また山に行きたくなる。山の記録を楽しく共有できる。

ヤマレコ

HOME > macchan90さんのHP > 日記
2019年05月19日 21:21全体に公開

田代

 尾瀬で田代と呼ばれる湿原群に盛り上がって二週経ち、その名の過去の知り合いを思い出したところで本日、こともあろうに息子と映画鑑賞に出掛けた柳ケ瀬でその御本人とバッタリ再会の機会があった。実に不思議な巡り合わせに正直驚いた。タソガレ田代でもなく、ヒョウタン田代でもカマッポリ田代でもなくまた、メラッパシ田代にもまたなく。
 この方とは今を遡ること19年前、美濃の手漉和紙スクールで同窓となり数週共に学んだわけで、私の所属した海外遡行同人のかなり初期の集いにゲストで現れたこともあって、私が結婚を表明した際に当同人の澤田女史に「もしかしてあの時の方がお相手?」と勘ぐられたこともあった女性である。
 実は、私が別の女性(今の妻)と結婚後に美濃を去る際に、その引っ越し当日に市内でバッタリと再会した不思議な縁もあった。もしや本命で運命の方だったか? いやいやい。その時(2006.5)以来の今日の再会だったので実に13年振りのことだった。今では美濃和紙界で要職に就いて、美濃の未来に貢献される御方である。

 そんな今朝、別の驚くべき報が違うお二方からほぼ同時に私の元へ伝えられた。今を遡ること30年前の1989年に大学探検部で世話になった澤田さんが、カムチャッカで遭難死されたとのことだった。
 山岳ガイドとして活躍されていた澤田氏も今や日本登山界隈での要職に就く、将来を嘱望された方だったが、実に残念である。
 澤田氏と山行を共にしたことは無かったと記憶するが(無意根山での山スキー行を共にしたか?)探検部を指向しながらその実行動は山に向かうという共通項もありまた沢登りも能くされ、7年ほど前だったかとあるキッカケでメールにて連絡すると心安くも「おぉ、macchan90久し振り〜。情報くれって? 何か知らんが遠慮なく聞いてくれヨ。」当時未踏だった称名川下ノ廊下(通称、称名廊下)を氏が途中から懸垂下降して内院を覗いた話を聞きつけた私はその詳細情報を提供呉れるよう連絡したのだった。そう伝えると当の澤田氏、電話口で一拍置いて「・・・・スマン、マッチャン。他は何でも教えられるが殊称名に関してだけはお前にも教えるわけにはいかん」とお茶目な返答をくれた。それ位に未踏当時、我々の周辺ではあの大廊下に目を向けていた人たちが幾人も存在した。今や著名なK君も確かそのうちの一人だった。その後ファーストアッセントした大西君とも店で心安く話したと、後に聞いた(二人は偶然にも出身地が極めて近い)。七年よりも前に、関東で開催の海外遡行同人総会にも(確か私が呼びつけたはず)来てくれた。北陸在の山スキーの猛者共と出会う機会を作るとさぞや楽しかろうとの思いの元で。
 名クラックである小川山レイバック・ギター携行初登(未遂?)記録やら、ギター携行日本列島徒歩縦断、錫杖でのルート開拓、アルバイトによるチョモランマ登頂、スキーによる短時間黒部横断、そして今や役職付きの現在と正に八面六臂のご活躍だった。辛さを楽しさに変換してしまう才のある方だった。中山間部で米作りでもしてそうな容貌ゆえにカッコいいとは言わないけれど、実に快闊で気持ちのいいヒトだった。本も上梓し、沢・岩・スキーアルパインと殊、山に関しては満足の人生だったことと思いたい。
 心よりのご冥福をお祈りします。
 今日は満月で、飲み慣れない発砲日本酒なぞ呑んで献杯しているところです。
 暫くは山仕事の最中に、澤田氏との昔を思ってみようと思う。最期に何を見、何を思い、感じたのか。

 追;今さっき思い出したが、澤田氏とはこんな話もあった↓
https://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-115614
訪問者数:242人
-
拍手

コメントを書く

この日記はコメントを受け付けていません。

この日記へのコメント

まだコメントはありません


ページの先頭へ