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昨日片付け損なった母の相続手続きをようよう完了した。
その足で、珍しく夫婦共々時間が出来たとあって実家の片付けに出向いた。父も先が見えてしまったこともあって、亡くなってからの帰宅に備えて居間の掃除へ。
その後、用事があったことも手伝って親父の居る関市へ向かい、それを済ませた帰途の昼下がりに老人ホームへ立ち寄った。
看護師で、山にも登る佐藤ショーミー氏がオムツ交換をしてくれた際に見た親父の足の細さに驚いた。ガリッガリに細くなっていた。そして微熱は続いていた。
一昨日と変わらぬ感じで、アゥアゥと何かを伝えようと酸素マスク越しに話し掛けてくるのだが聞き取れないのが歯痒い。そんな時はこちらから語り掛け質問をすることを常とする。
「弟の春吉っさが来てくれるって言っとったけど、来たかよ?」どうやら週末には見えなかった様子だ。
「何にしても、来てくれるって言っとったでなぁ。楽しみにしとるといいわ。」
随分と長い間、音信不通が続いていたという。確執とまでは言わないにしても、過去に感情の行き違いが在った模様で、長く無沙汰で、この期に及んで再会の機会が持てそうなタイミングだったのである。
いつものように「また来るでなぁ」でその場を去った。
帰りしなにショーミー氏に呼び止められて、緊急の際の電話番号を確認された。
夕刻、いつものようにカレーを作ろうと準備していた最中に電話が入った。老人ホームから親父の容態が急変したとの報で、直に駆けつけるも数分間に合わなかった。
日中会ったばかりなので悔いもない。
それにしても、早い。早過ぎた。弟氏の件で心が落ち着いたか。
昨日が友引だったので、明日通夜、明後日葬儀と相成った。
母の時も世話になった葬儀社に、今回もお願いした。
死亡診断書を掛かり付けの病院へ取りに出向き、そこから電話を入れて葬儀社が始動し、老人ホームから葬儀場へ。
眼科検診の際に実家へは家内が親父連れで無理にでも寄ったそうなので、折角片付けたとはいえ家に帰らずとも良かろう。死亡直後に家内が親父に声掛けして了承を得た?ので。
これを今、葬儀社持ちのホームでパタパタと打っている。
母の死去から八ヶ月、早かったような、長かったような。
両親共々、私の仕事の成り行きを見届けたかの如くの手際である。
じきにお母はんの傍に行けるでな。納骨も一緒にするで。
後は一切合切、任せとけ。