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長良川の近くに育ち、中学生の時にこの川の源流の風景が知りたい、水の産まれる一滴目を目にしたいと思ったのが原初動機だった。北大に入学し、少々の試行錯誤とたまさかの出会いのお陰で「沢登り」という登山形態を鷲掴みにできたのは実に幸運だった。
学生時代、力量もないのに夢だけは大きく、未知未踏の大渓谷を目指した。当時は取るべき具体的な手段が判らないくせに、一等高い領域に背伸びして、当時の沢登り界の最高峰と思われた台湾の大渓谷に触れること、そして国内で困難とされる渓谷群をざっらっとで良いので見ておきたいと、雑誌や過去資料を調べ上げ(ネットではなく)、リストを作って塗り潰していった。
私がこれまでやってきたのは単に「地図上の遊戯」だと考えている。心は探検志向で地図を睨んで不思議な、興味を惹く地形を探し出してきて、それを現地踏査する。記録があれば目隠しすることなく、調べられるだけは調べて現地へ出向く。結果、台湾の未踏の大渓谷に足を踏み入れることも叶った。
そこで立ち止まる。
私がこれまでやってきたことは、真に自らがやりたかったことに忠実だったか。自分の山登りが真に自分のモノになっていたか。
作家、高橋源一郎が言う。「あなたが尤もらしく言うその言葉は、真にあなたの言葉ですか? テレビや新聞、SNSで拾ってきた言葉を体よくコピペしただけのものではないですか? 借り物ではない、真に自らの言葉とするには、日々それら言葉を洗練し推敲する努力を怠ってはならない」旨のことを何処かで書いておられた。
何処かでつまみ食いした言葉の羅列を、経験も伴わず、さも自分が獲得した言葉のように知らず知らずのうちに繋ぎ合わせて知ったような口を利いてやしまいか? 真に自分のやりたいことは? ソレに向けて努力をし続けているか?
ここ近年、これまでの常識を覆す凄い記録が飛び出した。山スキーの機動力を駆使したワンデイ記録、トレランの驚くべき長躯の記録、そして不可能とも思えた未踏部分のゴルジュの通過。
素晴らしい記録を称える気持ち、それと同時にその記録がその個人にとってどれくらい純粋な、自らの野望の発露なのかが問われる時代だと思う。ネットで随分な量の情報が得られてしまう今の時代だからこそ。
価値を置いた、真に自分のやりたいことやるべきことを実行する。存外、これが難しい。
この歳になっても、試行錯誤する日々である。自戒を込めて。
個人の欲求は社会的影響下から逃れ難くまた、自発的に思考する困難を解いた本である、、、、と家内から今聞きました。ソレを思うと登山というのは実に大きな器かな、と思います。
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