奪三振の日本タイ記録…。
すさまじい。圧倒的だ。やはり目指すべきはこういう境地だ。泥臭くても良いと言ったけれど、やっぱり出来るだけ上手く、スマートにやりたい。結果的に泥臭くなってしまうのと、最初から泥臭くても良いと思っているのとでは文字通り雲泥の差があるに違いない。装備の不備もなく、体調も万全で、事故無くケガ無く山から帰る。当然そこを目指すべきだ。僕は何か勘違いしていたのかもしれない。
さぁ、心は決まった。僕の山を表現しよう。日高さん、しばらくお邪魔します。お手柔らかにお願いします。
4/11
雲海。峠は霧雨のち晴れ 4:30∼14:00
3時に起きる。飯を食って、掃除をして、今計画最重量のパッキング。想像通りの重さ(推定45)だ。入りきらずはみ出してしまったが、なんとかなって一安心だ。4日間お世話になったネズミーランドを出る。
外は雲海になっていて気分よく出発。進む稜線以外雲の中に消えていて、なんとも夢のような風景だ。唯一、雲の上に出ている稜線をひた下る。峠の手前で雲の中に吸い込まれると霧雨が降っていた。うつつに引き戻されたように、田辺さん三好さんのもとへ。何度も来てくださり、本当にありがとうございます。別れの言葉は「襟裳で会いましょう。」良い響きだ。少し登るとまた雲の上に出る。朝のときほどの感動はもうなかった。
いよいよ日高が始まったわけだけれど、これまでの稜線とさして雰囲気が変わらないのでまだ実感がわかない。まあ、そのうち嫌でも緊張感が出てくるだろう。
今日はとても暖かい。むしろ暑い。札幌でも20℃、帯広では26℃、岩手では31℃を記録したらしい。5月末から6月並らしい。手袋はおろか、防寒具など一切必要ない。少し風があるのがありがたい。冬用登山靴は厳冬期でもいける靴だから、オーバースペックすぎて靴下がびしょびしょになってしまった。標高も低く、雪がつながっていないところも少しある。おまけに新狩勝トンネル付近には牧場があって、ポカポカ、ほのぼのといった幸せな時間が流れている。オダッシュ山の手前に14時前に着く。このまま頑張れば今日中に越えられないこともないが、まだこの先も長いし、無理するところでもないと思い、少し早いがテントを張る。
日没までののんびりと流れる時間が好きだ。ぼんやりと地図を眺め、明日の山々を妄想する。温かい紅茶をすすりながらかじる板チョコは至福の味がする。
長期縦走で大切なのは敏感力と鈍感力なんじゃないかと思う。天気の悪い日に、手が冷たくなり感覚がなくなる前に敏感に察して手袋を替える必要がある一方で、汗や湿雪で体がぬれても気にせず眠れる鈍感さも必要だ。鈍感力に関しては、僕は不快耐性と呼ぶこともあるけれど、僕はこの能力にはどうやら自信があると言って良さそうだ。あともう一つ、単純さというか、根拠のないポジティブさも重要だと思う。本当に今日はここで行動を止めて良かったのだろうか。今日もっと頑張っておいた方が良かったのでは、なんて思うこともあるけれど、大丈夫これで問題ない、と思えることが大切だ。
何たって間違いない事実が1つある。明日のザックは今日より軽い。
4/12
雲海。晴れ。風あり。ぬるい。午後から曇り。4:00∼12:50
テン場がなんだか風の通り道だったようで騒がしい夜。とても暖かく、今までで一番薄着で寝られた。明け方さえも暖かく、ぬくぬくと出発。すぐに上半身はインナーだけになり手袋もいらず素手だ。それでも暑い。オダッシュ山には立派な看板があった。夏道もある。知らなかった。オダッシュの下りまでは快調に進む。この辺りから暑すぎて、汗で靴下がぐしょぐしょになり、とても不快。そして、何といってもザックが重い。やはり体は回復できてはいないようだ。何とかダラダラと登り、1327の手前で靴を脱いで、乾燥大会。いい感じかと思ったが、逆効果だったようで、より足が痛くなる。むー。沢靴のようにぐっしょり濡れたまま、心を無にして歩く。
暑さ、不快な靴下、ザックの重さ、今日は苦しい。晴れはいいのだけれど、高温はいただけない。そういえば昨年も連日の5月中旬並の気温に苦しめられたなぁ。
熊見山に着くころにはなんだか悲愴感すらある。足の皮がめくれたようで、こうなると一歩一歩が痛いので1分、10分がとても長く感じる。
あわよくばペケレベツまでなんて浅はかな考えはとうに消え失せ、峠でテントを張る気満々だ。今晩、強風と雨予報なので展望台脇の公衆トイレを盾にテントを張る。午後からものすごい風の音がするが、コンクリートのトイレの風下は多少はためくだけでありがたい。昼過ぎに行動を終えたとは思えない疲労感と不快感。なんだかなぁ。
この先しばらくはそれなりに天気が良さそうなのが嬉しいところ。ザックさえもう少し軽ければ楽しいんだけどなぁ。膝や腰を痛めないように気をつけないと。
佐幌岳での停滞を境に、すっかり春になってしまったようだ。嬉しいような寂しいような。明日はまた少し冷えるようだけれど、どうかもう少し、雪よ融けないでおくれ。雪は僕の計画の生命線だ。たっぷりの雪がしっかり締まっていてほしいんだよ。今日も何度か笹の上を歩いた。これはきっと僕のしたいことじゃない。
あぁ楽しい稜線歩きがしたい。一日の終わりに寝るのが名残惜しいような、そんな夜が待ち遠しい。
4/13
終日雨。霧雨orしとしと雨。stay
未明から降り始めたようだけれど熟睡して気づかなかった。相変わらず暖かい夜。予報では午前中は雨だが一応3時に起きる。外を見るまでもなく雨の音が響き、ものの3秒で再びシュラフに潜り込む。4時、5時と一応起きるが全く同じ動きを繰り返す。午前は半ば諦めて、寝て起きると7時半。さぁどうか…。パラパラ。…。ガサガサ(シュラフをかぶる音)。9時半、今日出発するならそろそろリミットだが、霧雨は止む気配がない。歩けばすぐにずぶ濡れの雨ではないが4〜5時間歩けばダメだろう。装備を濡らすのは避けたいし、ペケレベツ山頂付近もこの程度で済む保証はない。停滞濃厚か。11時、少し止む気配が…。だが今度は、僕の方にもう出発する気力がない。毎日少しずつでも進む方が体的には楽なのだけど、気持ちが乗らない分には仕方がない。12時を過ぎて、13時になろうかというタイミングで、とどめのもう一降りが来る。これで気兼ねなく停滞できる。今日のα米に水を注ぎ、一気にまったりモードとなる。10時の時点でほぼ確定していたのに、ここまで決断できない心の弱さ。あぁ。
停滞というのは本当に暇だ。仲間がいればあんなに楽しいのに、独りだとすることがない。水分は足りているのに余分に紅茶をわかし、口寂しさと空腹をごまかす。時間があると無駄な考え事が増える。何日にどこまで進めるだろうか。カムエクは…、ペテガリは…。
風がおさまって、雨音の狭間に大型トラックが峠を越える音が聞こえてくる。国道274号の日勝峠は昭和40年に開通して以来、日高側と十勝側を結ぶ主要道路だ。4年前の胆振東部地震では清水側の橋が崩落し、しばらく不通となり流通に大きな被害があったのも記憶に新しい。人の気配を感じられる峠は、この旅の中でもう何度も渡ってきたが、その度に少し、気持ちが安らぐ感じがする。街が近いという漠然とした安心感だと思うのだけれど、山深くないことで一抹の不満も少しある。山に入り浸りたい僕にとって人の気配は不要で、むしろ邪魔なのだ。少なくとも出発前は迷うことなくそう考えていた。1ヶ月半、山にもまれ、人の温かさにふれるうちに僕は丸くなってしまったのかもしれない。顔も知らない、そもそももう生きてもいないであろう人々が残した人智に助けられて、ここまで旅をつなげられてきたのだ。心持ちが変わるのも無理はないんだろうな。ここからはそういった支えも得られなさそうな原始的な峰々が続く。厳しさは一層増すだろう。僕一人で。あぁ不安だ。
夕方になってもまだ雨はしとしと降り続いている。そうだった、僕の心は天気とリンクしているんだった。だったら今不安を感じるのも当然だ。明日晴れれば大丈夫。明後日晴れれば万万歳!ノーテンキでいこう。
どこかの日記にも書いたけれど、昨年の旭岳スキー撮影でご一緒させていただいたテレマークスキーヤー石橋さんが言っていた言葉が今でも心に残っている。
「世の人は、明日やろうはバカやろう、なんて言うけれど、オレから言わせれば、今日できることは明日もできる、だからね!」
4/14
雲海。海の上に出たり潜ったり。風は弱い。4:20∼13:20
久しぶりにピシッと冷えた朝。ぬれた後、凍りついたテントを頑張ってたたんで出発。レインクラスト小気味よく、急な尾根をスノーシューで上がる。ガスっていたけれど予想通り、ペケレベツの登りで雲海の上に出る。見事だ。山頂までもザックが重い以外は順調に登る。山頂からは雲海から顔を出す十勝連峰、トムラウシ、石狩、二ぺ、ウぺと、1800mより上が晴れているようだ。こちらは1500mが海面らしく、下るとガスの中へ潜る。ガスの中は空気が冷たく寒く感じる。だがこの方が歩きやすくて良い。所詮は春の気温だから凍えるような寒さにはもうならないのだろう。そう思うと少し嬉しい。その後もガスの上に出たり潜ったりを繰り返す。だが今日の行程では1500mはほとんど越えないから実際はほとんど海中だった。それでも風も弱いし、歩きやすいことに変わりない。10〜11時くらいになるとさすがに雪が悪くなり、ズボズボとはまり始める。こうなると本当に一気にペースが落ちる。段々とイライラも増してきて、朝の清々しさはどこへやら。結局今日も悪態をつくのだった。パンケヌーシ分岐は雪が融けてしまっていてハイマツや岩が露出している。そういえば3年と1ヶ月前の今日、日高全山に出発したんだったなぁ。今回はさすがに1ヶ月遅いので雪量は少ないが、1ヶ月遅いとは思えないほど雪が多い。3年前は少ないと騒いでいた年だったが、それにしてもやはり今年は雪が多いようだ。昨年この計画に挑戦した際は、雪の少なさが心配になるくらいだったから、今回は雪量にも恵まれていると言って良いだろう。直前に雪が降り、ラッセルが多かったり重かったりするのは困るけれど、シーズンを通して雪が多くまたたくさん残っているのは、登山道が無いこの計画で最重要かつ、自分の力ではどうしようもないことなので、本当に嬉しい。この幸運は、昨年の惨敗にもめげず、翌年である今年も再挑戦したことで引き寄せたご褒美だろうか。
尾根分岐を越えて、芽室岳手前のコルへと下る。ここもガスの中だ。ズカズカと下ってあと5分くらいで目標のテン場というところで盛大にズボりとはまる。それ自体はもう何十回、何百回と繰り返してきたのだけれど、今回はあろうことか反対の足のスノーシューが引っかかってしまった。まずいと思ったときにはもう体重がかかってしまい、またしても盛大にオーバーズボンが破けてしまった。あーあ。裁縫タイム30分。前回と同じくらい大きい穴だったが、半分の時間でできた。成長している。
風のない快適なテン場。一応それなりには予定通りのはずなのだけれど、どうにも落ち着かないこの感覚はなんだろう。やっぱりこれが日高なんだなぁ。まだあと2週間は少なくともかかる。何とか何とか着実に先に進むしかない。理由のない不安ってどうすればよいのだろう。モヤモヤを熱い紅茶で流し込む。いや、流れ切っていないなぁ。
この気持ちを持ったまま、仲良くなるしかないのだろう。晴れてくれること、風が弱いこと、雪が締まっていること…。なんだか同じことばかり書いているな。でもこれが僕の素直な感情だ。
4/15
ガスのち高曇り 風はほぼなし 3:50∼13:15
ガスっているが風はなく、冷えた朝。今日もしっかりクラストしていて、快調に登る。展望はなし。ばっちり凍っているので下りはアイゼンを出す。はまらないので楽だ。下り切るとスノーシューに戻す。この先も雪はしっかり締まっていて歩きやすい。けれどザックも体も重い。この雪でなければノロノロ進行だっただろう。特に見どころもなく、ひたすらガスの中を進む。ルベシベ山との尾根分岐の手前でようやくガスが少し抜け、山並みが見えるようになった。ここで気づく。この先のようやく日高らしい稜線が見えた時に一気に元気が出たのだ。それまで足の痛みや空腹にしか頭が回らなかったが、ここに来て山に目を向けられたような気がする。この仮説が正しければ明日はきつくも楽しい1日になる…はず…。
そして、昨日感じた得体の知れない不安の正体も少し分かったような気がする。3年前、あの、向こう見ずでがむしゃらに日高に飛び込んでいった自分と今の自分を比べてしまっていたのだ。あの時より少し賢くなって、その分臆病になった僕。行程を理解して、計算して食料を用意し、アクシデントに備えて様々な装備が増えた。新しく優秀な装備を身につけ、3年前から同じものと言えば、ジェットボイルとラジオ、あとはパンツくらいだ。時期の問題だってある。3年前は3月だった。皮肉にも日勝峠を出発した日付は一緒だ。気温に恵まれ、雪質に恵まれ、なのにあの時と同じテン場までしか進めなかった。3年前から何ひとつ進歩していないように感じられ、むしろストイックさやハングリー精神が減った分、退化したと幻滅したのだ。もちろん、これまで40何日縦走を続けてきているわけで、日高のために準備していたあの時とは体のコンディションがまるで違う。それは分かっているけれど、これだけ条件に恵まれているのに疲れを理由に同じテント場に納得し、妥協してしまった自分が受け入れられなかったのだと思う。
今だったら必要だと思うものを十分に持たず、食料もそれまでの経験から勘で用意していた。それでもボロボロになりながらも襟裳に辿り着いたあの日の僕と同じことをこれからもう一度出来るのか、という不安とも言えるかもしれない。
24歳の僕に恥じない27歳でありたい。あの日の僕に成長しているなぁ、と感じさせたい。そういう思いが心の奥深くにあるのだろう。相手は山であり自然であるから、想いに駆られて無理をしてはいけないけれど、何とかあの感動を越えたいなと思うのだった。きっと今日の僕を3年後、30歳になった僕も振り返って見ていることだろう。情熱を燃やし、今も山に通っているだろうか。この先どんなに辛くて嫌になって逃げだしたくなったときも、この計画に一途に向き合った日々が励ましてくれる。そんな2か月にしたい。あと、2週間、悔いのないようにやり切ろう。
書いていて恥ずかしくなってきた。何も考えずにただ山に登り、青空に心躍っている方が楽しいような気もする。実際これまではそんな日の方が多かったのだけれど、僕はどうしてしまったのだろう。単独だと思考が堂々巡りになる。まぁいいか。どうせなら何か一つくらい悟りが開けるくらいになれれば良いのだけれど。
4/16
朝は雲多め 昼前から快晴 微風 3:55∼14:00
今日も穏やかな朝。ばっちり冷え込んでいる。1712までスノーシューで行くが、その先はハイマツが出ている。ちゃんと這っている(北海道では這っていないハイマツの方が多い)ので漕がなくて良いのが救い。ツボでコルまで下る。ツボでも雪にはまらないのでアイゼンに替えてカチカチの斜面を登る。4年前の雪質と似ていて、やらかしたのを思い出した。主稜に上がると、一気に北日高のパノラマが広がる。最奥には名峰カムエクが鎮座している。さすがの風格だ。1967峰へもアイゼンが良く効く気持ち良い稜線歩きだ。重荷はもちろん堪えるが、この絶景にどうして心躍らずにいられよう。山頂の武骨な看板は健在だった。ワンゲル現役ラストピーク、思い出の山だ。北トッタベツへも幸せに進む。こちらの山頂看板は今年の年明けに見つけられなかったのだが、壊れて地面に転がっていた。年始はきっと雪に埋もれていたのだろう。幌尻岳が美しい。昨年陽希さんに同行した時よりも明らかに雪が少ない。今年の方が1週間くらい早いんだけどなぁ。ところどころ夏の登山道が確認できる。これ自体は歩きやすいから良いのだけれど、南に行くほど雪が少なくなるので今後が不安だ。トッタベツ岳山頂では快晴無風、日差しが暖かい。色々取っていたら気づいたら30分くらい経っていた。今度はぜひ主稜線からは外れている幌尻岳も行こう。この先は雪がダメになったが、重力に助けられだらだらと下る。コルで丁度良い場所を見つけたのでテントを張る。ポカポカで濡れた装備を乾かせる。うひひっ。昨日の仮説はどうやら正しかったようだ。今日は3/29や3/31、4/4に負けず劣らずの“最幸“の1日だった。
もう一つ仮説を立てるとすると、やはりスノーシューの下りが辛いようだ。それが正しければこの先はアイゼンがメインだから毎日ウキウキのはず…。
風のない快適なテント場は今日が最後になるかもしれない。明日以降しばらく風が強そうだ。そして4/22以降は雨の予報も出ている。まぁまだ変わるか。それより明日の強風が心配か。
愚痴がないと書くことがない。きっとこれが正しい幸せの姿だ。段々と日記が短くなる、その方が健全なのかもしれない。
地図にC50と記す。今日で50泊目か。50泊…。もっと途方もないように感じていたけれど、塵も積もればなんとやら。成せば成すんだなぁ。そして、50日で踏破する計画だった昨年の無謀さ…。失敗するべくして失敗したのだろう。その点、今年は今のところ、昨年の反省を生かせているか。この先もテン場判断は慎重に。
それにしてもC50ってすごいね。自分でも良く分からないや。20泊目くらいからそんなに変わっていないような気がする。でもやはり痛感するのは太陽エネルギーのありがたさ。やっぱり1ヶ月前の寒さにはもう戻れないかもしれない。思えば季節は大きく進んでいる。出発したころは6時頃だった日の出も今や4時台だ。日没も1時間くらい遅くなっている。少しずつ弱まりつつある僕を太陽が優しく包み込んでくれているのかもしれない。ありがとう。今日も幸せです。ホワイトチョコサイコー。
4/17
快晴のち曇り 風強まる 3:25∼8:00
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて…そんな朝。紫の雲はない。キリっと晴れている。今日は下り坂なので早出する。ヘッドランプもいらないほどのまばゆい月明かりに照らされる幌尻岳とトッタベツ岳はさながら仲睦まじい夫婦のようだ。神々しく見とれてしまう。今日も雪は締まっていてスノーシューで進む。カムイ岳(南日高の神威岳と区別のため北の神威はカタカナとするのが通例)までは大きな雪庇がたくさんある区間だが、今年はもうほとんど落ちてしまったようだ。3年前の苦労が嘘のことのようにぐんぐん進む。昨年の陽希さんの時はルート状況があまりにも良くて「陽希さん持ってるなぁ」と思っていたが、これが4月の日高なのかもしれない。3月との違いには驚かされるばかりだ。それとも僕も持っている…?笑
風を恐れてバラクラバを含む防寒具フル装備で出かけたおかげで思ったより快適だ。やっぱり世の中覚悟と準備ですね。と思っていたらカムイ山頂手前にヒグマの足跡が…。出てこないでね。北側にあるデブリは君のせいかという風に足跡が続いている。それは冗談としても、大きな雪崩跡だ。Sizeは2.5くらいか。面発生の破断面は厚さ50僉幅は100m〜150mくらい。走路は谷底まで続いていて末端が確認できない。こんなのに遭遇したらどう思うのだろう。人にはとても対処しきれないけれど、山は怖いから行きたくないと思うのだろうか。幸い僕はこれまでに大きな雪崩に遭遇したことがない。だがこれは知識によって避けられているというよりは、単なる偶然に過ぎないと思う。つくづく山は恐ろしい。気を引き締めなければ。カムイ山頂に立つころにはエサオマンにガスがかかり始めた。やはり今日先へ進むのは無理そうだ。視界のあるうちに、上から眺められる位置で地図とにらめっこ。あそこが良さそうだと思った尾根は3年前も泊まったところだった。やっぱここだよね。
だらだらと下ってもまだ8時。早出は精神的に良い。風にビビって小一時間かけてテン場を整地する。そのおかげか、そもそも場所のおかげか、上部では風の音がするが静かなテント場となった。昼寝をして昼飯を食い終わるも腹が鳴る。何だか肌寒い。チョコを一欠け口に運び、ごまかすようにシュラフに潜る。
明日は天気が悪そうだけれど、その先のことを考えるとエサオマンの少し先くらいまで進んでおきたいところ。今日と合わせて2日で1日分進むイメージだ。進むことより風に耐えられるテン場を作れるかの方が心配だ。今日のように夜に風が強まるわけではないので、張るときに耐えられれば風向きが変わらない限り大丈夫なはず。
ガス缶がそれなりに余裕があるのがありがたい。そう考えるとやっぱり3年前はおかしかった。日数は(日勝峠からでは)ほぼ同じなのに、食料も燃料も今回の3分の2しか持っていなかった。湿雪でずぶ濡れになっても体温以外に乾かす手段はなく、水分も最低限しか摂れないから、小便はいつも真っ黄色だった。あんな思いはもう二度としたくないと本当に心から思っているのだけれど、だからこそあまりにも印象的で、ことあるごとに脳裏をかすめる。これは嫉妬か。
4/18
明け方雪 1600より上はガスと風 停滞
4時に起きて予報を確認する。昨晩より悪くなり、午後に風が強まるようなので再び寝る。5時、明るくなったが明るくない。寝る。気づいたら7時半。上空は雲が取れて明るくなった。エサオマン方面は相変わらず。飯を食って寝る。9時。テント場は何だかいい天気。あれ、日和ってしまったか、と思うが稜線はガスに覆われていて少し安心する。テントに風が無いのも雪のブロックを積んだおかげで、実際にはそれなりに吹いている。紅茶を飲んで寝る。12時、今さら停滞を決める。チョコビスケットを紅茶とともにささやかなティータイム。ずっとテントで寝転がっていると体が固まりそうなのでストレッチとかマッサージとか。停滞は本当に腹が減る。早く気兼ねなく腹いっぱいのごはんが食べたい。スマホの電波が入ることは確かに精神衛生上とても良い。何より下界で心配してくれている人たちに細かく連絡が取れるので、今さら持っていかないというのは出来ないと思う。けれど、山に籠る、浸る、溶け込む、という意味では不健全というか没頭しきれていない感覚になることがある。志水哲也氏も「山の面白みは文明の力の及ばないところにある、と僕は思っている。」と言っている。その通りだと思う一方で、今は山に文明が入りすぎてしまっているのだろう。志水氏の当時(1994年、僕が生まれた年)は携帯電話の使用テストが行われ、日高、大雪、知床などの道内の山岳でも使用できることが確認されたころだった。そしてその後のケータイの普及を予感して「すでにあるものをあえて持っていかないと、人の心はとかく複雑になる。便利さを嫌いつつも、目の前に便利さがあれば、それを持っていかないことがナンセンスになってしまう。そしてその便利さと引き換えに、僕らは確実に何かを失っていく。」と語っている。何かとは何なのだろうか。僕にはもう一生分かりえなくしまったものなのかもしれない。一方で志水氏も、単独で無謀だとの批判を恐れて、自分のためというより残された人のためにトランシーバーを携帯している。この辺りのジレンマを志水氏はどう乗り越えたのだろう。そして時代の流れとともにどのように考えは変わっていったのだろう。こういう話題になると必ず、角幡唯介氏が思い浮かぶ。角幡氏の考察は考えさせられるものばかりで、捉え方によっては自分の登山そのものを否定されているような気にすらなる。けれどどれも腑に落ちるもので、グルグルと心をかき混ぜられるのだ。帰ったらお二人の本を買おう。
結局のところ、自分が納得していればそれで良いのだとつくづく思う。だが、この納得という感覚が厄介で、油断すると甘えや妥協がはいりこむのだ。その甘えや妥協を許容したとき、納得した気になれるのだけれど、ふとした瞬間に高校の体育教官のようにストイックな自分が現れて、あれは妥協だったとまたモヤモヤするのである。だから一つの終局点として他人の評価を求める。他人に、十分やっている、頑張っているね、と言ってもらえるとそれもまた納得した気になれるのだ。これはあくまでも逃げでしかなく、根本的には何も解決していないのだけれど、心の弱い僕なんかを支えるには十分な力を持つ。
強くなりたいと出発したこの旅で、未だなんらまとまった成果は得られていない。けれどバランスを大切に、後悔しない選択をしながら精一杯を越えることを意識し続けられたなら、必ず何かを得られると今も本気で信じている。
明日は天気が良さそうだ。天気が良ければ余計なことを考えずに山に夢中になれる。それに明日から日高の核心部だ。この旅は夢だ。今、僕は夢の真っ只中にいる。
この夢をもうしばらく噛み締めていきたい。
4/19
未明雪 朝から快晴 2:55∼14:00
気合を入れて1時に起きるもパラパラとテントを叩く音がする。もしやと思ってテントを出ると10僂曚廟磴積もっている。うーん、どうしたものか。今も降っているが、これは積もるほどではなさそうだ。30分遅らせるだけで出発することにする。雪の舞う闇夜を登る。ガスと雪で尾根が分かりづらいので慎重に。4時前には明るくなり、雪もガスも晴れてきた。月に照らされるエサオマンがなんともロマンチックだ。日の出に思わず感嘆の声を上げながら急登を進む。山頂では北日高とカムエクの大パノラマ!心配していた降雪もむしろ良いアクセントとなり、真っ白にお化粧直しした峰々が美しい。ありがとう。幸せです。風もほとんどなく、快調に進む。ナメワッカ分岐でアイゼンピッケルに替えると、いよいよ日高の核心部が始まったという感じだ。春別岳(1855)は上手くトラバース出来そうなので捲いてしまった。新雪で岩が隠れてしまい、バランスを取るのが難しいが、そんなこと吹き飛ぶくらいの
美しさが広がっているので文句は言うまい。1917峰へも一気に上がったが、ここで一息入れるとどっと疲れが出てきてしまった。まぁ仕方ないね。たくさん写真を撮って先へ。この辺りで田辺さんからフライトしたとの連絡を頂く。11時前から30分ほど。すでに雪が悪くなってきてアイゼンが団子になったりもしたが、絶景を収めてもらえただろう。こんなに完璧な日はなかなかない。そんな日に空撮までしていただいて、僕は本当に幸せ者だ。カムエクは思っていたよりも遠く感じる。疲れのせいだろう。ガイド保険のTELが来ていて対応した後、いよいよPeakへ!快晴無風のカムエクに立っている。もう何度も登っているけれど、本当に何度来ても気持ちの良い山頂だ。コルへの下りは夏道が半分くらい見えていて、ときどき使いながら下る。岩の下りはザックが大きいと怖い。コルまで降り切ったところで超幸せそうなテントサイトを見つけてザックを下ろす。本当はピラミッドピークを越えようと思っていたのだけれどまぁいいか。テン場からはピラミッドピーク、1823峰、コイカクシュサツナイ岳、ヤオロマップ岳、1839峰、カムエク南西稜とこれでもかというほどの中部日高の霊峰が連なっている。こんなところに本当にテントを張って良かったのだろうか。幸せを噛み締める。この先は風の強い予報が続いているからこんなテン場はこれが最後かもしれない。テントにいる時間が好きだ。稜線を歩いているときももちろん気持ち良いのだけれど、歩いてきた、あるいはこれから歩く稜線を眺めながら飲む紅茶には適わないのではと思うほどだ。だからこそそれも含めて、今日は本当に幸せな1日だ。どうか明日も幸せでありますように。
4/20
晴れ 強風 2:50∼13:10
映えテン場の代償か、夜半から風が強まる。久しぶりのバサバサテン場に暗くなってからブロックを積みなおす。3時間くらい熟睡したところで風向きが変わったらしく、またバサバサと。眠れなくなってしまったので、まだ1時だが起きる。パッキングは慎重に。
まだ暗いうちからピラミッドピークを登る。雪が全くなく、ほぼ登山道を登った。少し残念。1807への下りは相変わらずおっかない。風もあり緊張する。昨年の陽希さん停滞イグルー地の雪量は少し少ないくらい。やはり残雪量というより融雪スピードか。この先も1737へは雪の足りない登り。ハイマツはバランスがとりづらい。1737から1823峰へは雪がばっちりあり歩きやすかった。コルまで降り切ったところでガス欠。今日分の行動食を食いきってしまった。コイカクまで雪の無い辛い登りが続く。風が強くハイマツと相まって消耗する。何度も休憩を挟んで、息絶え絶えでコイカクPeak。手前と勘違いしたが、本峰は奥だった。風がとにかく強いので、休憩ポイントを探すのにも苦労する。なんだか今日はとてもつらい。晴れてはいるんだけどなぁ。1839峰に励まされながら進むがコルでギブアップ。ヤオロまで行きたかったが体力が足りなかった。ぎりぎりで到着してもそこから風を避けられるテン場を見つけなければならないのはリスクが高いと判断した。1時間かけてテン場を作る。風を十分に凌げるか少し不安。
なんだか今日は辛かった。風と小雪に翻弄されてしまった。この先も風が強い予報が続いていて、南に進めば進むほど雪は少なくなってゆく。憂鬱だ。そして雪が無くなってきたことは、この旅も終わりが近づいてきていることを意味している。もう少しだけ雪よ続いてくれ。この旅を完結したいんだよ。風も本当にほどほどでお願いします。風に逆らって駆け登るほどの元気はもう僕にはなさそうだ。なんだか弱気になってきた。
4/21
晴れ 北ヘリ 予報より穏やか 4:25∼14:10
風下側は穏やかで良く眠れた。連日のヘッドランプ行動につかれたので明るくなってから出る。すぐに日の出。稜線に上がるとやはり風が強い。今日も気合が必要そうだ。今日も1839峰が美しい。今年の年末は39かな。ヤオロマップは意外と遠い。山頂は雪が無く看板が転がっていた。初めて見た。ビビっていた逆L字は雪庇がほとんど落ち切って、雪の締まった朝なのでとても歩きやすい。1599まで3hとみていたが2hで越えられた。その先も雪庇は残骸が少しあるだけで本当に危ないやつはもう落ちたようだ。この時期が良いと言われている理由が良く分かった。方角のせいか、尾根の角度の問題か、予報よりも風が弱い。嬉しい誤算だ。昨日より雪が残っていて尾根の東側を歩けていたのも大きかったと思う。ルベツネへの登りで今日もバテ始める。体力の限界が近づいてきているように感じる。急な登りをなんとか登り切ったらルベツネPeak。今度は奥と勘違いしていた。山頂は手前だった。眺めの良いPeakからはペテガリ岳がカッコよい。荘厳さというか風格というか、ルベツネがかわいそうになる。下りは雪が緩みズボズボ祭り。あぁ困った。疲れた体に、股まではまるのは心底メンタルをやられる。ペテガリの登りは緩んでいても素直で登りやすいのが助かる。立派な看板が遠くからも見え、頑張ろうと思えた。山頂からは南日高の峰々が一望できる。中日高を振り返ると、僕の頑張りを労うようにたくさんの山々が笑っているように見えた。下り15分くらい風下斜面を30分かけてテン場設営。それなりに快適そうだ。
今日、一気にペテガリを越えられたおかげで中日の終わりが見えてきた。それとともにこの旅の終わりも感じずにはいられない。南日を前に急速に雪融けが進み、山並みは一段と春らしくなってゆく。今日は道内で6∼7月並みの高温になったという。
まだ旅の終わりを寂しがる余裕はない。あともうなん頑張りくらいだろうか。まだ出来るだけ意識しないようにしているけれど、僕の春ももうすぐのところまで来ているんだろうな。
チョコを一片口に含み、なかなか冷めなくなったぬるい紅茶で流し込む。
4/22
晴れ→曇り→雨→晴れ→曇り 変わりやすい天気 4:50~14:00
たまに突風が吹く以外無風の不思議なテン場だった。昨日の疲れが残っているので、久しぶりに3時まで寝る。起きてからも何だか体が重く、ダラダラしてしまった。おかげで出発は5時前となり、すでに日が昇っていた。日の出より後に出るなんていつ振りだろう。心が弱くなってきているなぁ。
今日も気温が高く、なんと出発直後からズボズボ地獄が始まる。これはまずいなぁ。細いところもあるから、とアイゼンで粘ろうとするが、らちが明かないのでスノーシューにする。グズグズの水っぽい雪となり、靴はあっという間に濡れて、靴下もグショグショになる。まるで沢靴かというくらい水を含んでしまって相当不快だが、逆に靴ずれがましになった。どうにも体が重く、いつになく力が入らない。振り絞った力がグサグサ雪にいなされてしまうものだから、悪循環も甚だしい。
中の岳の手前のポコを登っただけで、ヘナヘナと座り込んでしまった。情けない。そのうちに山頂はガスに覆われ、早くも悪化し始める。どうにか休憩を繰り返しながら急斜面を登る。腐った雪よりも、ヤブに覆われた踏み跡の方が幾分歩きやすい。高山植物には悪いが、スノーシューの歯を引っかけてよじ登る。山頂からの眺めは悪かったが、下るとすぐにガスが途切れ始める。なので一時的な悪化かと思っていたが、小八剣の手前で小雨が降り始める。次第にパラパラと強まってきたので、あんまり装備を濡らすのも、と思い、フライを被って雨宿り。風がほとんど無いのがありがたい。フライの中で雨雲レーダーを確認すると、1時間ほどの弱い通り雨のようだ。防寒具を着直して耐える。気温も高くて良かった。まぁそのせいで雪ではなく雨なのだけれど。ようやく止んだので再出発。この休憩のおかげで少しだけ回復できた。小八剣も雪はなく、ツボ足にして危なっかしい踏み跡を辿る。西側に意外と明瞭な踏み跡があって助かった。
ニシュオマナイ岳に残り200mくらいで雪が増えてきて、スノーシューで登る。神威岳が山頂以外見えてきた。少し下ろしたところにテントを張る。平らなところがあったのでここにしたが、風の通り道でないか心配だ。頑張って掘り下げて、雪ブロックも積んで夜に備える。テントに入ると体が楽になる。もう、一晩寝たくらいでは回復できなくなってきたか。2月の出発前に、「山を日常にしたい」なんて言ったことが恥ずかしい。とても日常になどなっていない。山に浸る、夢のような時間なのに、下山後の快適な日常を夢見ている。
4/23
未明雨 朝回復 午後晴れ暴風 停滞 札幌桜開花!!
すぐ隣の尾根の向こう側では猛烈な風の音がする。テン場は良いところを選べたらしく、ほとんど風がない。夜中には雨が降り始め、1∼3時くらいは強まる時間もあった。夜中に雨が強まると、昨年の嫌な記憶がよみがえる。今回も風が強いところにテントを張っていたらひょっとしたら危なかったかもしれない。成長したのか、運が良かったのか。何はともあれ、このまま風向きが変わらないことを祈るのみだ。
雨は朝方まで降っていたが、明るくなって朝食を食べ終わったころには止んできた。昼前にはガスも少しずつ上がる。一方で風は依然としてものすごい音を上げていて、空港の窓の内からジェット機の出発を見送っているようだ。昨日積んだブロックは雨と高温でほとんど溶けて崩れてしまったが、そのせいで風が吹き込む様子はない。昼を過ぎるとさらに高曇りとなり、神威岳、ソエマツ岳の山頂が姿を現してくれた。この稜線を眺めているとあの日のことを思い出さずにはいられない。あれ以降、どうすれば良かったのか何度も考えてきた。あの、ポールの折れる音、雨が吹き込んでくる音、風に虚しく煽られる弱弱しいテントの音を今でも忘れない。
無様な敗退をして札幌に帰った後、ワンゲル時代の先輩が一冊の本を薦めてくれた。『世界最悪の旅』チェリー=ガラード著、加納一郎訳。加納氏は北大山スキー部OBだそうだ。南極点初到達を争う、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンセン隊。スコット隊が南極に着いた時にはアムンセンの跡があった。過酷な進軍の後、さらに厳しい帰路で一人また一人と亡くなり、英国紳士の誇り高き最期には思わずしびれた。書きたいことはたくさんあるが、何より読後に感じたことは、自分の失敗などなんとちっぽけなものか、ということだった。五体満足で、迎えに来てくれる人がいて…。つくづく僕は恵まれていて、甘やかされているかが良く分かる。この本のおかげであっという間に切り替えることが出来た。
あの稜線に明日戻るのだ。そこで僕は何を感じるのだろう。大して何も感じないのかもしれない。リベンジという感覚も特にない。神威は、ソエマツは昨年と変わらずカッコいいままだ。明日はお世話になります。お手柔らかにお願いします。
4/24
晴れ 強風 尾根の西側20m/s 東側0~5m/s 3:45~14:15
昨日の夕方から見事な夕焼け、晴れとなる。停滞あるあるになった、夜眠れないやつと、放射冷却がセットになって23時に目が覚めてしまった。1時間くらい、ガスをつけたり紅茶を飲んだりしてポカポカになって寝る。これで2時まで再び眠れた。
ちなみに、これまで一度も触れてこなかったが、極度の頻尿になってしまっているので夜中に毎日2から3回小便をする。19時に寝ると大体20時半、22時、23時半と1時間半間隔で波が来る。そしてこれも書いてこなかったが、テントの中でジェットボイル(食事と兼用)に小便をして、テント本体とフライのすき間に流す。これで天気の悪い日や寒い夜もシュラフに足を入れたまま小便を済ませられる。食器と兼用なのはご愛嬌。取る水分量を減らせば尿も減るけれど、体が回復しづらくなるし、つりやすくなるのでオススメしない。これまでの平均で、食事で1.2~1.5L、紅茶やスープで2~2.5L、1日で3~4Lくらいは飲んでいると思う。そんな訳で今朝も食後の紅茶を600mLくらい飲み干す。本当は砂糖たっぷりスキムミルク盛り盛りが好きなのだけれど、残量が心もとなくなってきたから節約気味だ。
日の出直前の神威とソエマツは兄弟のようだ。美しい。今日はばっちり冷えているので、雪が締まって歩きやすい。気分良く神威ピーク。ここで何を思うだろうと考えていたが、特に感慨は無かった。とっとと先へ。靴幅山へも自分の記憶よりも歩きやすい。山頂直下の靴幅リッジは雪は皆無でただのやせたヤブ尾根だった。ちなみにカメラを回したつもりが録画ボタンを押し忘れていた。まぁそのお陰で昨年のやらかしテン場は撮れたから良しとする。やらかしテン場もダセーなって感じ。もっと下ろせば良かったし、場所も良くはないけどテントの張り方の問題だっただろうと思った。ソエマツは登り切ったと思ってからが長い。雪もないし。ピリカへも気分良く進んでいたが、11時で雪がout。ペースが半減してしまった。ズボズボ地獄を乗り越えて、直下の斜面はカリカリ。三山を一気越えできて一安心。
今日も結局疲れ切ってしまった。風が強いんだよ。頼むよほんと。明日はトヨニ、野塚越え、あわよくば双子も。荷が減ってきたのは嬉しいけれど、行動食が足りるが少し不安。
4/25
晴れ 風は西側で少し強いがぬるい 4:00~14:20
今日は空気がぬるい。これは雪もダメそうだなと思いながらもアイゼンを履く。トヨニ岳までアイゼンで行きたかったのだが、最初からズボズボ。諦めてスノーシューにする。スノーシューで歩ける尾根の太さになったことに、核心部を抜けたことを実感する。アップダウンもそれほど大きくないはずなのだけれど、体が重くペースが上がらない。もうザックの重量は言い訳にならないので、疲労以外の何物でもないだろう。午後ならともかく、朝からとは…。けれどよく考えてみると、停滞明けで頑張った日の翌日(停滞の2日後)は決まって体が重い。その法則でいくと、明日にはまた楽になるか。重い体にムチを打ち、ゆっくりと一定のリズムを意識して、我慢の進行が続いた。トヨニ北峰を過ぎると下り基調となり、この体でも何とかペースを維持できる。そのうちに雪が途切れて、西側の踏み跡をツボで下りていく。比較的明瞭な跡のお陰でペースを取り戻して、少し楽になってきた。野塚岳へも素直が続いてきて、易しい稜線に見守られ着実に進むことができた。東峰への登りは全て草付きの上を歩く。もう雪を歩くより進みやすくなってしまった。本当に、こんなに南まで来ているんだと感慨深くなる。野塚岳からの下りも歩きやすい踏み跡だが、双子山への登りではハイマツやカンバが被ってくるので疲れる。しかし総じて、危惧していたほどではないので安心した。双子山の双子のコルでテントを張る。少し風はあるが、今夜の予報なら大丈夫だろう。
テントに入って、ここ数日考えていたことをサポートしてもらっている人々へ連絡する。分水嶺は明日の楽古岳山頂までとし、楽古山荘へと下山することに決めた。決めた要因には、体力や気力がもう十分に残っていないことや、残り日数の少なさに対しての先の天候の予報の悪さ、そして残雪不足による飲み水が確保できなくなる(テン場も)問題など様々なことがあった。けれど一番大きな要因は、すでに山頂部が黒い楽古岳の先の、さらに標高が低く雪の無いヤブの稜線にときめきを感じられず、楽しくないだろうと思ったからだ。明日、本当に楽古岳まで稜線を縦走できたなら、それ以上思い残すことは何もないだろう。その先は道路を歩いて襟裳岬を目指すことになるが、この判断通りに行動できれば、分水嶺縦断はほぼ完遂したと言って良いだろうと思っている。なかなか本当の意味で納得することは難しいことが多いけれど、この判断に関しては自信を持って納得したと言える。
明日も精一杯、稜線歩きを楽しもう。楽古岳が、楽古山荘が楽しみだ。夜、田辺さんから連絡をいただき、プレスリリースの提案をいただく。その後、森下さんとも連絡をとり、情報発信役兼連絡窓口を引き受けてくださることになった。ありがとうございます。
4/26
朝 晴れ 昼前にガス 夕方から雨 4:00~14:00
今日で稜線を下りるのだと思うと名残惜しい朝。パッキングも随分と楽になった。ストック、ピッケル、スノーシュー以外は全てザックの中に納まった。双子山の登りから十勝岳にかけてはほとんど踏み跡を辿る。雪のない日高って意外と踏み跡があるんだなぁ、と感心してしまった。まぁそれも人気のある楽古岳までだろう。今日は予想通り、比較的体が軽い。とはいえ疲労は半端ではないので、ペースが上がる訳ではない。十勝岳から大きく下り、楽古岳へとひた登る。途中からヒグマのトレースと合流する。歩幅はとても大きいが歩きやすくてずっと同じラインを進んだ。山頂直下で雪は途切れて、代わりに登山道のような道が出てきてPeakまで。30分前まで晴れていたが、登り切る直前でガスに覆われてしまった。振り返っても進んできた稜線は見えないけれど、辿れば遥か600卆茲僚|岬まで、確かに僕の足跡が続いているんだ。なんだかちょっぴり誇らしい気持ちになる。晴れないかなぁと、1時間くらい山頂にいたら、1度だけトヨニ、ピリカ、神威まで見えた。カメラも出せないくらいの一瞬だったけど、僕にはそれで十分だった。ありがとう。
肩までの下りは雪が中途半端に残ってダルい。肩からはザクザクと1000mまで下り、あとは夏道に合流した。あまりのポカポカ陽気に、小一時間、ウトウトとまどろんでしまった。心配していた融雪増水は大したことはなく、5~6回の渡渉で楽古山荘へ。本当に立派な山荘だ。
悪天前日の平日ということで誰も来ないだろうとたかをくくっていたら、3名が泊まるようで16時に到着。とても良い人たちで一安心。宴会が始まり、もはや生き地獄である。ビールや鹿肉、アイヌネギなどお誘いいただく。ビールには思わず一度受け取ってしまったが、歯止めがきかなくなると思い、自力食料のみで縦走している旨を話し、ビールもお返しした。ノリが悪くて申し訳ありません。その後も優しく接してくださり、和やかな雰囲気に心が落ち着く。
外は霧雨となったが、立派な山荘でそのことに気づかないほど快適だ。わずかなナッツを今日で食べ切ってしまった。
4/27
雨 暴風 昼に上がる 午後さらに暴風 小屋停滞
朝、雨と風の音で目が覚める。大荒れだ。だからこそ小屋がありがたい。稜線にいたらどうなっていただろうと思うとゾッとする。昨年のような悪夢になっただろうか。それとも成長し、上手く切り抜けられるのだろうか。
お三方が撤収し始めたころ、地元の方が小屋へ。こちらもとっても良い方だった。山屋はとても温かい。
一人になり、のんびりと体を休める。風雨が強いので気兼ねなく停滞出来る。お迎え隊に持ってきてほしいものリスト、帰ったらやりたいことリスト、帰ったら食べたいものリスト、下山報告連絡リスト、質問想定集を作るなどして過ごす。
2か月、とても長かった。とても充実していた。こんなにも濃い2か月は今後の人生にももう訪れないかもしれない。辛いことが90%以上だったけれど、残りの10%が補って余って溢れるほどに幸せに満ち足りていた。それと同時にとても残念なことに、すでに前半部の感動は早くも薄れ始めている。あの時の感情をあの時のまま閉じ込めておくことはどうしても出来ないらしい。どれだけ写真を撮ってもどれだけ日記に言葉を紡いでも表現しきれないこの貴重な時間を可能な限り胸に刻みたい。次第に薄れゆく儚いものだからこそ、価値があるのだろう。今まさに僕はかけがえのない瞬間を生きている。きっと明日には忘れてしまうだろうけれど、今はそれすらも愛おしい。
食料がもう心もとない。この食料が尽きれば僕は生きられない。その前に里に降りるしかない。何だかもう終わったような気でいるけれど、まだ50劼世60劼世道を歩かなければ。旅を想いながら歩くにはちょうど良い距離だろうか。いや、少し長すぎるか。
辺りが暗くなってきた。今日という日が終わるのがとても寂しい。明日、街に降りれば僕はこの山旅から現実に戻る。そうすればもう夢の世界には戻れない。幸せだった夢がもうすぐ終わろうとしている。昨日まで不安に押しつぶされそうになりながら必死で稜線を進んでいたことが遠い昔のようだ。
気持ちを落ち着かせようと余ったガスを贅沢に使ってアツアツの紅茶を沸かす。猫舌だから10分くらい飲めなかった。ストーブで小屋はポカポカだからなかなか冷めない。十分冷めてから大きく一回、口に含む。毎日当たり前のように飲んでいた紅茶も明日で最後かもしれない。そう思って飲み干すのをためらっていたら気づいたら冷たくなっていた。
今夜は上手く眠れないかもしれない。
4/28
晴れ 風あり 5:50∼16:30
世話になった小屋を後にする。
小屋を出たらこの旅が終わってしまうような気がしていたけれど、楽古岳から下りてきたときにすでに旅は終わっていたらしい。
でも心配はいらない。終わりは次の旅の始まりだ。岬ではみんなが僕の帰りを待っている。
道端のタンポポがえりもの風に揺られていた。
4/29
晴れ 岬はひんやり 4:30∼13:57
襟裳岬では大勢の仲間が温かく迎えてくれた。優子がたくさんの方々に声を掛けてくれたのだけれど、その輪の中にサプライズで大阪から母親まで来ていた。ビビった。
森進一は「襟裳の春は何もない春だ」と歌ったけれど、僕にとってはたくさんの笑顔咲く春だった。きっと僕は今、誰よりも幸せ者です。
応援してくださった皆様、気にかけてくださった皆様、63日間、本当にありがとうございました。
完
いくつかのメディアに取り上げていただきました!
ありがたい限りです。ご興味を持っていただけた方はぜひご覧ください。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c984219ee9dc43214cd82b796bc7b2bc584340c6
↑速報記事をガイドの先輩でもある、プロスキーヤーの藤川健さんに執筆いただきました!(2022.4.29)
https://youtu.be/ZWXwyWlFZV0
↑ノースメディアの佐藤カメラマンに、撮っていただいた映像を短い動画にまとめていただきました!
襟裳岬到着の臨場感が伝わるかと思います!
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/675862
↑北海道新聞の朝刊に掲載いただきました!!(2022.4.30)
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この記録で登った山/行った場所
- トムラウシ山 (2141m)
- 十勝岳 (2077m)
- 石狩岳 (1967m)
- カムイエクウチカウシ山 (1979m)
- 天塩岳 (1557.6m)
- ペテガリ岳 (1736.2m)
- オプタテシケ山 (2012.5m)
- 神威岳 (1600.2m)
- 化雲岳 (1954.3m)
- コイカクシュサツナイ岳 (1721m)
- オダッシュ山 (1098m)
- ペケレベツ岳 (1532m)
- 芽室岳 (1754m)
- 1967m峰 (1967m)
- 戸蔦別岳 (1960m)
- 神威岳 (1756m)
- エサオマントッタベツ岳 (1902m)
- 1823m峰 (1823m)
- ヤオロマップ岳 (1794m)
- ルベツネ山 (1727m)
- 中ノ岳 (1519m)
- ソエマツ岳 (1625m)
- ピリカヌプリ (1631.2m)
- トヨニ岳南峰 (1493m)
- 野塚岳 (1352.7m)
- オムシャヌプリ (1379m)
- 十勝岳 (1456.6m)
- 楽古岳 (1471.9m)
- ウエンザル岳 (1576.4m)
- 下ホロカメットク山 (1668m)
- コスマヌプリ (1626m)
- 音更山 (1932m)
- 武利岳 (1876m)
- 武華山 (1759m)
- 比麻良山 (1796.1m)
- チトカニウシ山 (1445.6m)
- ウェンシリ岳 (1142m)
- ピヤシリ山 (987m)
- シアッシリ山 (903m)
- 函岳 (1129m)
- 幌尻山 (427m)
- 雪盛山 (1726m)
- パンケヌーシ岳 (1746m)
- 五色岳 (1868m)
- ユニ石狩岳 (1756m)
- 春別岳 (1855m)
- ナメワッカ分岐 (1810m)
- 札内分岐 (1869m)
- 中ノ川下降尾根頭 (1469m)
- コイボクカール
- ピラミッド峰 (1853m)
- トヨニ岳北峰 (1529m)
- コイボクシュメナシュンベツ川分岐 (350m)
- 楽古山荘 (350m)
- 1599 (1600m)
- 大砲岩 (1870m)
- 美瑛谷3稜の頭 (1896m)
- オプタテシケ山北西稜頭 (1920m)
- 美瑛富士避難小屋 (1630m)
- 上ホロ避難小屋 (1820m)
- ヒサゴ沼 (1690m)
- 柵留山 (852m)
- ヒサゴ沼避難小屋 (1600m)
- 南沼キャンプ指定地 (1950m)
- 北沼 (1990m)
- 北戸蔦別岳 (1912m)
- 十石峠
- 北海道大分水点
- 佐幌岳 (1059.5m)
- ブヨ沼 (1626m)
- 境山 (1837m)
- 鋸岳 (1980m)
- 双子池 (1404m)
- 美真岳 (1668m)
- ベベツ岳 (1868m)
- 石垣山 (1822m)
- 美瑛谷2稜の頭
- 美瑛谷1稜の頭
- 平ヶ岳 (2008m)
- 三国峠 (1139m)
- 日勝峠 (1023m)
- 狩勝峠
- 石北峠 (1050m)
- 熊見山 (1175m)
- 労山熊見山 (1327.9m)
- ニセイチャロマップ岳 (1760m)
- 楽古岳登山口 (470m)
- 前天塩岳 (1540m)
- 避難小屋 (1375m)
- 前天塩迂回分岐(天塩岳側)
- 桜山 (950.5m)
- 前ムカ (1347m)
- 武華岳登山口 (1150m)
- 小石狩岳 (1924m)
- 川上岳 (1894m)
- 幌尻山荘分岐 (1881m)
- 比麻奈山 (1811m)
- 文三岳 (1755m)
- シュナイダーコース分岐 (1760m)
- 石狩岳1,966mピーク (1966m)
- ニペの耳 (1895m)
- 夏尾根頭 (1719m)
- ヤオロの窓
- 発電風車入口
- 宗谷岬バス停
- 宗谷岬
- 1289コル
- 大沼野営指定地 (1435m)
- 五色の水場
- 美瑛岳分岐 (1990m)
- 美瑛富士分岐 (1716m)
- 双子池キャンプ指定地 (1430m)
- ヒサゴ沼分岐 (1905m)
- ロックガーデン
- ツリガネ山の肩 (1650m)
- 知駒岳 (529.1m)
- 1343mピーク (1343m)
- 824mピーク (824m)
- 狩勝峠登山口
- 1690mピーク分岐 (1690m)
- 幌内分岐峰 (1654m)
- 726ピーク (725.5m)
- 812ピーク
- 832ピーク
- 串内牧場コル
- 串内反射板山 (1022m)
- 臥牛山 (1038m)
- 1904mピーク (1904m)
- 1793mコル (1793m)
- 野塚岳西峰 (1331m)
- パンケ山 (632m)
- ポロナイポ岳 (1110m)
- 分岐 (1220m)
- 丸山 (167m)
- エタンパック山(基準点) (313m)
- イソサンヌプリ山 (581m)
- ペンケ山 (716m)
- 札滑岳 (993m)
- 磯山岳 (1031m)
- 和刈別 (1033m)
- 稚空知山 (943m)
- ウェンザル岳 (1576.2m)
- P1856 (1856m)
- JRバス幌満停留所
- 様似山道東口
- 断崖ポイント
- コトニ小休所跡(現コトニ昆布干し場)
- 様似山道西口
- 東平宇神社
- JR様似駅
- 標高1737m (1737m)
- 奥佐幌岳 (1040m)
関連する山の用語
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小田島
コメントありがとうございます!
この先の日記に対処の様子が出てきます。もうしばらくお待ちください!
Good job! & Good friend!
ありがとうございます。
感動した
北海道ローカルNHKの「北海道道」観ました。彼女に助けを請うくだり、いや、それって助けを請うているのか?色々とご本人なりに思うところはあるのでしょうが、この偉業に水を指すことは全くないと思いますし、彼女との絆が微笑ましかったりもしました。
今後のご活躍には期待しますが、生きて帰ってこその冒険です。生きて帰ってこそのヒーローです。頑張ってくださいね。
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