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【74年経過】その記録が遂に打ち破られた?のが2007年8月16日のこと、栃木実家から岐阜に帰宅した日の新聞にデカデカと白抜きで掲載されたことを今でも覚えている。埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9℃だった。
【6年経過】更に2013年8月12日に四万十市江川崎で41.0℃を記録し、この町の名を記憶に残した。
【5年経過】2018年7月23日、これまた熊谷市で41.1℃の記録更新があり、この気温は2020年8月17日静岡の浜松市でもタイ記録として観測された。
【7年経過】で、本年2025年である。今年の出梅も早かった。7月30日、まだ8月を前にして兵庫県柏原で41.2℃の国内最高気温を出してこの夏の酷い暑さを予感させた。正直、これで済むとはとても思えない不安を感じた程だった。
そしてこれまでの記録越えがジリジリと0.1の微増で更新していたところ一気に0.6℃アップの41.8℃を叩き出したのが8月5日のこと(1933年記録の40.8℃から+1.0℃!)、群馬県伊勢崎市にて。次点に41.4℃を埼玉県鳩山で観測し、翌日6日には静岡市で国内二位のその41.4℃が再び観測された。
ふぅ〜。"列車"はいよいよ走り出してしまった。地球沸騰化という名の、止めようもない重量列車が。
猛暑のこの夏も、冷房に強い抵抗かある私は就寝の際にクーラーに頼ることなく寝たのだが、やはり暑さで夜中に起こされて寝不足の毎日だった。夜中に残り湯の水風呂に浸かったりして何とか凌いだ。ようやく朝まで寝ていられるようになったのがここ9月に入ってのこと。多くの地球人は、自分さえ良ければいい、以前に子供世代の先のことを余り何も考えていない風に見える。新聞を読んでないのか。電気の7割は化石燃料由来だということをご存知ないか? 我々は酷い時代を生き、立ち会っている。
この2025年夏は、甲子園での県岐商(ケンギショウ、と岐阜市民は呼称する)vs横浜の心震わすゲームと、藤原さんの蜂刺されクライシスと共に酷い暑さ熱さが忘れられないシーズンとなった。
まだその暑さは続いているわけですが、ウチの猫達もご苦労様でした。暑い期間中、呑めなかった酒を今になって呑み返している。
藤波谷の滝のシャワーでもと思うのだが、如何せんそこへ行くまでの気力が老人には残されていない。
歳、よりもやはり湿度だと思いまーすヨ。かつて春のニューオリンズで体感した高湿度にタマゲタことがあり〼。
それにしても52℃の経験、というのは8,000mのソレよりも貴重なのでは!
私がシリアで目にしたユーフラテス川は寒々しい、滔々たる流れでした。
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