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板取川奥でのドライブで紅葉を愛でながら。
増水後の長良川の清らかな水の流れを前にして。
台所でマグロのづけを仕込みながら。
レコードで、ローエングリンを聴きながら。
あの一日は、私にとって一体何だったのか。
アレは何を示唆し、私はそこから何の教訓を得たのかを考えている。
両石氏の山行に乗ったまではいい。
私の好むところの「貫通モノ」の『穴毛岩』に手を掛けることや、登攀記録を見掛けない『穴毛大滝』の水際にラインを採って登ることは個人的に興味のあることだった。
両氏のクライミング能力には到底及ばないことをさしおいて、しかし今回私のすべきことしたいことは「登攀に同行する」ではなかった。
沢登りがしたかった。
それも、行って往路を戻ってくる遡下降ではなく、登り切った上で下界に降りて「戻ってくる」山行をしたかった。
村上春樹氏が井戸に降りてゆく話を度々引用することがあるように、私の今回の体験はこれに類したものだったように思える。
潜って後、再び日の当たる世界に戻ってきた私は、一皮剥けた存在になっている、というような。
危険な領域に足を踏み入れて辛うじて帰還した、といった際どい話ではなかったものの、一線を越えた体感は手応えとして残った。
夏装備での冬の領域への踏み込みだったが、条件としてはこれ以外には通り様望み様のない無風快晴折良く雲間、と僥倖とも呼べる条件下での貴重な通過体験だった。雪間のツルツル飛び石、雪渓上の脛ラッセルに雪壁トラバース、雪笹高捲き四つん這い腿ラッセル、果てに出会った初冬の穂高連峰と槍ヶ岳。
突っ込みすぎた反省はない。確証の範囲内での行動だった。
ただ、こんな際どい線でしか得られない体験も有る。「穴」の付く谷だっただけに。
私の穴体験。初体験?
人間の能力の発揮領域も、フリークライミングが示したように余地は未だ未だあるのだろう。
「――そう考えて静かで深い昂りがこみ上げてきた。だとすれば、未だ人類は信じるに値する。世界は生きるに値する。この世はとんでもなく面白い。」【服部文祥著「ツンドラ・サバイバル」より】
山はまだまだ面白い。人もまだまだ面白い。
不謹慎にも ”鼻毛” を連想してしまったが、結構シュールな内容だったので、思わず姿勢を正してしまった。
加納にある黒田亮の眠る穴釜墓地も不思議な名前だが、どんな謂れがあるのだろうか。
鼻毛穴釜穴毛谷。地下で繋がっているやも知れませぬ。
が、墓地名は淫靡さとは無関係に思います。
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