![]() |
前夜から、お斎と精進落しの料理の準備数を決めるために、通夜と葬儀それぞれの参列者の人数確認に追われた。携帯電話が無いと話になりませんな。
母の時と比べて、些か寂しい参列数となった。まあ、これが親父が望んだハードボイルド路線なのだと思おう。
午前は、遺影写真の選定と以降の時間打ち合わせを家内を含めて担当の坂梨氏にお願いした。
午後は納棺まで時間ができたので、帰宅して火を焚いた。一週前の今頃、雪の中に居た自分を思う。
家内は実家に行き、会場で飾るスナップ写真や棺に入れる父の愛用品を取りに行ってくれた。
私は小早に式場へ戻り、気になっていた親父の鼻毛を剪定してあげた。これで男前になったヨ。
喪服への着替え中に、前回担当呉れたゴッサンが出来上がった遺影を持ってきてくれた。フレームの選定をする。
それにしてもこの写真、長男のタケオが一歳の誕生日に関の老舗鰻屋で両家が集って撮影したもので、親父は如何にもフクヨカである。私と違って髪はフサフサ、骨格も肉付きに見合ったもので且つ、清潔感やお洒落感も備わった顔立ちである。今こうしてパチパチする私の右手に安置されている亡骸の表情とはまるで別人である。今のその表情、パキスタンはラホールで見た「釈迦苦行像」を想起さす。そうか、親父は釈迦に近づいたか。
16時半に納棺で、持ち上げた親父の身体が軽い。駆けつけた娘らも手伝ってくれた。
姉家族も来てくれたので挨拶を交わす。
オッ様も来て下さったので、本日のお願いと今後の相談をする。母の一周忌と親父の納骨の件、年末の親父の四十九日法要の調節の件を。
18時、通夜が始まる。読経の後に焼香、喪主である私の挨拶で終了と、実に呆気ない。
献杯して在りし日の父の話をして囲む。
散会後は、列席はなかったけれど香典を頂いた方にお礼の電話を入れた。
明日は10時より葬儀だ。父の弟である、叔父と二十何年振りかの再会である。
おはようございます
お父さんのご冥福を祈ります
macchanさんのこの日記を読み、自分の親の葬儀を思い出しました
1ヶ月の間に父と母(二人とも穏やかな最後でした)
本当にばたばたとした通夜、葬儀、その後の事
呆気ないと思えましたが!!それでいいのかも!!
でも徐々に自分がその年齢になると、「呆気ないような最後がいい」と思うようになりました
避けて通れない近い人の死、自分の死
最近は考えても、善し悪し、結論の出ない事は考えないようにしています
divyasu21様
コメントに感謝します。
ひと月の間にご両親共というのは驚きですが、穏やかな最期だったとあれば報われるものもあります。
今現在は、両親を亡くしたことの認識がやっと追いついてきた感じですが、山同様に家族を通して死を考えることが暫くの間の私のテーマになりそうです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する