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また別の機会に実際に作業をしている老人を見掛けもした。その時には、スチール社製の小型チェーンソーを持って造材作業中だった。
団地横のちょっとしたヒノキ山での伐倒作業が如何ばかりのものか。傍を電線が走り、車通りもままある道傍での実際の作業の危険度、困難度を私は素人よりかは理解できる。いや、解る。
流石に際どい場所だけあって無難に牽引具を使用した伐倒だったが、重量の無い上に枝の「強い」ヒノキの間伐だけに、簡単には済まない作業である。
自身の技量に自信が無ければとてもぢゃないが出来ない仕事だ。よっぽど他所で修練を積んできたに違いない(若造が生意気言って済みません)。
4年程前に、栗畑の陽当たりを良くしたいとのことで、すぐ隣の結構な林齢の杉の林の伐採依頼を受けた。
得てしてこの手の作業で問題になるのがその伐り倒したい木の「倒し場」なのだが、その時は当の栗畑にしか伐り込む場がなく、依頼主は「栗の木を傷めず倒してくれ、それが無理ならこの枝だけは大目に見てやるが後は上手に伐れ」と、金を払うんだからと横柄な態度で指示する。
それに対する請負側の親方キヨッさの返答が振るっていた。
「アンタの言い分はワカッタ。でもなぁ、アンタの指図はワシは受けんでな。こちらにはこちらのやり方があるし、あんたの望み通りにそう都合良くは伐れんぞ。それが嫌なら他所に頼めな。」
プロに対する敬意が無い、と。
出来ないことを、技能あるプロフェッショナルが成り替わり行う。その対価として依頼主はお金を渡す。敬意を添えて。
ウチの社長もかつて自分たちのしている仕事を「他の誰にも出来ない仕事をワシらはしとるんや。」と呑み屋で口にした。それが埃、いや誇りなのだ、と。
キヨッさと私は結局その仕事を受けて施主の要望通り「針に糸を通すような」仕事を”指図通りに”成し遂げた。当時私は既に事務職員でその際は伐倒補助だったのでこう言って不遜に当るまい。「流石はプロ!」
先だって読んだ某クライマー氏のブログに、
『・・・・その完登の裏にあった誰にも語ることの無い心血を削った時間と厳しい寒さの中耐え凌いだ熱い思いは無下に扱われてしまうようだ。なんてバカらしいのだろう。自身の想像の域でしか物事を捉えられないことは、自分の実力不足を露呈しているような恥ずかしい発言でしかないと思うし、礼節に欠けると思う。』
とあって、上記事項を思い出した。
極限の世界で新境地を開こうとする行為に対して正当な評価を与えるには、受け手側に要求されるものも多くある。
林業然り、モノづくり然り、また登山行為然り。
そんな表現者たちが十全に報われる世であって欲しい。
自戒を込めて。
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