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日記

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カテゴリー「悼」の日記リスト 全体に公開

2019年 08月 04日 07:37

冷気

 梅雨明け十日、猛暑続きのこの一週、労働は過酷に過ぎた。  「屋外への外出は控えて水分塩分を十分に補給し・・・」何てNHK第一の警句など効かない、炎天下での草刈り作業があんなにもキツイとは知らなかった。やはり何より経験しないことには判らないばかりで。もしや、倒れるべきだったかもしれない。  労務
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2019年 06月 08日 05:58

許す

 台湾遡渓時に大変お世話になり大恩ある許氏が亡くなったとの報を受けたのが右足膝靱帯を痛めた翌日、二週前の5/25だった。一週前の澤田ミノル氏といい、続くときは続くものである。  台湾の方なので苗字の「許」を我々日本側が呼ぶ「許さん」は「キョサン」なのだが、イラストレーターのゲキ氏はこれを「ゆるさん
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2019年 05月 25日 04:04

記憶

 週の最後の一本だから、怪我しないよう気を付けていたにも拘らずやってしまった。杉の木の伐倒自体は「ここしかない」場所に上手く入っていったのだったが、隙間を狙ったヒノキの枝張りがやはり強くて掛かり木になってしまった。それを外すべく根元の加工をしていた際に右膝を捻ってしまったのだった。まあ、切創でなくて
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2019年 05月 19日 21:21

田代

 尾瀬で田代と呼ばれる湿原群に盛り上がって二週経ち、その名の過去の知り合いを思い出したところで本日、こともあろうに息子と映画鑑賞に出掛けた柳ケ瀬でその御本人とバッタリ再会の機会があった。実に不思議な巡り合わせに正直驚いた。タソガレ田代でもなく、ヒョウタン田代でもカマッポリ田代でもなくまた、メラッパシ
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2019年 01月 27日 22:24

解離

 事の次第は金曜午後だった。  かつての事業地、美山で看板鉄塔の「伐倒」作業時に、社長御母堂が救急搬送されたとの報が入り、急遽戻って行かれた。作業を終えて土場に帰れば、大動脈解離でほぼ即死にて帰らぬ人となった、と。  その夜、先日1/23の朝のラジオ「今日は何の日」で大量遭難のあった「八甲田山の
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2018年 04月 23日 15:40

納骨

 月曜午前、納骨法要を執り行った。  おっ様に墓地まで御足労頂き、自宅にて保管してあった両親の御骨を墓に納めた。  本法要では、骨壺から一部のみを取り出して納骨し、残るお骨と壺は寺に収めるのが通例のようだが、スペースは十分にあったので無理を押してその骨壺ごと納めた。  母に関しては死去から一年
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2017年 12月 25日 21:34

七七

 先週末、父の四十九日法要、七七日(なななのか)忌を迎えた忌明けに満中陰法要を執り行った。  と、実はこれを書いている本日25日がナナナノカ、ナノダガ。  父もいよいよ閻魔大王の裁きを受けて、御仏の元へ旅立った。天国、へ。  親族へは予め伝えた上で、私と姉の家族のみが集い見送った。この簡素
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2017年 11月 14日 02:28

供物

 昨日曜は、早起きがたたって夕刻5時半には寝てしまい、今朝は5時半起きと学生のような睡眠を貪ってしまった。  日曜当日は、母の葬儀から今回の父葬儀に至るまでお世話になっておきながらご無礼していた親族に、早速お礼に伺った。供え物は前日土曜にドシドシ買っておいた。  結果、盛り沢山なお礼参りとな
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2017年 11月 13日 06:50

弔問

(昨日の日記)  今朝は3時に起きてしまい、朝もはよからトマトソースを仕込んでしまった。  私は一体何をしているのだらう。  日曜、今朝は実に冷えた。黎明の東の空は冬を思わす。  金華山登ればよかったか。御嶽が白さを増した。  昨日土曜午後は、弔問客を迎えた。  愛知に住まう、父
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2017年 11月 10日 12:50

葬儀

 通夜も開けて昨日は葬儀を執り行った。  参列者は姉家族と我が家族−長男(アレルギー反応)、従姉の浩子姉ちゃん、それに母方の在所から週末も見舞い呉れた浩ちゃんとそのご両親がお越しになり、そして20年振り以上の父の弟君、叔父の春吉氏が開式間際に到着した。  嗚呼、お懐かしい。果たしてやはり春サ
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2017年 11月 08日 20:53

通夜

 父死去の翌本日夕刻には、通夜が執り行われた。    前夜から、お斎と精進落しの料理の準備数を決めるために、通夜と葬儀それぞれの参列者の人数確認に追われた。携帯電話が無いと話になりませんな。  母の時と比べて、些か寂しい参列数となった。まあ、これが親父が望んだハードボイルド路線なのだと思おう。
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2017年 11月 07日 23:38

立冬

 立冬の今日も早起きで、娘共としっかりとした朝食を摂る。   昨日片付け損なった母の相続手続きをようよう完了した。  その足で、珍しく夫婦共々時間が出来たとあって実家の片付けに出向いた。父も先が見えてしまったこともあって、亡くなってからの帰宅に備えて居間の掃除へ。  その後、用事があったことも
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2017年 11月 03日 07:07

温水

 「その若月さん、亡くなったそうですよ」  私がインタビューを受けようとするその前に、キャラバン氏(仮名)より聞いた。え?  随分以前に同誌インタビューを受けた相手が「ハタケスタジオ」の若月武治氏だった。  当時はまだ見掛けなかった蛍光橙色のクロックスを履いて拙宅までお越しで、足が香っ
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2017年 10月 10日 16:53

喪明

 昨秋11月17日に亡くなった義姉の一周忌に出向いた。 https://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-132233  一周忌までが喪中で、この日をもって喪が明けることになる。  素晴らしく澄み渡った秋空の下、某寺院にて法要は営まれた。
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2017年 06月 06日 08:55

百日

 二十四節気の「芒種」だった昨日は、母の百か日でもあった。  その前日に、慌てて経机を拵えた。  この「百か日法要」に合わせ、これまでの古い仏壇の「お参り納め」、そして先月納入した新しい仏壇の「入仏式」もお寺さんにお願いした。  宗派によりこれらを「お精入れ、お精抜き」「御霊(おたましい)
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2017年 05月 09日 12:34

葬儀

 仏壇序でに葬儀の際の備忘をここに。序でとはまたご無礼つかまつった。  母が亡くなって一時間も経ずに院内から葬儀社に電話を入れていた。  葬儀の日取りの決定、親族・知人・僧侶などへの連絡、備品・返礼品・料理の手配、僧侶・弔問客の接待、お金の管理、お通夜・告別式での挨拶、葬儀終了後の後片付
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2017年 04月 22日 08:04

原真

 昨晩は8時半に就寝し、今朝は3時前には目が覚めてしまった。  山スキー道具を片付け、本棚にある書類を整理していた際に山岳部OB会の会報がザラッと出てきて、偶々手にしたものが2009年4月第103号、椅子に座り直して読んだ。    当時の主任幹事であった田中君のルーム現役事情から始まっている。
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2017年 04月 17日 16:32

49

 週末土曜、母の四十九日法要を執り行い、無事に終えることができた。  何せ初めてのことだ、不備もあったが何とか収めた、というのが正しい。  こちらの予想を超えて親族中心に集まって頂けたことは幸いであったし、これは偏に母の徳の厚さによるものだ。  私個人では、葬儀の際に喪主として幾度かの
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2017年 03月 16日 08:45

荼毘

 3月11日は、現世を生きる日本人にとって特別な日でもありまた、私にとっては母の二七日(ふたなぬか)にも当たった。  今回のその日は満月を翌日に控え、娘△猟未ν鎮娜爐了猷搬欧集って弔い+観月+火遊び+木遊びを粛々と執り行った。  まあ単に、我が家が偶に行う河原での焚き火に興味を持たれた幼稚園マ
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2017年 03月 03日 08:08

焚火

 前回焚火をしたのが家族との事で昨年11/13、その前の回が以下の母と息子と3人の火熾しだったと記憶する。  癌告知の丁度一週後の6/27、その三人で曇天下の多少風のある初夏らしからぬ夕刻、いつもの河原で細やかな火を焚いた。  母のたっての意向で、これまで書き溜めたノート類を焼却してしまいた
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2017年 03月 02日 15:54

心亡

 忙しない数日を過ごした。  前日夕刻に、担当看護師が勤務時間を越えて終業後の私の来院を待って、直接の説明を下さった。  母の死が近いことを。  そして翌2月26日未明、母の息はついに、絶えた。  脳腫瘍との癌告知から凡そ八ヶ月、苦しみもなく誠に穏やかな旅立ちだった。  通
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2017年 01月 17日 10:50

22

 今朝のNHK第一マイあさラジオ内「きょうは何の日」で繰り返す22年前の今日の出来事。  その報は函館で聞いた。  事が大き過ぎて、全体像を中々把握できずに報道側も苦労していた程の被害の甚大さだった。  大学講座同級で京都出身のお京さん(仮名)が、呆気にとられた顔をしてテレビ画面を見つめて
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2016年 11月 22日 13:37

葬列

 昨週、義姉が急逝した。私と同年46歳に成ってじきの事だった。  ある程度は予見もできた出来事で、さりとて心の準備が出来ていたわけでもなく、取り急ぎ家族一同で訪栃した。ホウレイ。街中の黄葉を目にして、この時期に栃木に来ることが初めてであることを知る。  急性心不全との事で、未だ自分が天に召された
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2016年 10月 21日 09:23

彰人

 秋と言えば彰人(あきと)、彰人といえば、山崎彰人。些か強引ですが。  現役の山岳部員だった頃に、当時未踏峰であったウルタル曲(7388m)のことは、高所登山に皆目興味の無かった私のような門外漢にも知れ渡り意識されるレベルの話だった。  1996年当時の未踏峰は高い方からナムチャバルワ(7
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2016年 10月 18日 10:53

53

 中嶋Thor君のブログで、吉田和正氏の訃報を知る。  以前に書いた福居良氏と同じ、悪性リンパ腫だったとのこと。享年53。  氏を知ったのは「岩と雪」の休刊(1995年)間際にインタビュー記事が掲載されて読んだのが最初だったと記憶する。  過激なことをスパスパ言い抜くキツそうな人だと思った
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2016年 09月 27日 16:52

二年

『悪夢だろう、これは。  ゴゴーン、と振動を伴った地鳴りがして、我々3人は顔を見合わせとっさに右岸の地獄ノ中尾根目指して移動を開始した。只事でないことが発生したのだと察知して。先程まで晴れ渡っていた空が一挙に暗くなり、ゴーッという音より先に谷底を火砕流が流れ下っていく。成す術もなく見入る他無し。間
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2016年 08月 01日 10:41

山本

 先日実家に居て荷物の片付けをしていたら、かつて探して無い無いと騒いでいた当の漫画がこんなところに箱詰めしてあったよ。  その「山本直樹」作品がズラズラズラとあったものの、子らの居る自宅に置くにはチョット、、、、。性描写のシーン多い作品が殆んどなので。  山本直樹を只のエロ漫画家としてウッチャル
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2016年 07月 02日 09:06

福居

 最近発売なった雑誌「Jazz Perspective VOL.12」の某氏のディスクレビュー中に福居良氏の訃報情報があった。  ええっ!  ちょっと驚いた。  悪性リンパ腫のため、2016年3月15日午後0時44分、札幌市内の病院で死去したとのこと。67歳。  福居良は札幌を拠点として
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2016年 04月 23日 14:37

満月

 娘と中学校庭で球蹴りに興じていると、東の地平から赤みを帯びた満月が昇った。  満月の夜には、色々と起こる。満月の夕(ゆうべ)。  新年度がはじまり、何とかかんとか登校していた坊主が遂に休んだ。  不登校混じりの五年生だったというのに、年度明けの役決めで誰もやりたがらない委員を、皆が挙
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2016年 03月 15日 09:23

冥土

 岳人誌4月号届く。  最近ふとしたことで思い出したStefan Glowaczのクライミング写真集「Rocks around the world」が何の偶然か?p.31、p.127で紹介されている。不思議。  ※シュテファン・グロバッツ;1965年3月22日生まれの未だ50歳かよ!(氏
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2016年 01月 27日 19:24

命日

 週末、美濃の蕨生に出掛けた。  この集落は我々夫婦がかつて暮らした場所で、退去した今もこの地を本籍地としている。  訪問前日が在住時に大変お世話になったG氏の命日で、奥方である久恵氏とその後同居する息子さん夫婦のお宅を伺い、線香をあげた。  2014年末に美濃和紙が世界遺産認定を受けて随
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2015年 12月 23日 17:04

御悔

 谷口けい氏遭難死の報を聞く。黒岳沢とは、、、。  明治大卒ながら山岳部には籍を置かず、社会人山岳会から開花したアルパインクライミング界期待の女性でした。平出氏との山行は特に着想が良かった。  また先月には今井健司氏遭難の報を聞く。  アルパインクライミングの世界で近年よく耳にする名前であ
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