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そんな中で今の私はといえば、お尻のデキ物腫れ物由来と思われる体調不良が続いており、風邪を引いたかのような倦怠感溢れる症状で酒も煙草も呑む気すら起きない有様である。それを庇って重機を運転すると今度は腰痛を起こして全くもって遣る瀬ない。仕事を終えた昨夕は老人の如し、であった。未だ、53だぜ。
私が親方に付いて大径木(高齢級の大きな太い木)伐倒を習い始めたのが37の頃で、親方は当時68だったと記憶する。私と同い年の息子を持つ親方なので正に親子関係の歳の差にあった(何の偶然か、今私が教えているアヤちゃんも、私の息子と同い年)。ただ当時、全然お爺然とはしておらず、シャキッとしたものだった。
この地方で伝統的に行われてきた林業技術を踏襲してきた親方なので、昔風の山仕事の流儀な上に、バリバリの理系頭脳の持ち主故に知識だけに拠らない知恵ある現場人間として林業という仕事に知悉していた。質問すれば即答で返ってくるわ、刃物はチェーンソーの歯も鋸も鉈も常にトキントキンに研がれていた。チェーンに関しては切れ過ぎてマシンの能力が追いつかない、といえば解ってもらえるだろうか? 切れる刃物でする作業は、料理にせよ何にせよ楽しい。
旧美山町の奥山の、3町歩(≒3ha)杉桧樅の高齢級山林を皆伐した2008年は忘れられない夏になった(この頃は過酷な仕事に全くもって登山も山登りもできない幾年かだった)。あの、大径木が林立する山林の、99.8%の木をヨキ(斧)と矢(クサビ)とチェーンソーのみでバッサバッサと寝さかす(伐り倒す)様は正にグスコーナドリで、大いに痺れたものだった。兎に角、山という山を隈無く観察する方だった(縁辺部の2%檜のみ、牽引具使用)。何でもかでも”楽だから”牽引具や機械力を頼る手合いとは訳が違う。この手の美学は、1980年代にゴルジュ登攀で名を成した「八代ドッペル登高会」に通じるものがあった。行為には拠って立つべき善きスタイルとクールさとが必要だ。
親方の魂もいよいよ天上界へ召されたか。天国にも厳つい木が立っていて伐倒依頼があると思う。あの時のように汗ひとつかかずにそれらをバッサバッサと寝さかすことだろう、きっと。天国にはチェーンソーは無いかもしれないので、昔ながらのヨキ、ヤ、ダイギリ(大鋸)のシンプルさで伐りますか。
『グスコーブドリは、イーハトーブの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木樵で、どんな巨きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるように訳なく伐ってしまう人でした。』―――――――――宮沢賢治著『グスコーブドリの伝記』より
今晩は、中空に綺麗な満月が浮かんでおります。明後日、また伺います。
人生、誰と出会えるかで決まってしまう面があるとするなら、ヒトを頼って生きる輩の多い中で真の漢の親方に習えた私は実に運が良かった。オトコ、一匹!
これまで、ありがとう。 【昨夕、書】