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参列者は姉家族と我が家族−長男(アレルギー反応)、従姉の浩子姉ちゃん、それに母方の在所から週末も見舞い呉れた浩ちゃんとそのご両親がお越しになり、そして20年振り以上の父の弟君、叔父の春吉氏が開式間際に到着した。
嗚呼、お懐かしい。果たしてやはり春サはフサフサだった。
火葬場には行けない、この場限りとなるとのことなので、手短にこれまでの経緯と死去当日の件(当叔父の話をしたのが契機となったこと)を伝えた。どこまで伝えられたかは定かでないが、私としては伝え切って気は晴れた。
じき開式し、オッ様の登場から式が始まった。
会葬者も少なく、焼香もすぐに済んだ。
ここまで少ないと、却って潔い。私の挨拶で葬儀は済んだ。
出棺し、火葬場へ。
喪主としてロングな黒車に乗り込んだ。出立時のクラクションが心地良い。
冷えた空気と強い北風が、冬晴れの青空を鮮明にして、それらを背景にした金華山が我々を見下ろしていた。
葬列を組み、最期のお別れをして父、火葬さる。
お骨上げまで、予想に反して時間がかかった。
というのも、肉は削げたが骨格は頑強で、これも服用薬が無かったからだろう。
遺骨担当のオジサンに尋ねれば、実にシッカリとしたものだという。プロが言うのだから間違いあるまい。
骨壷に足から頭まで一通り入れるのが習わしで、栃木では認められた撮影が、ここ岐阜では咎められた。
芸能人の料理レポでも思うが、こんな時に箸使いに自信が有るのと無いのでは大違いで、二人で摘まむ遺骨を掴み損ねようものなら恥ずかしい以上に失礼千万に当たるので、ここは親にキッチリ躾けられたことに感謝する。
ホカホカの遺骨を抱え、すぐ傍の善照寺に移動し、還骨法要・初七日法要に移行する。
「野晒の髑髏が・・・・・、。」といった文言を、母の時同様に読経頂いた。
骨壺に収まらなかった分の納骨をして(これについては明日に書き付けたい)、精進落しの弁当をオッ様や姉家族に渡して、初七日法要も済んだ。
体調を崩しながらの家内の運転で、セレモニーホールまで戻り、拙車を回収して帰宅の途についた。
家族で精進落しの弁当を頂き、私は明るい内から献杯した。
夕刻、「後飾り」のためにゴッさんが来宅し、本日分の法要関連行事は終了した。
骨壺と共に並んだ両親の遺影が、心なしか微笑んだように見えた。
ごくろうさんでした。これで大きな節目が終わりましたね。
うちも間もなくと思います。がんばります。
「穴毛」のときの様に、暫くは今回の意味付けをする数日になりそうです。
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